私淑の人

タイトル
作 者
投稿日
私淑の人(7)完 後藤 雄二 2009.10.1 
私淑の人(6) 後藤 雄二 2009.9.1 
私淑の人(5) 後藤 雄二 2009.8.8 
私淑の人(4) 後藤 雄二 2009.7.11 
私淑の人(3) 後藤 雄二 2009.6.9 
私淑の人(2) 後藤 雄二 2009.5.15 
私淑の人(1) 後藤 雄二 2009.4.1


 私淑の人(7)最終回
後藤 雄二
2009年10月1日

 崩れかけた塀の内の大きな一本の百日紅、これがわが家の目印なのであるが、老いて虫にやられた為か、最近では花はもう殆ど咲かない。初めて京都に移ってこの家に入ったのが昭和二十六年の五月だったからざっと三十年前のことになるが、その頃は毎年夏になると純白の花が溢れ咲き、それはもう清冽な泉が空に噴き上げていると思うばかりであった。
(中略)
 私はそうした夏の夜、塀の外の道に立って空を仰ぐを常とした。銀河が見えたのである。銀河は百日紅の梢をシルエットに見せながら天頂を南から北へ流れ、冴え冴えと美しかった。私は吸い込まれるように見入り、時によろめいた。
(後略)

 これは二回生の夏に読んだ「星に想う」という題の吉沢先生の随想だ。新平はそれを思い出していた。しかし、さっと通っただけなので、百日紅の木があるのかどうかよく分からなかった。先生が昔、吸い込まれるように銀河を見上げ、時によろめいたのはあの家の前なのだな、と考えていると、新平は笑みがこぼれた。
 光村知子から手紙が来るようになった。彼女からの手紙は、二週間おきぐらいにコンスタントに届いた。新平は手紙をもらうとすぐに返事を書いた。次第に新平はひそかに彼女からの手紙を心待ちにするようになった。
 初めて届いた知子からの手紙には、長部君の卒論は西鶴なんでしょう? と書いてあった。長部君の西鶴好きは昨年からクラスでも有名だったのですよ、と新平がおどろくほどオーバーなことが書いてあった。よくきいてみると、三回生の夏、新平に、吉沢先生の研究室へ行きませんか? と誘ってくれた人たちのなかに、知子が親しくしていた人がいたのだそうだ。新平はその先輩たちと一緒に、紀要や文学雑誌に載っていた吉沢先生のほとんどの論文を、図書館でコピーした。それは吉沢先生の文章を読んでみたかっただけのことなのだが、結果的に良い勉強ができた。
 光村知子は、女性としてのよさを持っている人だった。気持ちの中で新平は彼女に魅かれていった。文面がやさしさに満ちあふれている。思いやりの深い人だ。単なる文通のように表面的には見えるものかもしれないが、新平は知子と多くのことを語り合った。卒論がうまく進まない、と知子が言うと、自分にしても全く同じことだと綴り、互いに励まし合った。愉快な高校時代のエピソードを語り合い、また冗談をとばし合ったりもした。彼女が京都に住んでいれば、と何度新平は思ったかしれない。彼女のことを考えると、心地よいときめきを覚えた。
 十二月のある日、知子からの手紙が届いていたので心を躍らせて読みすすめていくと、
「私、たぶん、いえ、きっと桜の咲く頃、お嫁に行きます」
 と、そんな言葉が飛び込んできた。
 新平は一瞬愕然とした。いつのまにか新平は彼女を大事に思うようになっていた。たとえいまはまだはっきりと恋愛感情を抱くに至っていなくても、いずれ彼女のことが忘れられない存在になる予感を新平は持っていた。彼女からの好意的な手紙の文面にうぬぼれていた。その後、知子から手紙が来なくなった。
 新平の卒論の草稿は、三回目でどうにか吉沢先生の清書許可をもらうことができた。
 先生の指導は細かい点まで行き届いていた。戻ってきた草稿には、沢山の朱が入っていた。それにともなって指摘文が書かれていた。吉沢先生が新平の目の前にいるわけではない。しかし、新平は先生に、ここはこうしたほうがいい、こういう文献を参考にするとよい、長部君、もっともっと深く考えなくてはだめだよ、などと言われている錯覚に陥った。
 純は二次試験にもパスした。希望通り、高校教師としての内定者になった。
「四月には、きっと高校の国語の先生になっているはずやぞ」
 純は大喜びで新平に電話で話した。
 節子も大学院に無事合格した。新平に電話で報せてくれたが、節子はずっと泣き通していた。四月からは、吉沢先生のもとで浮世草子の研究をする。
 新平は、立派な友人を持ったものだと思った。卒業試験を受けるには、卒論以外のすべての単位を取得していなければならない。二人のおかげでここまでやって来られた。つらくて投げ出しそうな時があっても、純と節子に会えば、自分で自分を粗末にしていることに気がついた。純と節子に出会えてよかった。新平はつくづくそう思うのだった。

 三月初旬、大学で卒論の口頭試問があった。卒業試験だ。国文学科の卒業予定者は二十四名。そのうち、新平が知っている人は、純と節子と光村知子の三名だけだった。
 控室では、自分の口頭試問の時間が来るまでじっと待つ。なんとなく緊張感のある控室だ。新平は、純と節子の二人と並んで椅子に座っている。知子にも会った。あいさつをしたが、特別話をすることはなかった。卒論のコピー本を読みながら、準備をする。
 新平は少し息苦しくなって、席を立ち、廊下に出た。深呼吸をした。
 新平の口頭試問が始まった。
 主査は吉沢先生。副査は近代文学の先生。
 新平は気持ちの中ではいつも、最高にいい卒論を書きたいと思って努力してきた。いや、そのつもりだった。しかし、結果的には平凡な研究に終わった。木山捷平のことを知らない人が新平の卒論を読むと、その作風のあらましが分かる程度の研究だ。
 試問場へ入ると、二人の先生の前に椅子がひとつある。その椅子に腰かけると、主に吉沢先生が質問してきた。先生は、三つ揃いの格好でいつもより貫禄があった。顔こそ違うが、『ラグタイム』のジェイムズ・キャグニーを思い出した。
 新平は、やや緊張しながらも、いつのまにか二人の先生と楽しく話していた。口頭試問であることを忘れてしまいそうになるほどだった。試問はちょうど三十分で終わった。
 吉沢先生は最後、新平にこう言った。
「内容的には小ぢんまりとした研究、という印象があるが、君は本当にこの木山捷平という作家に大きな魅力を感じとっているんだね。それがよく伝わってくる卒論だよ。研究はずっと続けるといいね」
 新平にとっては、最高に嬉しい言葉だった。
「ありがとうございました」
 深く礼をして、新平は試問場を出た。この洛北大学での思い出がくるくると回りはじめた。
 廊下を歩いていると、新平は光村知子にばったり会った。
「うまくいきましたか?」
 知子が話しかけてきた。
「ええ。精一杯やりました」
「私もいま終わりました。ずいぶん言葉につまっちゃいました」
 知子は屈託なく言った。
「ご結婚おめでとうございます」
 新平は気持ちを込めて言った。
 知子の顔が曇った。
「ごめんなさい。結婚の話、ダメになっちゃったの」
「え」
「ごめんなさい。言い出しづらくて、お手紙も書かなくて……」
 知子は涙声になった。
「申し訳ありません」
「いえ、そんな……。長部君は何も悪くはありません。ご連絡しなかった私が悪いんです」
 どんな事情が彼女にあったのだろう。それは何ひとつとして分かることではなかったが、新平は知子をみていると心が痛んだ。
「これから、もう横浜へ帰るんですか?」
「……はい」
「もしよかったら、僕たちと食事に行きませんか?」
「えっ」
「もしよかったら、いかがですか?」
「ありがとう。いいんですか?」
「いいですとも」
「私、長部君たちがずっと羨ましかった。いい仲間なんだなって」
「この大学の連中は、みんなナイスですよ」
 新平の言葉に、知子がほほえんだ。

 口頭試問も終わった。新平は少々気が抜けたような、それとはまた別に充実感を抱くような状態で帰宅した。新平宛の郵便物が届いていた。それは三カ月ほど前、新平が履歴書を送った映画会社からの封書だった。大学を卒業することが出来たら、東京へ行こうと新平は決めていた。東京で働いて、小説の勉強をしたいと思っていた。ものは試しで、東京の映画会社に履歴書を送った。映画への思いを文章にしたものも同封した。その返事が届いたのだった。書面には、
「欠員が若干ありますので、一度面接に来てください」
 という意味のことが書いてあった。
 新平は興奮した。映画の仕事ができる!
 面接日は卒業式の二日前だった。新平は東京へ行くことを決めた。それまでは漠然とした思いだったが、腹が決まった。
「新平ちゃん、東京へ行くんやね、やっぱり」
 電話で節子に報らせた。節子はさみしそうに言った。
「新平ちゃんは翼をもっている人だと思う。どこへ行っても立派にやる人だと思う」
「ありがとう。節ちゃんも大学院でがんばるんやで」
「うん。卒業式には帰って来るんでしょう?」
「ううん。東京へ行ったら、しばらくは帰らないつもりや。卒業式には出席せえへんことにした。決心がにぶるから」
「残念やね。純ちゃんに電話した?」
「これからかけるところなんや」
「純ちゃんもきっとさみしがるわ」
 節子がしんみりとした口調で言った。
 新平が東京へ行く前日、大学で卒業が決まった学生の氏名が掲示された。不合格の場合はそれまでに直接、電話連絡があるので、新平は、電話のベルがこわかった。国文学科は全員、卒業試験に合格した。
 その夜、三人は純のアパートに集まった。卒業が決まったことと、新平の送別会をかねて、乾杯をした。
 一回生の春、初めてここへ来たなあ、と新平は純の部屋を見回した。いまは四畳半にもきちんとカーテンがある。
「新平、住むところとかはどうするんや?」
 純が訊いた。
「友達の所に行くんやね」
 節子が新平に言った。
「うん。高校の時の友達のところへ行くことになっている。もう連絡はついているんや。俳優目指しているやつなんや」
「もし、映画会社が不採用やったら?」
 純が心配そうに言う。
「それも覚悟の上や。食べていくためやったら、仕事はいっぱいある。僕はどんな仕事でもやれる。それよりも何よりも、僕にとっては東京へ出て、小説書き続けることに意味があるんや」
「そうか。新平はええ男や。絶対小説家になるんやぞ。約束やぞ」
 純が涙ぐんだ。
「アホやね。泣き虫先生や」
 新平も胸をつまらせた。

 翌日の朝、新平はとなり町へ出かけるかのように、家族と別れ、家を出た。弟がバス停まで見送ってくれた。大きなバッグひとつだけの旅立ちだ。
 京都駅に着くと、節子が待っていた。新幹線のホーム下のコンコースだ。
「見送りはなし、と言うてたはずやで」
「うん。そやけど来てしもた」
 新平と節子は、傍のベンチに座った。
「さみしくなるね」
 節子がぽつりと言った。
「新平ちゃん、私のこと好き?」
「うん。好きや。節ちゃんはいい人や」
「そうやなくて、新平ちゃんが光村さんのこと見ているときみたいに、私も見てほしかった」
「光村さんは素敵な人やけど、僕とは何の関係もない。この間、みんなで食事しただけや」
「新平ちゃんが東京へ行く、と言ったとき、私、何か新平ちゃんが光村さんの所へ行ってしまうように思えたの。そしたら、新平ちゃんのことがすごく大事に思えてきたの。ずっと、ずっと京都にいてほしい。ずっと純ちゃんと新平ちゃんと一緒にいたい」
「節ちゃん、僕だって、節ちゃんのことが大切や。ずっと純と節ちゃんと一緒にいたい。でも、それぞれの決めた道を歩いていくしかない。僕は節ちゃんのことが好きや。でも節ちゃん、一緒に東京へ行かれへんやろ?」
「私、東京へ行きたい」
「あかん、あかん。大学院はどうすんのや。苦労して合格した大学院や。僕に力があったら、僕が行きたいぐらいや」
 節子はハンカチで涙をぬぐっている。
「私、そんなつもりで来たんやなかった。新平ちゃん、誰にも見送ってもらわへんて言ってたから、私だけでも見送ってあげようと思ったの」
「うん。ありがとう」
「ごめんね」
「謝ることなんか何もない。そうや、節ちゃん、いいものあげようか」
 新平はバッグの中から、吉沢先生の色紙を二枚取り出した。
「前に、純も節ちゃんも、この色紙欲しがってたやろ? 二人にあげたら、僕のがなくなるから、誰にもあげへんかったけど、節ちゃんに一枚あげることにする。また吉沢先生に教わることやし」
「いいの?」
「うん。どっちがいい?」
「毛筆のほう、と言いたいところやけど、こっちにする」
 節子はサインペンの色紙を選ぶ。
「吉沢先生の言葉には、ずっと励ましてもらっていた。いい先生に出会えた、いい大学時代やった。格好や形式にとらわれない、本質の見つめ方をいつもいつも気にかけていたような感じがしている」
 新平は色紙を眺めて言った。
「僕、もうホームへ行くわ。節ちゃん、見送りはここまででいい。何か辛くなるし」
 節子は黙って立った。
「そのオーバーコート、すごく似合ってるで」
 新平は、節子の着ている紺のオーバーコートを見て言った。
「うん。ありがとう」
 節子は涙ぐんでいる。
 ホームへのエスカレーターの前で新平と節子は別れた。
 上りのひかり号が到着し、新平は乗り込んだ。座席に着くと、ホームに目をやった。新平は窓際に座っていた。ホームにいた三人の家族連れらしき人たちが、新平の右どなりに座っている男に手を振っている。
 発車すると、車窓の景色を見た。京都の町がながれてゆく。
 新平は、ふと、節子が車内の通路をとおったような気がした。しかし、それは、ただ節子と同じような紺のオーバーコートを着た、小柄な大学生風の女の子がとおっただけのことだった。

(了)


 私淑の人(6)
後藤 雄二
2009年9月1日

 新平は書のことなど何も知らなかった。沢山の作品を説明してもらったが、新平は調和体の作品はどれを見ても気に入った。ふとその中に目を見張る作品があった。「吉沢一郎のうた」と題した調和体の書だ。先生の歌がこう書かれてあった。

  身に沁みて淋しと思ひ寝ねしかど
  風邪ひけるらし水洟やまず

「なんとなく、汚い歌でしょう?」
 女子学生はそう言ってニッコリした。
「この先生、知ってますよ」
 新平は嬉しくなってそう言った。
 その歌は、新平が読んだ吉沢先生の歌集の中にあった。先生の若い頃の歌だったように思う。案内役の女子学生は、その作品を書いた男子学生を呼んで、三人と話をさせてくれた。書道とは縁のなさそうな、ファッショナブルでひょうきんな彼は、自分の作品を新平たちに丁寧に説明してくれた。
 ひょんなことでよい時を持つことが出来た。通学生はみんな伸び伸びとして、明るく楽しそうだった。礼儀正しくて、また、通信生に対して嬉しいほどの理解があると感じられた。

 新平は卒論の題目を「木山捷平の研究」とした。吉沢先生は近世文学の教授だったが、希望する指導教授の欄に新平は「吉沢一郎先生」と書いて提出した。ダメでもともとだと思っていたら、二月のある日、吉沢先生が卒論の指導教授に決定した旨の通知が届いた。新平は最高に嬉しかった。
 純は西東三鬼を、節子は井原西鶴を卒論に決めた。二人も指導教授は吉沢先生だ。
「僕も吉沢先生を希望した。でも新平と同じようにダメでもともとやと思ってた」
「先生は芭蕉の本も出しているし、純のほうが可能性は高かった。僕は絶対近代文学の先生になると思って、ほとんどあきらめていた。でもよかったな。先生にあまり迷惑をかけんようにして、がんばっていこう」
 純と新平の電話のやりとりだ。
 三人が集まると卒論の話に花が咲いた。集まるのはほとんど純のアパートだったが、日曜日の午後はよく府立総合資料館へ出かけた。参考資料が新しく見つかると卒論のテーマも取捨選択できるようになっていった。節子はマイペースで調べていたが、新平はいつのまにか西東三鬼に関するものをさがしはじめていた。純が参考資料が少ないと言って、くたびれた顔をするからだ。
 三人でよく映画も観に行った。節子はマルチェロ・マストロヤンニが好きだと言った。
 新平はこつこつと小説を書き続けていた。文芸研究機関では原稿用紙三枚の作品からスタートして、ほぼ一年で三十枚の作品を書くことができるようになった。自分で勝手に書いていたものには百五十枚ほどの作品もあったが、あまりにもひとりよがりの作品ばかりだった。
 四回生になったある春の日、文芸研究機関から通知があり、まとまった作品が一つ出来たので機関内の雑誌に載せてもらえることになった。
「実は僕、小説を書いてるんや」
 純のアパートにいた三人は、春の睡魔に襲われそうになりながら、卒論の資料の整理をしていた。
 新平が小説を書いている、と言っても別段二人はおどろかなかった。
「新平ちゃんらしいことやわ」
 節子がほほえんだ。
「今度、生まれて初めて作品が活字になるんや」
「すごいやん、新平」
 純がやっと真剣に新平の話を聞いてくれた。
「うん。短い小説で、そんなに面白くはないと思うんやけども」
「謙遜せんでもええのよ。自分で面白くないの書く人なんていないもの」
 節子が言った。
「新平の夢は小説家さんか……」
「うん。果てしない夢や」
「僕は大学卒業したら、高校の教師になる。絶対なる」
 純が力強く言った。
「私は」
 節子が言いかけて止めた。
「節ちゃんは?」
 新平が言った。
「私は、洛北大学の大学院に進みたいの」
 節子は、きれいな目をして言った。

 六月の教育実習が済み、夏が来ると、四回生の夏期スクーリングが始まった。教育実習には、三人それぞれ母校の高校へ行った。新平と節子は教師になろうとは考えていないが、教職科目も勉強しておきたかった。純は七月の京都府教員採用試験を受験して、スクーリングに参加した。
 初日の一講目は、吉沢先生の講義だった。先生に会うのは三人とも久しぶりだ。
「お早うございます」
 席に着いた三人にあいさつをしたのは一人の女子学生だった。彼女は、昨年の秋、大学祭で新平と純と節子に声をかけた、あの女子学生だ。
「お早うございます」
 三人がそろって言うと、彼女は微笑んだ。同じクラスの通信生だったのだ。新平は時々彼女のことを思い出していた。どこかで会っているような気もするのだが、記憶がなかった。
 その女子学生は光村知子という名前だ。特に目立つ存在ではない。目の大きな肌の白い女性である。
 吉沢先生の授業は、『西鶴文反古』から五作品。『万の文反古』のことだ。手紙文はなかなか面白い。手紙文のなかに、どのような人間の心が描かれているかを探るのがこの講義の目的である。
 昼休み、三講目の授業開始のベルが鳴る二十分前に、新平と純と節子は、吉沢先生の研究室へ行った。が、他の国文の学生が先に卒論の指導を受けていた。先生は三人に会釈をした。三人もぺこりと頭を下げた。
「ん? 何かね」
「あの、卒論のことで……」
 純が言った。
「そう。今日は忙しいから、明日来てくれるかね? 昼休みでも放課後でもどちらでもいいよ」
「はい、分かりました」
 新平が言った。
 教室へ向かった。純と節子は卒論の草稿をすでに提出していた。しかし新平はこのスクーリングまでに思うようにまとまらず、まだ提出できていない。平均的に、三、四回の草稿提出のあと、清書が許可される。新平は行き詰まっていた。
 翌日の昼休み、昼食を済ませると、三人は資料のファイルをかかえて、吉沢先生の研究室へ向かった。
 吉沢先生は机で書きものをしていた。新平と純と節子を見て、
「君たちは仲良しだねえ」
 と笑った。
 純と節子に較べると、新平のレベルは低かった。しかし先生は新平の指導にいちばん時間をかけてくれた。
 年表を作って、作家のことをよく知ること。作品そのものにおける転機を見つめること。それは性格的につかむことができればそれにこしたことはない。作家の言動として、一生を通じて変わった面、変わらない面について目を向けること。解説書を鵜呑みにしないで、その論じている内容が、妥当であるかどうかについても冷静に取り組むこと、などといった卒論を書くにあたっての姿勢について、新平は先生に指導してもらった。
「肩の力を抜いて、ゆったりやっていきなさい。気負ったところでいいものは書けないよ」
 吉沢先生は最後にそう励ましてくれた。
「面白い小説やなあ、だけでは済まされへんのやなあ」
 先生の研究室をあとにして、新平が苦笑した。純と節子が笑った。
「がんばろ、新平ちゃん」
 節子が新平の顔をのぞきこんだ。

 この夏のスクーリングは、昨年ほどの新鮮さが新平には感じられなかった。もしかしたら、新平は酸いも甘いも知りつくしているような顔をしているのかもしれない。
 三人は、国文コンパを主催しているグループに、協力してくれませんか、と頼まれた。そのあたりからスクーリングが面白くなってきた。グループには光村知子もいた。
 国文コンパは後半の授業に入った五日目に催された。授業終了後、昨年同様、学食を会場としてはじまった。この日の授業は四講目までだった。
 新平と純と節子は、ゲームを担当してほしいと言われた。テーブルでできるゲーム。マッチを並べたり、硬貨を使用したりするクイズ。前日は、純のアパートで特訓をしていた。三人は、あちこちのテーブルを走り回った。どっと歓声がわくと、新平は嬉しくてたまらなくなった。
 吉沢先生とはゆっくり話すことなどできなかったが、先生は目を細めておいしそうにビールを飲んでいた。三回生の学生たちが先生を囲んで楽しそうにしていた。
 国文コンパが終了すると、時計は午後七時少し前だった。四条まで出て二次会としよう、との声があがり、みんなで出かけた。人数はコンパの三分の一ほどに減っていた。四条の東華菜館へ行く。二次会の会場は店内ではなく、京の夏の風物詩、鴨川の床だ。夜空の天井を仰ぎながら涼をとるのだ。
 新平たちのついたテーブルには光村知子も来た。新平が吉沢先生は? と思ったとき、先生がひょこっと新平たちのテーブルに来た。新平のとなりに節子と純。節子の前に知子、そして新平の前に吉沢先生というテーブルになった。あと三人、同じ四回生がいる。ビールも料理も旨い。
 知子とは時々目が合った。新平は素敵な子だな、と思った。言葉が標準語だと思っていたら、横浜から来たと知子は言った。
 関東にもいくつかの通信制大学があるのに、どうして京都の大学を選んだのかを訊くと、
「京都が大好きだから」
 と知子は微笑んだ。
 知子は新平たちと同い年だった。
 吉沢先生は愉快な話を沢山してくれた。
 『万の文反古』に「京にも思ふやう成事なし」という手紙文があったが、それは、仙台生まれの男が女房を置き去りにして京都へのぼり、十七年間に二十三回も結婚し、身代をつぶしてしまう話である。
「夕暮れになると、ふと女房のことを恋しくなったりするものだが、あの男はそうは思わなかったのかなあ」
 そう言って先生は笑った。
「先生の奥様ってどんな方ですか?」
 吉沢先生のとなりに座っている知子が訊く。
 先生は自分の奥さんの話をした。奥さんが信用金庫から粗品として風鈴をもらってきた。いい音のする風鈴だから、それはそれでよいのだが、
「信用金庫の宣伝屋になったような気がして、外しておくように言ったんだよ。あまりぶらさげておくものではないね」
 先生は顔をほころばせる。
「家内は絵を描くんだよ」
「画家さんですか?」
 節子が言う。
「一応そういうことになってはいるがね」
 先生はビールを飲みながら、目を細めた。
 新平は吉沢先生の歌集にあった、奥さんのことを詠んだ短歌を思い出した。

  わが側に花瓶の花を素描する
  妻を時々偸み見て読む

 「家内は私のことを若い若いと言うんだ。だからどこへ行っても年齢は白状しないように、と言われているんだよ」
 テーブルは大爆笑。
「でも先生は本当にお若いですよ」
 知子が言った。
「どうもありがとう」
 先生は最敬礼するように言った。
「光村さん、去年、大学祭に来てましたよね。そのために横浜から?」
 節子が訊いた。
「洛北大学の大学祭を一度見てみたかったの。京都には親戚がいるんです。私、度々、京都へ来ているんです」
「僕は横浜へ行ってみたいな」
 純が言った。
 新平は、いい大学時代を送ることができていると思った。友人にも先生にもめぐまれている。ビールのせいもあるが、新平はすっかり気分がよくなっている。夜空の天井を見上げた。涼しい風がわたった。思わず脚を伸ばしてみたくなることが度々あった。吉沢先生に当たってはいけないと思って、新平は何度となく、知子の足に自分の足をぶつけた。その度に彼女にあやまった。知子は、
「いいんですよ」
 と、その度に微笑んだ。

 四回生の夏のスクーリングが終わると、新平はとにかく卒論の草稿を書きはじめた。純は教員採用試験の一次にパスした。その通知が届いた日に、新平の小説が載っている文芸研究機関内発行の雑誌が送られてきた。新平は二十冊注文した。節子は、二月の大学院入試の受験勉強に励んでいた。
 ある日曜日。新平は大学の事務局に用があり、バイクに乗ってでかけた。その用事が済むと、大学から北山通りをバイクで走り、資料館へ向かった。資料館で草稿を書くのだ。
 新平はふと、冒険心がさわいだ。北山大宮あたりで、
(吉沢先生のお宅をさがしてみよう)
 と思ったのだった。
 新平は、吉沢先生の住所を覚えていて、大体先生がこのあたりに住んでいるのを知っていた。バイクを停めて歩きはじめる。
 歩いていると、小さな書店があった。そこで毎月買っている雑誌を一冊買う。その書店の北の方向を歩き、いいかげんに次の筋を右に曲がった。一軒一軒の表札を見ていると、「吉沢一郎」と書かれた先生の家が見つかった。かんたんに見つかったので、驚いたあと、拍子抜けしてしまった。そして新平はそのまま何事もなかったように、東へ向かって歩いた。家の前でじっとしていたりしたら、不審に思われるからだ。

〜7(最終回)に続く〜


 私淑の人(5)
後藤 雄二
2009年8月8日

 吉沢先生とは一時間も話した。
 その後、新平は祇園会館へ行き、映画を三本観た。上映の休憩の時、吉沢先生の色紙を取り出して何度となく眺めた。映画を観終えて外へ出ると、小雨が降っていた。新平は、先生の色紙が濡れると困るので、バッグを左腕でかばいながらバイクをゆっくり走らせ、家へ帰った。
 新平は、吉沢先生にお礼の手紙を書いた。先生に手紙を書きたいと思っていたが、かえって迷惑ではないかと思っていた。だが、先生から色紙をもらって帰る途中、大学の掲示板を見て気持ちが変わった。「通信生の心得」のなかに「先生方の研究室へは積極的に足を運び交流を深めて下さい。ただし、礼儀を失することのないように」とあった。新平はそれを見たとたん、手紙を書こうと思った。
 手紙は大学の庶務係宛に送った。その五日後に、早速吉沢先生からハガキが届いた。新平にとってはその先生からの返事のハガキも宝のひとつになった。二枚の色紙は額に入れて、部屋にかけてある。先輩に聞いたことだが、吉沢先生は大正六年生まれの六十五歳なのだそうだ。そのわりに先生は若い、と新平は思った。

 秋になった。この秋には洛北大学の公開講座がある。今回は講師六人のうち四人が国文学科の先生だ。吉沢先生もそのひとりだ。
 新平と純と節子はその講座に参加することにした。この講座は土曜日の午後二時からである。
 六回の講座の第二回目が吉沢先生だった。「人ごころの文学」という題で西鶴の作品について先生は話した。まったく飾りのない先生だ。先生を見ていると、なぜだか心地よかった。学問を通じて人格を磨くという意味が、先生を見ていると具体的に分かるような気がした。おだやかではあるが、厳しさが見え隠れする先生だ。誠実な印象のあるユーモアも無条件に嬉しかった。
 先生の講座終了後、三人で先生の研究室へ行こうとしたが、
「新平は行ったことあるからええけど……」
「私なんか行っていいものかしら」
「何となく気むずかしそうな先生やんか」
「行きたい気も私はするんやけど……」
 純と節子が言う。
「気むずかしいなんてとんでもない。あんな話し易い先生いいひんで。話も面白いで」
「いい先生は分かっているんやけど、なんか緊張するわァ」
 純がそう言って、結局行かなかった。二人につられて、新平も気後れしてしまった。行ったところで、また気の利いたことが言えなくて小さくなってしまうかもしれない。
「通学生になりたいなあ」
 新平がつぶやいた。毎日吉沢先生に接して、沢山のこと学びたいなあ、と続けた。
「悪かった。僕のせいや」
 純が申し訳なさそうに言う。三人は千本北大路のバス停にいる。
「ちがう、ちがう。純のせいとちがう。僕も行ったところで感想なんか訊かれたら、どぎまぎしてしまう」
「でもいい講義されてたね」
 節子がテキストをぱらっとめくって言った。
「私、卒論は西鶴に決めたの」
「そう。節ちゃんならいいの書けるよ」
 新平がズボンのポケットに両手をつっこんで言う。バッグはベンチの上に置いている。
「純ちゃんは卒論何にするの?」
 節子が純を見上げて言った。
「西東三鬼にしようかな、と思てる」
「どういう作家?」
 全く知らない、という顔で新平が言う。
「俳人でしょう?」
 節子が言った。
「うん。僕は神戸出身やし、何か魅かれるもんがあるのや」
「神戸の人か? 西東三鬼って」
「ううん、ちがう。でも神戸にかかわりのある人や。自伝を読んで感動した。俳句のことはまだよう知らんけど、研究したいと思ってるんや」
「僕は西鶴はあきらめた。今日の講義でも思ったけど、何を研究したらいいのかが全く見えてこない。勉強が足らん証拠や」
「私だって何も分からへんわ。新平ちゃんがそんなこと言うたら心細くなる。決心がゆらいでしまう」
「節ちゃんなら大丈夫や。絶対大丈夫や。なあ、純、そやろ」
「うん。節ちゃんは新平を気にせんと西鶴やるべきや。新平には木山捷平が合うてる」
「木山捷平にするの?」
「うん。そうなると思う」
 まだ話し足りない三人は、あぶり餅を食べに行くことにした。この紫野の町には、今宮神社があり、その東門前には、有名な二軒のあぶり餅屋「一和」と「かざりや」がある。三人はよく「かざりや」へ行った。

 五回目の講座は和歌文学の先生の講義だった。新平と純と節子は、毎回出席している。
 講座が終了し、会場がざわめきはじめると、新平は大きなあくびをして、テキストを閉じた。
 席を立って三人で出口へ向かおうとした時、吉沢先生の姿が新平の目の中に飛び込んできた。出口の近くに先生は立っている。
 先生は三人のほうを見て、ニコニコしている。新平と純と節子は三人そろって先生のそばへ行って深くおじぎをした。
「こんにちは」
「ああ、こんにちは」
 先生は、はにかむように、そしてあたたかい口調で答えた。
「先生の歌集、読ませていただきました」
 新平は、先生の短歌に触れたくて、歌集を書店に頼み、取り寄せてもらった。
「そう。どこで借りた?」
「本屋で手に入れました」
「そう。あれはもう売っていないはずなんだがなあ」
 先生は不思議そうな顔をした。
「君たちも国文かね?」
 吉沢先生は純と節子に訊いた。
「はい」
 二人は答えた。
「名前は何というのかね?」
「関谷純です」
「西山節子です」
「そう。君は長部君だったね」
 先生は新平を見て言った。
「はい」
「先生も今日の講座にご出席なさっていたのですか?」
 純がぎこちない口調で訊いた。
「ああ、そうだよ。興味深いお話だったね」
 新平と純と節子は、吉沢先生と一緒に歩いた。会場のあった五階から、階段の道を先生と話しながら歩いた。一階まで歩き、先生が研究室へ戻る方向へ来たとき、吉沢先生は立ち止まった。にこやかな顔で言った。
「もう帰るのかい? よかったら来なさい。ココアでも入れてあげるよ」
 三人で顔を見合わせてから、
「おじゃまさせていただきます」
 と新平が言った。
 ゆったりとした感じで歩く先生のあとを三人はついて行った。
 吉沢先生は通信生の新平たちを大事に思ってくれた。もとより、先生にとっては、通信生も通学生も洛北大学の学生にはかわりはないのかもしれない。新平は一生懸命勉強しようとさらに思った。吉沢先生に会うたびに勇気がわいてくる。意欲があふれてくる。

 十一月の大学祭に新平と純と節子は初めて出かけた。吉沢先生の研究室でココアをごちそうになったとき、先生は新平に大学祭のパンフレットをくれた。三人でそのパンフレットを見ていた。模擬店の案内のページの「国文学科有志」とあるところには、赤のボールペンでしるしがつけてあった。吉沢先生がしるしたのだろう。いい先生なんだな、と新平は思った。
 グラウンドでニューミュージックの女性シンガーのコンサートがあった。焼きそばとジュースを持ちながら、新平と純と節子はグラウンドへやって来た。知っている人には全く会わない。会ったのは弟だけだ。新平は冷静になって考えてみた。大学で弟に会ったのは初めてだということに気がついた。
「こんにちは」
 突然、三人は声をかけられた。全然知らない女子学生だ。その女子学生は一礼すると、三人の前を通り過ぎて行った。
「だれや」
 純が言った。
「知らんなあ」
 新平も不思議な感じの口調だった。
「きれいな人やったよ」
 節子が二人を責めるように言う。
「新平のほうを見てたで」
「ちがう。純のほうを見てたんや」
 実際、新平も純も節子も知らない女子学生だった。目の大きな、明るい感じの女子学生だった。
 コンサートが終わると、三人はいくつかの展示を見に行った。書道部の展示が愉快だった。会場に入ると、一人の女子学生がひとつひとつの作品を説明しながら案内してくれた。書道部は国文学科の学生ばかりではなかったが、その女子学生は国文の学生だった。新平たちが国文の通信生だというと、教授たちのこと、授業のことなどをざっくばらんに話してくれた。

〜6に続く〜


 私淑の人(4)
後藤 雄二
2009年7月11日

 新平たちは、ダンスが上手くて首にレイをかけられたわけでは決してなかった。赤ん坊を抱いたこの一回生の女性のことがほほえましくて、新平たちにレイをかけてくれたのだろう。 
 ディスコ大会がおわると、新平は純と節子のところへ行った。 
「面白かったよ」
 節子が笑って言った。
「賞品は何や?」
 純が、新平がステージでもらった小さな箱を指さした。
「あけてみるか?」
 純に手渡すと、彼はその箱の包みを外し、中のものを取り出した。アラーム付きのデジタル時計が入っていた。長方形のうすい、小さな時計だった。純があれこれいじくっていると、ピピピピ、ピピピピ、……と鳴りはじめた。
「いい音やね」
 節子が言った。
 新平は嬉しかった。仲間が沢山いて、その中にいる自分が嬉しかった。大学が自分をすっぽり包んでくれているような気分だった。

 後半の講義と試験が済むとスクーリングはおわった。学生たちはそれぞれの職場に戻る。
 何日かして、新平は大学へ行った。専門科目のスクーリングは終了したが、大学はまだスクーリングの真っ最中だ。このスクーリングで新平は初めて大学の図書館を利用した。ある時、木山捷平の小説がないか、と調べていたら、全八巻の全集が書庫にあった。
 新平は、木山捷平個人の全集では全二巻のものしか手にしたことがなかった。他にいくつかの作品集数冊を知っているだけだった。市内どこの図書館へ行っても、その全八巻の全集は見当たらなかった。
(灯台下暗し……か)
 すぐに大学にあたるべきだった。何しろ大学へ行くのは日曜日がほとんどだったので、図書館に入ったことがなかった。日曜日や祝日は分室しか開いていないのだ。
 大した用もないのに大学へ来たのは、いい夏を過ごせたから、何となく、大学の空気を吸いたくなったのだ。
(吉沢先生の研究室へ行ってみようか……)
 突然、こんな考えが浮かんだ。そう思い始めると、身体が緊張してきた。何を話したらいいのだろう。
 新平は、いつの日からか、先生の言葉を色紙に書いてもらいたいと思うようになっていた。バッグの中には、二回生の冬に読んだ機関誌がいつも入っていた。
 購買部で色紙とサインペンを買って、新平は途中で何度かためらいながらも、研究室の前までやって来た。
 吉沢先生の研究室は先生が在室の時はいつもドアが開いたままになっている、と先輩の誰かが言っていた。そのとおり、ドアは開いていた。入って二、三歩の正面に書棚がある。室の中は見えない。少し右へ歩いてやっと室の中が見えるのだった。
 新平は書棚の前で、
「失礼します」
 と言った。わりと大きな声で言った。
「はい。どうぞ」
 すぐに吉沢先生の声が返ってくる。
 新平はそのまま右へ歩いた。小さな台の上に、三十周年のパーティーで学生たちが胸につけていたバッジが置いてある。
 先生の姿が見えた。安心と緊張がからみあった。安心したのは、先生が新平を見て、おだやかな顔をしたからだった。
「何か?」
 応接のソファーに座り、本を読んでいた先生は、入ってきた新平にそう言った。
「あの、先生に色紙を書いていただきたくて来たのですが……」
 恐縮して新平は言った。先生のそばへ行き、色紙とサインペンを差し出した。先生は、ほっ、ほっ、とふたつ笑って、手に取ってくれた。
「こんなもの書いたことないよ」
 先生は言いながら、二枚の真っ白な色紙を眺めている。
 新平の中に安堵が宿った。正直言って、先生に断られてすごすごと帰ることになるのではないか、という気にもなっていた。
「何を書こうか」
 先生がぽつりと言った。
「あの、これに載っている先生のお言葉をお願いしたいのですが」
 新平は例の機関誌を差し出した。
「ああ、これ」
 先生は笑った。
「しかし、ペンよりも毛筆のほうがいいんじゃないか。いや待てよ、ペンのほうが楽でいいな」
 新平はそれを聞いて、安易にサインペンを持ってきたのを恥じた。
「書くのは夕暮れの涼しい頃がいいね」
「はい。先生のご都合のよい時で構いません」
「君は何という名前かね?」
「長部新平です」
 先生はソファーから立って、紙とボールペンを取りに行った。新平はそれを受け取ると、名前と電話番号を書くように先生に言われた。
「明日、ここへ来られるかね?」
「はい」
「そう。書けたら、連絡するよ」
 新平は、しばらく吉沢先生と話していた。次第に気持ちが和んでいくのだった。

 アルバイトはたまたま二日間休みだった。翌日、新平はやけに早起きだった
吉沢先生からの電話を心待ちにしていた。
 十一時半ごろ、先生から電話があった。新平が出ると、先生は、
「うまく書けなかったけれど」
 と言った。
 午後、新平はバイクに乗り、躍るような気持ちで吉沢先生の研究室へ行った。
やはり、研究室のドアは開いていた。
「失礼します」
「ああ、どうぞ」
 先生の声が聞こえて、新平は室の中に入った。先生は机に向っていた。新平の顔を見ると、
「うまく書けなかったけれど」
 と先生は、はにかむように電話と同じことを言った。その言い方が先生らしくて、新平はいいな、と思った。先生のそばへ行き、二枚の色紙とサインペンを受け取る。新平がなぜ色紙を二枚持って研究室へ来たかを言うと、それはただ先生が書き損じた時のことを考えただけのことだった。新平は先生の前で、二枚の色紙を見た。一枚はサインペンで書いてあったが、もう一枚は毛筆で書いてあった。その言葉はこうだ。

  人物であれ作物であれ、
  それがほんものだと思ったら、
  進んでそのほんものに接し、
  ぶつかることだ。
  それが自分の人生をほんものにする。

 新平の心の中にすでに刻みこまれている先生の言葉だ。最後に先生の名前が書いてある。その色紙を見て、新平の身体の中は感激でひどくつっぱったような状態になった。
「ありがとうございました」
 新平が深く礼をすると、先生はソファーをすすめてくれた。
「色紙が二枚あったので、二枚とも同じ言葉を書いたけどよかったのかな?」
「はい。毛筆はやはりいいものですね」
「そのサインペン、細くて書きにくいよ」
 先生は机に向かったまま、笑った。先生の顔は健康的でつやつやしていた。少々太っている先生はふくよかな印象がある。クーラーのない研究室だったが、窓からさわやかな風が時々ながれてきた。この研究室は二階にある。
 新平は、応接のソファーに座りながら、やや右ななめを向いて、机に向かっている先生と対面し、話し始めた。
「でもそんなもの一体どうするのだね?」
「一生の宝にします」
 先生は大笑いした。
「でも先生の色紙をもっていることを友人たちに言ったら、みんな欲しがると思います。特に先輩たちが大変だと思います」
「どうして?」
「先生にはファンがいます」
「ファン!?」
先生はおどろいて、また笑った。
「ぼくのどこがいいのかねえ」
 面と向かっては言いにくい。
「先生の講義は本当によかったです。他にもいい先生はいらっしゃいますが、僕は先生の講義が一番面白かったです。僕は何よりも先生のお人柄が好きなんです」
 言いながら少々照れてしまう。
「どうもありがとう。通信生はみな純粋だね。今年も大勢よくここへ来てくれて、とても愉快だったよ」
 先生の座っている左側には洗面所がある。蛇口は先生の手の届くところにある。先生は時々左手で蛇口をひねって、ジャージャー水を出しながら新平と話した。
 吉沢先生は、文学を研究するには、作品の読み方を学ぶことがまず大切だと言った。新平にはその「学ぶ」というのが抽象的でよく分からなかった。それを問うと、先生は、音楽・演劇・絵画・映画などの芸術にふだんから触れ、精神の滋養につとめることもひとつ大切なことだろうと言った。学生が読書をするのは当たり前のことで、時々いる、趣味が読書だという学生には閉口する、とも先生は言った。新平は、自分は今まで読書が趣味だと言ったことがなかっただろうかと思い返した。
 新平は映画を観ることが最高に好きだった。名画座に通い続けて年に百本ぐらいは観ている。好きな映画館は祇園会館と京一会館。小説を書き始めてから、映画をよく観るようになった。文芸研究機関に加わってからはより一層、様々な感覚が文章に現われてくるのを実感した。それにもれず卒論もあるのだろう。木山捷平にしても西鶴にしても、その真実の人となりをつかむためには、こちら側に物事を見る力と感覚がなくては当然だめだろう。

〜5に続く〜


 私淑の人(3)
後藤 雄二
2009年6月9日

 新平は、講義をする先生をみていて、先生は西鶴のことが好きで好きでたまらないんだな、とつくづく思った。そして先生のことがとても羨ましくなった。西鶴のことをあれほど情熱をこめて語れるなんて、と思った。
 先生にとっては西鶴あっての人生なのかもしれない。
 はじめての吉沢先生の授業が終わったとき、新平は節子と純をとなりにしながら、
「やっぱりいい先生やなあ」
 と思わず声に出して言ってしまった。そのとき、
「君もそう思われますか!」
 と共鳴した学生が何人か新平のそばにきた。吉沢先生は結構人気があるようだ。
「私も吉沢先生のファンになった」
 節子が新平の顔をのぞくようにして言った。
 通信生独特のものかもしれないが、日頃容易に会うことのできない教授たちにファンクラブのようなものがあったのは事実だった。
「これから吉沢先生の研究室へ行くのですが、よろしければ君もどうですか?」
 新平のそばに寄ってきた学生は、男三人女二人のグループだ。新平はその誘いに瞬間行ってみようかと思い、節子の顔を見たが、結局気後れして、笑いながら、
「またにします」
 と断った。

 前半の講義と試験が済み、スクーリングに慣れてきた土曜日のことであった。授業は午前中でおわった。午後からは四回生の代表が卒論の研究発表をする会が催された。国語学、上代、近代の三人の四回生が研究の成果を披露した。
 新平はそれとなしに木山捷平を卒論にしようと思っているが、吉沢先生の講義を聴いて、絶対西鶴だ、という気持ちにもなっていた。しかし、まだ何も分からない。それゆえに、四回生の研究はかなりの力の入れ様だと新平は思ったが、指導の先生は、それぞれ酷評をした。
 新平は教室中央の最後部の座席についていた。机の左端に座り、右どなりには節子と純が座っていた。
 しばらくすると、新平のとなりに誰かが座った。通路をはさんだとなりにである。チラッと見ると、それは吉沢先生だった。先生が指導している学生は発表しなかったから、ゆっくり途中から来たのだろう。
 新平は緊張し始めた。何か話そうか。そう思ったが何も話すことがない。新平の目は前方かそれよりも右へしか向けられなくなった。時々、脚を組んでいる先生の左足が新平の視界に入ってきた。靴をぬいだくつ下の足だった。
「新平、吉沢先生や」
 純が小声で言った。
「うん。そやね」
 純のほうを向いて新平は言った。
 純と新平の間に座っている節子は何だか小さく見える。
「私、卒論、井原西鶴にしようと思ってるの」
 節子がポツリと言った。
「そう。そしたら吉沢先生にみてもらえるね」
 新平が小声で言った。
「うん。新平ちゃんは?」
「まだ分からへん」
「木山捷平やろ?」
 純が言った。
「まだ分からへん。西鶴も面白そうやし」
「二人とも西鶴か」
 純がそう言ったとき、吉沢先生がふっとこちらに向いたのが分かった。三人はそろって小さくなって、研究発表のつづきを聴いた。最後部の座席に吉沢先生と四人でならびながら。
 発表会がおわると、学内食堂の一角をかりて、コンパがあった。四回生たちは「国文コンパ」と言って参加を勧めていた。
 テーブルにつくと、男子学生が少ないので、新平と純はやたらビールを飲まされた。節子はとなりに座っていた七十歳ぐらいのおばあさんと仲良くなっていた。おばあさんの皿に料理をとってあげている。
 学生たちは、みんな明るく活気があった。ひと夏の思い出を大切に作っている。ゲームをやっているテーブル。討論会のようなテーブル。笑い声の絶えないテーブル。みんな通信制の仲間だ。
 新平は瓶ビールを手に持って、そんなみんなに注ぎにまわった。吉沢先生のいるテーブルにもまわった。
「先生、一杯いかがですか?」
 新平が瓶ビールをかたむけると、先生は、
「もうたくさん飲んだよ」
 と言ったが、快くコップを持った。
 新平はその時、初めて吉沢先生と言葉を交わしたのだった。

 新平と純と節子の三人が夏期スクーリングに参加した年は、洛北大学に通信制がおかれて三十周年の節目であった。
 国文コンパがあった日の翌日の日曜日は、三十周年を記念する様々な催しがあった。講演会、写真展、パーティー、……。大学は学園祭のようでもあった。
 大講堂を会場としたパーティーでは立食でビールを飲んだ。三人で出席すると、胸に三十周年記念のバッジをつけられた。かくし芸ありカラオケあり。やはりふつうの大学とはちょっとちがう。慰安旅行にでもやってきた気分だ。
 ビールを飲みながら楽しんでいた新平は、出入口の扉があいて、吉沢先生が入ってきたところを見た。先生は会場を見回して、立っていた。
「吉沢先生や」
 新平が言うと、純も節子も先生に気づいた。
「行こう」
 三人で先生のそばにかけよった。純は手にフライドチキンを持っている。
「こんにちは!」
 三人そろって言った。
「ああ」
 先生は少しおどろきながら、三人を見た。
「僕たちは国文の学生です」
 新平が緊張した面持ちで言った。
「ああ。そうかね」
「先生、ビール、持ってきましょうか」
 新平が言った。
「ああ、あるかな」
 新平はすばやくテーブルへ走った。派遣のホテルのボーイに、紙コップのビールをもらい、すぐさま先生のところへ戻った。
「どうぞ」
「ああ、どうもありがとう」
 三人は何を話してよいか分からず、少々うろたえてしまった。吉沢先生はおいしそうにビールを飲む。
「先生はS先生に歌をお教わりになられたんですね」
 文学史に名を残す、誰もが知っている有名な歌人のことだ。S先生の「先生」の部分が気恥ずかしかったが呼び捨てにはできなかった。
「ああ、あれ読んだ?」
 先生は新平の言ったことに、にこっとしながらビールを飲んだ。
「僕は二回生のときから、先生の講義を楽しみにしていました」
 新平は照れたように言った。
「そう。それで実際にどうだった?」
「とてもよかったです」
「私も感激しました」
 節子が明るい口調で言った。
「そう。それはよかった」
 新平は自分がもどかしくてならなかった。もっと気の利いたことが言えないのか。
 吉沢先生と話をしたのはそれだけのことだった。
 ディスコ大会がはじまった。
 まさか大学でディスコが踊れるなんて、思ってもみなかった。どこからか軽音楽のバンドもやって来た。
 新平は踊りまくった。自分はこの洛北大学の学生なんだと思うと、すごく嬉しかった。踊っていると、色んな人が新平の前にきて踊った。節子と純はどこへいった? さがしながら、自分の前に来る人来る人に、新平は笑顔を見せた。最後、新平の前にきたのは赤ん坊を抱いた女性だった。踊っていると、新平とその女性は突然ピンク色のレイを首にかけられた。
「どうぞステージへ」
 レイをかけたのはディスコ大会の進行係の男だった。言われるままにステージに上がる。また踊りはじめる。何組かの男女が同じように首にレイをかけられて、同じように上がってきた。どうやら踊りの上手い人が選ばれているようだ。
「いくつですか?」
「は?」
「年はいくつ?」
 赤ん坊を抱いた彼女が声を大きくして新平に訊いた。彼女は赤ん坊をあやしているのか、ダンスに夢中になっているのか分からない風だった。もしかしたら、その両方かもしれない。
「二十一歳」
「へえ、私と同い年ですね」
「もうすぐ二十二になるけど」
「へえ、そしたら一つ年上ですね」
 彼女は、赤ん坊を抱いているせいか、新平には年上に見えた。しかしよく見るとまだなんとなくあどけなさが残っている。かなりハードな音楽で踊っていたが、赤ん坊はスヤスヤ眠っていた。
「一回生ですか?」
 彼女は新平に訊いた。
「ううん。三回生です」
「私は一回生です」
 音楽が止まった。ステージに上がっている何組かの男女はひと組ずつ司会者に質問された。
「赤ちゃんのお父さんですか?」
「いえ、そんなこと、とんでもないです」
 新平の答えに、会場がどっとわいた。純と節子が大笑いをしているのが見える。  

〜4に続く〜


 私淑の人(2)
後藤 雄二
2009年5月15日

 二回生の後期日曜スクーリングは、英語二科目とフランス語二科目の計四科目だった。純と節子は、四科目ともストレートに合格した。しかし、新平は英語一科目しか合格できず、残りの三科目は再試を受けて何とか単位をとることができた。
 洛北大学での勉強は、通信制だからほとんどがレポート作成の学習だ。これが大変でいつのまにか退学する人が多くいる。自然消滅のように大学に籍がなくなってしまう。
 新平は入学した当初、システムがよく分からないで、やっかいな大学に入学してしまったと思うことがあった。しかし純と節子に知り合うことができて、要領がつかめるようになった。純と節子は二人とも勉強家だった。いつしかこの三人は絶対四年間で卒業しようと励まし合える三人になっていった。理解しにくい科目は三人で学び合った。時おりそれは討論会のようになった。新平にとって純と節子はつねに尊敬できる学友だった。
 新平は三回生になると、東京のある文芸研究機関に籍を置くことになった。高校生の頃から文章を書くことが好きだった新平は、卒業後ひそかに小説を書き始めた。本格的に学びたいという気持ちが徐々にふくれあがり、作品を提出する研究生になったのだ。 
「新平はいい文章を書くなあ」
 時々純がほめてくれた。これは担当の教員からレポートが返ってきて、新平の点がよいことが多くあったからだ。三人は学習について話し合うことはよくあったが、安直に他人のレポートを写して提出するようなことは決してなかった。
「内容的にはほぼ同じことが書いてあるんやけどな」
 純が頭をかきながら言う。新平がAをもらっても純や節子はBやCということはよくあった。新平もそんな中でレポートを書くのが楽しくなっていった。
学習の仕方が身についてくると洛北大学の価値が見えてきた。
 レポートを提出するとその科目の試験を受けて単位を取る。不合格になると、合格するまで何度でも受験することになる。新平はよく失敗した。大学だな、と思った。新平は人が一度でパスするような科目でさえ、二度三度と受験していた。
 三回生になると、一浪していた新平の弟が洛北大学の通学制に入学してきた。弟の専攻は社会学だったが、弟が大学に入ったことによって、新平のささやかな大学時代に彩りがそえられるようになった。大学での様々な情報が豊富になったからだ。弟は新平の先輩のような存在になった。

 三回生のスクーリングは夏期を選んだ。それは昨年の夏期スクーリングに一日だけ参加した新平がそのときに決めていたことであった。二回生のための卒論指導会が一日だけあったのだ。純と節子は参加しなかった。
 夏期スクーリングには盛大な印象があった。全国から学生がやって来るから大学は最高に賑やかだった。来年は参加するぞ、と思った。
 その卒論指導会で新平は、吉沢一郎先生に初めて会った。国文学科の教授だ。
 卒論指導会だからきっと国文の先生が来るのだろうと思い、新平は出席した。専門科目は三回生からだから、新平は国文学科の先生を誰ひとりとして知らなかったのだ。
 吉沢先生は教室の後方の入口から入って来た。通信制というのは、新平たちのように若い者も結構いるが、年配者も多い。新平は机間を歩いている先生のことを、その年配者のひとりだと思った。ネクタイのないワイシャツのその人が、矢庭に教壇に立ったものだから、新平は拍子抜けした。
 はにかむようなニコニコ顔で先生は教壇の椅子に腰かけた。事務局の職員が指導会の説明をし、先生による指導が始まった。
 吉沢先生は口数の少ない、必要なことだけを話す先生だった。新平は発言など何ひとつできなかったが、学生と吉沢先生とのやりとりを見ていて、ごく自然に、
(いい先生だな)
 と思った。
 先生は厳しそうな顔つきをしながら学生の言葉に耳を傾けていたが、なぜか目は笑っていた。ほっと安心できるやさしい目だった。話し方はおだやかで、声は小さい。にもかかわらず時に豪快に笑った。学生がおもしろいことを言った時だ。
 大学教授とは思えない庶民的なあたたかさをもっている先生の存在に、新平は感激した。そして、つい一ヵ月ほど前に読んだ文章を思い出した。それは通信生用の機関紙が毎月発行されているが、その紙上にあった随想だ。
 その随想を読んだとき、新平は味わい深い文章だと思った。吉沢先生に会ったとたん、その文章を新平が思い出したのは、国文学科の先生が書いたものであることを覚えていたからだ。何という先生の文章であったかは覚えていなかった。
 帰宅し、早速調べてみると、その随想を書いたのは吉沢先生であった。新平は、おそらく吉沢先生の文章だろうとなぜか思っていたが、それをたしかに知ると、感動で身体がふるえた。
 その文章には、ある意味では学術的に、また別の意味では生活感のあふれた先生の素顔がそれとなく見えた。
 先生は、夏の夜、家の塀の外の道に立ってよく空を仰いだのだという。それは三十年前の話を書いているのだが、そうした夏の夜、澄みきった夜空には銀河が美しく見えたという。先生は毎夜、夢中になって銀河を眺めた。銀河に吸い込まれるような状態になって、時として、家の塀の外でよろめいた、とも書いてあった。先生の自宅の塀の内には大きな一本の百日紅の木があり、それが先生宅の目印だということも書いてあった。
 新平は、あらためて、吉沢先生の随想を読み味わった。よい文章と魅力のある人柄。素晴らしい先生に出会えた。
 吉沢先生のいるこの洛北大学の国文学科で絶対に力をつけていこう。どんなに力が及ばない状況にあってもへこたれずにやり抜こう。新平は決意した。力がみなぎってくるのだった。
 また機会があれば吉沢先生の文章を読んでみたい、と思っていた新平だったが、その二回生の冬に先生の文章を目の当たりにすることができた。季刊の通信生用の機関誌が届けられたのだ。
 吉沢先生は歌人でもある。東京での学生時代、先生は、ある有名な歌人の弟子の一人として歌を勉強していた。その歌人の弟子であった思い出話が、その機関誌に載っていた。四ページにわたるもので、新平はじっくり味わって読んだ。
 その機関誌の「巻頭言」として、吉沢先生の言葉があった。自分の人生をほんものにするひとつの方法として、先生は、人物であったとしても、作物であったとしても、とにかく自分がそれに対して、ほんものだと感じとれるのなら、迷うことなく、進んで接してぶつかっていくとよい、その一点が大切だ、という意味の警句を載せた。
 新平は、先生からその言葉を直接もらったかのように、自分の中であたためていった。いい言葉だと思った。いつの間にか暗記していた。
 ふとしたときに、その言葉が思い浮かんできた。慌ただしい日常であったとしても、じっくり物事を考える瞬間が得られた。吉沢先生とは話をしたこともない。先生のことを多くは知らないが、新平は、この頃から少しずつ吉沢先生の影響を受け始めていた。先生の人間性に触れたいと思っていた。
 待ちに待った三回生の夏期スクーリングが開講された。
 新平が、三回生は夏期を選ぶと言ったとき、純も節子も、
「面白そうやね」
 と同意した。
 新平が言い出したことではあるが、機関紙などをみて、二人も夏期に魅力を感じていたようだ。
「コンパなんか、盛大らしいしね」
 純が言った。
 吉沢先生の講義の初日は、スクーリングが始まって二日目の午後にあった。
 教室では、三、四回生が同じ講義を受けた。そのため、誰が三回生で誰が四回生なのかは分からない状態だ。なかに、酸いも甘いも知っている風な人がいるが、その人は多分四回生だろう。講義内容は毎年変えられていて、重複することはないようになっていた。
 吉沢先生は、近世文学の専攻で、西鶴研究の権威である。講義内容は『世間胸算用』から三作品、『西鶴置土産』から三作品であった。限られた時間でなかなか思っていることの半分もできないと思うが、とにかく作品にじっくり取り組んでいきましょう、と先生は言った。

〜3に続く〜


 私淑の人(1)
後藤 雄二
2009年4月1日

 新平が木山捷平を読もうという気持ちになったのは、ひょっとしたら単なる偶然なのかもしれなかった。新平は二十一歳になっていたが、それまで多くの小説を読んできたわけではなかった。いくつかの小説は読んだには読んだが、それらは大した感動を新平に与えてくれたわけではない。そのなかにはすぐれているとされている作家の作品もあった。しかし傾倒できる作家に出会うことはなかった。それは新平がひとりの人間として、まだまだ若かったことにも原因があったのだろう。
 木山捷平という作家は、正直言ってマイナーな作家だ。ためしに市立図書館で木山捷平が亡くなった当時の新聞記事をマイクロフィルムで見たが、写真こそ載ってはいたが小さな記事だった。あまりマイクロフィルムをキュルキュル回したものだから目が回りそうになったのを覚えている。
 昭和五十六年、二回生の秋のことだった。新平は生きていることが愉快になるような、そんな思いにひたらせてくれる作家を求めていた。図書館の小説を片っ端から読んでいけばいいのだが、それは骨の折れることだった。
 市立図書館のなかで、新平は書棚に目を凝らしながら、そんな小説との出会いを待っていた。が、どの作家がどんな作品を書いているのか、さっぱり分からない。
 案内書のようなものはないか!
 安直にも、新平は評論のコーナーへ歩いた。作家と作品が手軽く分かる本はないか!
  奥野健男著『素顔の作家たち−現代作家132人−』
 こんな本が目についた。
 新平はそれを読み始めた。この本一冊読めば、沢山の作家のことが分かるだろう。作家の名前と顔写真がある。その下に略歴。そして奥野氏の文章へと続く。知っている作家、知らない作家、さまざまだ。
 読みすすめていくと、新平は二十九番目の木山捷平という作家のところで、何かしらひらめくものを感じた。知らない作家だが、写真顔を見て、妙な愛着と親しみを抱いた。

 新平は奥野氏の文章を読んで、この作家の小説を読んでみたいと思った。木山捷平と奥野氏は親しい間柄であったらしく、その文章は木山捷平の人柄を絶賛している内容だった。新平は木山捷平の小説をとにかく読んでみたくて、いてもたってもいられなくなった。

二回生の秋から冬にかけて、新平は木山捷平のいくつかの作品を読むことができた。
思っていたとおりの作家だった。木山捷平の語りで本当に生きているのが愉しくなった。いい人に会ったという気分だった。
ずいぶんふざけた感じの文章もあった。はじめ、こんな小説があってよいのだろうか、と思いもしたが、次第にそのふざけが通じるようになった。飄逸味があるのだ。
純も節子も新平が夢中になって木山捷平を読むのを見て、
「新平が感激するのは吉沢先生の文章だけかと思たら、なんかまた面白そうなんみつけてきたやん」
 と笑った。
 授業がおわった冬の日曜日。教室の最後列に座っていた新平のところへ、別の教室で英語の授業を受けていた純と節子がやって来たのだった。
 この洛北大学に入学したときは不安だらけだった。新平は情報処理の勉強がしたくて経営学部志望の受験生だったが、一浪しても合格できなかった。大学への道をあきらめかけていたとき、姉夫婦がそろって新平のために来てくれた。姉夫婦は洛北大学を卒業した。この洛北大学には通信制があるが、もしがんばれるのなら、入学してみるといい、と勧めてくれた。新平にとっては考えたこともない通信制だったが、資料をとりよせると大きな魅力が感じられた。すぐに願書を出した。入試はなく書類だけの選考だ。入学は決まったが、新平は文学部国文学科に入った。洛北大学には経営学部はなく、新平はもうひとつ興味のあった国文学を選んだのだった。
 新平はフィルムの現像所でアルバイトをしながら大学の勉強を始めた。システムがよくわからないまま、日曜スクーリングが始まった。洛北大学には夏期スクーリングと日曜スクーリングの二種類があったが、新平はアルバイトを休みたくなかったので、日曜スクーリングを選んだ。
 日曜スクーリングの初日は、初めて大学で授業を受けるということで心なしか緊張していた。学生は多かったが、友達はできなかった。一週間後、二回目の授業を受けた日に純と節子に知り合えた。
 その日、大学に着くと教室はすでに学生でいっぱいだった。教室後部の出入口を入ってすぐの席に新平は座った。授業は一般教養科目だから、色々な学科の学生がいる。新平の左どなりに純が座っていた。授業が始まると、学生証を机上に置くように、との指示があった。純の学生証が新平の目に入った。
(この人、国文学科やな……)
 新平がそう思っていると、ふと純が新平の顔を見て、
「国文?」
 と言った。
 純もそれとなく、新平の学生証に目を向けていたのだ。新平はうなずいた。
 授業開始二十分。
「あの、少しつめていただけますか」
 遅刻してきた者がいる。それが節子だった。新平は純にうながし、一人分のスペースをつくった。
「どうもすみません」
 申し訳なさそうに節子は細い身体を席に着かせた。
 節子も国文の学生だった。
 一日、教室の最後列の席で三人は時間を共にした。知らず識らずのうちに三人は意気投合し、打ち解け、授業が終わって帰途につきはじめても談笑していた。
「あの、よかったら僕の家に来いひんか? 歩いて十分ほどやから」
 純が言った。
 新平は嬉しかった。大学といっても通信制だ。友達をつくろうなどとは思わないようにしよう。人との出会いを心から待ち望んでいる自分がいるのに、それを無理に押し殺そうとしていた。新平はハッとした。通信制はややもすると孤独になりがちだから、スクーリングもあるのだという気がした。
 節子は物静かな性格だが、笑みをつねにたたえている印象がある。純の誘いかけに自然にこたえた。通信の学生だという共通点がそうさせるのか、それはたやすくは分からなかったが、何となし信頼感のようなものがあった。
「ビール買っていこう。乾杯したいんや」
 純は愉しそうに笑った。
 四畳半と六畳の部屋と台所とトイレ。純の一人暮らしのアパートだ。整然とした部屋に純の性格を見る思いがした。
「お風呂は?」
 節子が訊いた。
「銭湯。すぐ近くにある」
 純は部屋の窓を開けて、ほら、と言った。
「ほんまや。煙突が見える」
 節子が笑った。
 新平は純の部屋を眺めながら、自分があこがれている世界を実際に見た気になった。
「一人暮らしのアパートて、ええね」
 新平がそう言うと、純はそうかあ? と言いながら、二人を四畳半のテーブルにつかせた。テーブルといっても、家具調こたつのことだ。
「そしたら、知り合ったのを祝って乾杯といこう。乾杯!」
「乾杯!」
 純の音頭で新平と節子が缶ビールをあわせて鳴らした。
「私、未成年やった。でもおいしい」
 節子が言った。
「僕もそや」
「僕もまだ十九歳や」
 純と新平が続けて言った。
「私、昭和三十五年生まれ」
「僕も」
「僕もや」
「そしたら、みんな今年で二十歳やん」
 節子が嬉しそうな顔をして言った。
「節ちゃん、そう呼んでいい?」
 新平が言った。
「うん」
「節ちゃんは、どこから来たん?」
「下京区」
「どのへん?」
「東本願寺の東側。家はお茶屋さんやってるの」
 新平の問いかけに節子はこたえた。
「じゃ家を手伝ってるの?」
「うん。一日ほとんど店番やってるの」
 純の問いかけに今度はこたえた。
「この部屋、カーテンないのね。六畳の部屋にはいいカーテンがあるのに」
「カーテンって結構高いんやで。六畳のほうはちゃんとできたけど、この部屋はそのうちにと思てたら、いつのまにか忘れてしもてたわ」
 純が言った。
「どれぐらい住んでんの?」
 新平が訊いた。
「丸一年かな。神戸から出てきて、こっちの出版社で働くことになったんや」
「そう。僕はアルバイト。写真のフィルムの現像所で」
「新平ちゃん、て呼んでいい?」
 節子が言った。
「ああ、いいよ」
「新平ちゃんはどこから来たの?」
「伏見区」
「の?」
「醍醐」
「私、醍醐寺三宝院に行ったことあるわ」
「すぐ近くやで。小学校んとき、写生会ていうたらいつも三宝院やった。五重の塔、仁王門、何回描いたか分からんぐらいや」
「純ちゃん、て呼んでいい?」
 今度は純にむかって節子は言った。
「うん。どうぞ」
「ふーっ。私、洛北大学に入ってよかった」
 節子はほおを赤らめた。
「ビールを飲むって楽しい」
 幸せそうに節子は笑った。
 そんな出会いがあって、三人は二回生の後期に入っていた。純と節子は、
「こっちの英語の先生どうや? 僕らのクラスの先生は厳しいわあ。毎年半分の学生が単位を取れずに三回生になるて言うたはった。これ、いずれは五回生、六回生になるということやろか。それとも単なるおどかしやろか」
「私も厳しいな、と思った。『私は再試は実施しませんから、この一週間は猛勉強して試験に臨んでください』なんて言うたはったね。来週の試験どうなるんやろ?」
 と、新平ののんびり顔をよそに切実な様子で話し始めた。
「そうか。僕のほうの先生は再試ありやで。でも勉強せんとあかんな。フランス語もあるしな」
「この小説、面白いの?」
 節子が机の上の木山捷平の文庫本を手にとった。
「うん。いま一番好きな作家や」
 新平の目が輝いた。

〜2に続く〜