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オーランドー鑑賞報告 佐竹信一 2017.10.25
「団菊祭五月大歌舞伎」 佐竹信一 2017.6.20
映画「アルジェの戦い」鑑賞報告 佐竹信一 2017.4.13
牛田智大 ピアノリサイタル 鑑賞記 佐竹信一 2017.2.3
明治座「祇園の姉妹」鑑賞記 佐竹信一 2016.12.1
東京混声合唱団(東混)鑑賞報告 佐竹信一 2016.10.1
オペラ「ジークフリート」 佐竹信一 2016.5.2
「セビリアの理髪師とミュージカルの饗宴」 佐竹信一 2016.3.22
「カルメンとオペレッタの饗宴」 佐竹信一 2015.8.31
オペラ「コシ・ファン・トゥッテ」 佐竹信一 2014.1.8
「燃えよ剣」 佐竹信一 2013.12.8
「松本ヒロ ソロライブ」 佐竹信一 2013.10.23
オペラ「ファルスタッフ」 佐竹信一 2013.9.23
読売日響 オーケストラコンサート 佐竹信一 2013.7.30
オペラ「夜叉ガ池」 佐竹信一 2013.6.28
フロレスコンサート 佐竹信一 2013.5.27
歌舞伎「勧進帳」 佐竹信一 2013.5.10
演劇「隣で浮気」 佐竹信一 2013.3.31
『相模人形芝居鑑賞』 永井藤樹 2013.3.3
オペラ「タンホイザー」 佐竹信一 2013.2.5
歌舞伎「夢市男達競」 佐竹信一 2013.1.9
文楽「曽根崎心中」 島田義治 2010.2.23
文楽「近頃河原の達引の巻 本朝廿四孝の巻」 吉原司郎 2008.9.25
十二月大歌舞伎「ふるあめりかに袖はぬらさじ」 木下 義則 2007.12.7
歌舞伎鑑賞教室「双蝶々曲輪日記」 千葉 純雄 2007.6.18
横浜能楽堂企画公演「もう一つの『翁』」 木下 義則 2007.5.23

 


「オーランドー」鑑賞報告
佐竹 信一
2017年10月3日(火)

orandoposuta   去る10月3日(火)にKAATで演劇「オーランドー」を見てきたので報告します。浜演劇鑑賞協会を退会してから芝居を見る機会はずいぶん減りましたが、今回多部未華子と小日向文世が出る変わった芝居があるとのことでチケットを買いました。本公演は浜での14回の公演後松本・神戸・新宿(新・中劇場)と巡回するようです。会場のKAAT(神奈川芸術劇場)は1200席のホールを持つ2011年開館の県の施設で、私は3回目です。低層階にNHK浜放送会館が同居しているのでビルの構造が複雑で、5階にあるホール入口まで壁伝いにエスカレーターが何段もあり、私は面倒なのでいつも直行のエレベーターで行きます。着いたら会場は若い人で満員でした。

  16世紀英国の少年貴族オーランドーは超美男子だったのでエリザベス女王の小姓にされてかわいがられ、ほかにも浮き名を流しますが、本気で愛したロシアの美姫サーシャにあっさり裏切られ、傷心のまま大使としてトルコに渡り、そこであるとき6日間寝続けたあと起きたら、美貌の女性に変身して30歳を迎え、さらに18・19世紀と生き続け、一目惚れした田舎紳士と恋に落ち・・・とめまぐるしい展開のなかで芝居は急に終わります。不老不死の青年が途中で女性に変身してさらに生き続けるという筋自体、大変にへんてこな芝居ですね。不老不死ではヤナチェク作曲のオペラ「マクロプーロス事件」が思い出されますが、どちらも最後の落ちはよく分かりません。

 開演前、幕がないので丸見えのステージには舞台装置が何もなく、上手奥にパーカッション、下手手前にピアノとサキソフォン(音楽は3人が生演奏)が置いてあるだけで、中央に突然多部未華子が飛び出してきて芝居が始まります。彼女だけが全幕同じ役で、エリザベス女王の小日向はその後ロシアの水夫、洗濯女、田舎紳士等6役を兼務、ほかの4人の俳優もみな何役も演じるので真面目に見ていないとわけが分からなくなります。舞台転換は主に3人の男優が勤め、小道具を動かしながら時代や場面の変化を早口で説明する形で話が進みます。普通の演劇では舞台上に居間とか食堂がしつらえてあり、そこで俳優の演技が繰り広げられるのですが、こちらは変幻自在の能舞台に近い感じです。その早口が聞き取れないとついていけなくなるのは以前見た野田秀樹演出の劇や歌舞伎と同じで、とにかくみなよくしゃべります。主役の多部はやはりとても美しく、美男・美女役ともにしっくりきます。ほとんど舞台に出ずっぱりでしゃべりまくるのにエネ切れせず、立派に役をこなしました。やはり若い! 小日向は初役の女王の衣装・化粧に度肝を抜かれましたが、怪優というよりはかわいい中年オヤジという感じ。でも木村拓哉主演の連続テレビドラマ「ヒーロー」で見せた演技力はただ者ではありません。サーシャ役20才の新人小芝風花は早口になると聞き取れない欠点はありますがとても愛らしいです。それにしてもわずか6名の出演者で物語を進めるのですから、この洪水のように大量のセリフを覚えるのには皆さんさぞ苦労したことだろうと思います。

  ところでこんな不思議な芝居は一体誰が作ったのでしょう?原作は実験的作品で知られる英国の女性作家バージニア・ウルフ、原演出は米国の女性演出家サラ・ルール、今回の日本版演出はこのKAATの舞台監督・白井晃です。時間的にこんなに長い複雑な話を2時間強でまとめるのは少し無理があるようにも感じましたが、説明に追われることなくあちこちに笑いがあったのは彼の力でしょう。面白く舞台を楽しんでいるうちに、「え、もう終わりなの」という感じでしたが、後になると「一体何が言いたい劇なのだろう」と途方に暮れます。「不老不死は人間にとって幸せ?」それとも「性とは?」あたりなのかな。この話は大胆な翻案で「オルランド」という映画(92)にもなっているそうですが私は見ていません。ところで英語では「オルランド」ならオ、「オーランドー」ならラにアクセントが来ますね。これはずいぶん昔入園して大変驚き楽しんだ記憶がある「ディズニーワールド」の所在地(米国フロリダ州の都市)と同じ名前です。ともあれ物語全体の含意はよく分からないまま、ただただ楽しんだ午後のひとときでした。


団菊祭五月大歌舞伎
佐竹 信一
2017年6月20日(火)

  AnnnaiPanph  鑑賞日からだいぶ経ちますが、去る5月21日に歌舞伎座で「団菊祭五月大歌舞伎」を楽しんできたので報告します。団菊祭とは9代目市川団十郎と5代目尾上菊五郎という明治中期の名人の名を冠した公演の名称で、通常はその名跡の後継者が主役を張ってこの舞台で活躍するのですが、今は12代目団十郎が2013年に没しているので、その息子海老蔵が出演しています。菊五郎は現在74才の7代目がまだ元気で、息子菊之助も人気俳優です。

  私は夜の部を見たのですが、最初の演目のおわりに「楽善」「彦三郎」「亀蔵」「亀三郎」4名の同時「襲名口上」が劇中劇的に組み込まれており、得した気分になりました。襲名口上とは歌舞伎役者が名跡を継ぐのを宣言する行事で、関係する役者10数名が裃(かみしも)を着て舞台前方に正座して並び、順々に襲名者との簡単なエピソードを紹介して、ご当人は「・・・引き続きご贔屓を賜りますようお願い申し上げる次第でござります」と深々と観客に頭を下げると座長がそれを引き取り、最後に全員が「隅から隅までずいいーと・・・」と会場を見渡すしぐさで幕を閉じるのが決まりです。若い役者が「ここまで成長しました」という節目がはっきりする、見ていてとても気持ちがよい伝統行事です。以前の海老蔵襲名の時は当人が「睨み」Danjyuro,Kikigoro,Kikunosukeを披露してくれましたが、いずれ彼が13代目団十郎を襲名するときはチケットを取るのがさぞ大変なことでしょう。(写真は左から故団十郎・海老蔵・菊五郎・菊之助)
 
 最初の演目、仇討ちものの「対面」は人気俳優の勢揃い顔見せ的な演目で、正月公演にもよく演じられます。動きが少ない割に赤っ面(あかっつら)など派手な隈取りの役者が勢揃いするので短時間ながら見栄えのする楽しい舞台です。今回は曽我の五郎役・新彦三郎がよかったです。2番目の演目「伽蘿先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」は仙台・伊達藩のお家騒動を題材にした4場からなる夜の部の目玉公演です。幼君側の正義の家老渡辺外記左右衛門(がいきさえもん/市蔵)の訴えを問注所の細川勝元(梅玉)が聞き届け、藩政を壟断している仁木弾正(海老蔵)が成敗されるという物語です。初めは映画「評決」のように裁判でやりあう場が長くて地味な舞台だったのが、途中から刃傷沙汰になり、一気に大団円まで動きが出て盛り上がる筋立てでした。珍しく海老蔵が青白い隈取りの公家悪(くげあく)の大役を演じましたが、彼は眼の芝居が上手なのでとても迫力がありました。

  最後の「浅草祭」は私の苦手な歌舞伎舞踊です。「道成寺」「鏡獅子」「鷺娘」など長唄系の踊りは、舞台は華麗ですが私はすぐ飽きてしまいます。この日は途中退席して、直下の地下駅から京急の浜直通特別快速で帰りました。それにしても歌舞伎座公演は昼の部が11時から3時まで、夜は4時半から9時までと公演時間が長く、途中に休憩が入るにしても、ワーグナーの楽劇同様の公演時間は観客サービスとしてはすばらしいのですが、役者さんは大変です。セリフの歌舞伎は歌のオペラよりエネルギー消費は少ないでしょうが、オペラは次まで3日は空けるのに、歌舞伎は毎日公演があります。これで翌月も出演する役者さんもいるとは信じられません。このところ勘三郎、団十郎、坂東三津五郎など大物役者が次々若くして亡くなるのはこの過剰労働が一因なのではないでしょうか。個人的にはもう少し歌舞伎役者の負担を減らす公演形態を工夫してほしいなと思っています。以上

映画「アルジェの戦い」 鑑賞報告
佐竹 信一
2017年4月3日(金)

  舞台芸術研究会で映画を取り上げるのは少しためらわれまposterすが、映像・時間芸術の鑑賞ということでご勘弁下さい。去る3月29日、京急黄金町駅に近い浜の名画座ジャック&ベティーで映画「アルジェの戦い」を見てきました。なぜこの映画を取り上げたかといえば、私の今まで見た映画のなかで1番に推す映像の迫力のためです。現アルジェリアの首都アルジェにおける1950年代後半の民衆の独立闘争を描いたこの映画は、実は独立して間もない1966年に製作されたもので、今回は公開50周年を記念してのリバイバル上映であり、私にとっては青年期に見た初ロードショー以来2度目の鑑賞になるのですが、今度も映画館にいるのを忘れるほどストーリーにのめり込み、スクリーンに釘付けになりました。ジッロ・ポンテコルボ監督の手になる画面はドキュメンタリータッチのぎらぎらした白黒映像で、まるでその現場で撮った本物のように思えるのですが、少数の配役を除いてはすべて素人さんを使った再現映像なのだそうです。

 映画は気弱で貧相なアルジェの男性がフランス軍の拷問室で自白した直後の描写から始まり、強制された彼が最後まで残っていた1人のレジスタンス幹部のアジトまでフランス軍を案内し、そこが包囲されて降伏のアナウンスをするところから本編が回想される形で展開していきます。主人公のアリは無学のチンピラでしたが、小犯罪でつかまって刑務所にいる間にアルジェリア人としてのプライドに目覚め、出所してからはアルジェリアを植民地として支配しているフランス官憲にテロを挑んでいきます。アリは学校に行っていないので賢そうな連絡役の少年に秘密の連絡メモを音読させたりするのですが、その書かれた命令には忠実で、やがてレジスタンスの中枢にも信頼されるようにeigano_sceneなります。民衆の間にも支配への反感が強くなり、アルジェ市内の至る所で警官が殺される事件が続発し、警察署長がカスバのアルジェ人密集住居に爆発物を仕掛ける報復などもあって情勢は次第に混乱をきわめますが、最終的にフランス本土からテロ鎮圧のためマチュー中佐率いる勇猛な空挺部隊がアルジェに進駐してきます。カスバというのは、坂に沿って白い小型の中層家屋が密集するアルジェリア人だけが住む下町ですが、テロを行った犯人がそこに逃げ込めば曲がりくねった複雑な細道が入り組んでいるので警察はまず見つけることができません。しかし軍はカスバの出入り口すべてに検問所を設け、怪しい人間には手荒な尋問をして、組織の壊滅を目指します。検問所をすり抜けた3人のアルジェ女性が、フランス人の多い空港やバーなどに時限爆弾を入れた駕籠をおくテロ(自爆ではない)に成功したりもしますが、やがて1人、2人と幹部が逮捕され、最後に残ったアリに官憲の手が伸びる所で最初のシーンにつながります。彼を含む数人は結局投降勧告に屈せずビルは爆破されて組織は壊滅しますが、テロが終焉して2年経った後に突如起こる民衆の大蜂起から独立につながる短いシーンがあって映画は終わります。

 爆破に来たバーにたまたま若い仏人夫婦とその子供が居合わせてしまい、そのかわいい幼児の顔のアップの直後に犯人女性の顔もアップされた時そこにためらいの表情が一瞬浮かぶのですが、結局彼女は椅子の下に爆発物を隠して店を出てしまうというシーンがあります。虐げられた民衆のやり場のない怒りを訴える手段がほかにないなら、現地のフランス人街の盛り場を爆破する(=移住してきた現地の一般フランス人を殺害する)という行動は、最近のISの無差別テロを思い起こしたとき頭では絶対に許されないことだとは思いつつも、ある程度肯定する気持ちになってしまうのは我ながらこわいですね。民衆の力が最後に圧政を跳ね返すという映画全体としての筋は通俗かもしれませんが、画面の緊迫感・臨場感は白黒時代の黒澤明もかなわないほどに圧倒的であり、手に汗握るとはまさにこのことでしょう。娯楽性はゼロながらぜひ一度ご覧になることをお勧めします。

  以下は私の気ままな映画談義です。私は映画が好きです。わずかなお金で見知らぬ土地や風俗を臨場感満点で楽しめ、それこそ1万メートルの深海から8千メートルの高山まで行くことができ、おまけに外国映画なら語学の勉強にもなるという、まことに映画とはすばらしいものです。見るジャンルはホラー以外、時代劇・現代劇・SF・戦争・ミュージカルと大体なんでも見ます。数えてみたら昨年は1年間で14本の映画を見ました。最近はハリウッドなどより日本映画が好調のようで、娯楽性もたっぷりで日本の青年官僚が頼もしい「シン・ゴジラ」や、戦時下の小さな幸せを綴った「この世界の片隅に」がよかったです。後者は地味な作風のアニメ映画ながらキネマ旬報と横浜映画祭Pamphletの昨年度作品第1位にランクされました。「最後の危ない刑事」や「スターウォーズ・ローグ1」等も見ましたが、それなりには面白くても残念ながらシリーズ初登場時のあの新鮮な感動には及びません。

  私にとり一番の映画は「アルジェの戦い」ですが、これに次ぐのはスペクタクル歴史絵巻「十戒」、ヒットラーを茶化したチャップリンの喜劇「独裁者」、人を不思議な映像世界に誘い込む「フェリーニのアマルコルド」、宇宙開発やコンピューターと人間の将来を予言した「2001年宇宙の旅」などです。「アルジェ」は政治をテーマにした現代ものですが、同系統の作品としてはコスタ・カブラス監督の「Z」や「戒厳令」などがあり、これらも観客に異常な緊張を強いる作品です。

  今はテレビ放映の録画やDVDで好きな時に映画を見ることができますが、一昔前は映像を気軽に家庭で見るのは難しかったですし、そもそも映画は本来映画館の闇の中で個別に大画面と接することを前提に作られたものですから、生活雑音やコマーシャルに妨げられる小画面で生きるはずはなく、テレビでは「ことたれりどころか返って不満が増す」ようなものでしょう。私の場合は、だいぶ前に買った家庭用プロジェクターから雨戸を閉めた部屋に立てた80インチスクリーンに投影して録画した映画を見ることもありますが、昔の名作はぜひ映画館で見たいものです。幸い浜には今回お世話になったジャック&ベティーという名画座があり、昨年も「スノーデンの暴露」とか大戦末期のナチス隠匿美術品回収作戦を英雄的に描いた「ミケランジェロ・プロジェクト」などかなりお世話になっています。

  皆さんも同じでしょうが、私も映画とは長い付き合いです。テレビのない時代、映画館は身近でした。家のごく近所には美空ひばりが歌ったこともあるという「アテネ劇場」があって、家族で「今晩は映画にでも行こうか」ということになると、早夕食のあと皆で連れだって出かけたものです。「笛吹童子」・「ノンちゃん雲に乗る」・「君の名は」など子供向けから大人向けまでいろいろ見ました。1本が大体80分くらいで、当時は2,3本立てが当たり前であり、好きな時に入って好きな時に退場するのですが、はじめに見た所まで来ても結局その映画の終わりまで見て帰ることもよくありました。途中で突然映画がぷつんと切れ、数分過ぎても直らないと観客から「ブー」がでることもよくありました。そんなときは観客席後方壁の映写室の窓からスクリーンに向かう光線の中に、たばこの煙や沢山の微少な埃が見えました(チンダル現象)。夏休みには小学校の校庭で立ち見の星空上映会がありました。なにせ娯楽が少なかった頃なので、映写幕が風で揺れるのも気にならず観客は結構多かったです。画面左から新撰組が駆け足で、右からは嵐寛の鞍馬天狗が馬に乗って同じ目的地に向かって急ぐというような場面では後者に観客から拍手が起こることもしょっちゅうでしたが、今や拍手はまったく見かけないですね。ちょっとオシャレした親に連れられて伊勢佐木町に出かけ、オデヲン座やピカデリーで西部劇やミュージカルを見て、そのあと行きつけの洋食屋さんでチーズサンドを食べるのも楽しみでした。長者町5丁目付近にはほかに松竹(男はつらいよ・釣りバカ日誌など)、日活(裕次郎もの・小百合もの)、東映(旗本退屈男・ゴルゴ13など)の直営館もありました。

  親と東京まで出かけてテアトル東京でシネラマを見たこともあります。シネラマは湾曲した巨大スクリーンに3本のプロジェクターで投影するので画面の境目がピタリとつながらないのがご愛敬でしたが、「これがシネラマだ」 or 「シネラマホリデー」の1シーンで、当時の日本にはなかったジェットコースター最前列映像の迫力にたまげたことは今でもよく覚えています。少し後には70ミリ映画というのが出てきて、これは「ウエストサイド物語」「アラビアのロレンス」「史上最大の作戦」「大脱走」「ドクトルジバゴ」など沢山見ました。「十戒」や「ベン・ハー」は大学生の頃のリバイバル上映での鑑賞です。その頃まであったバスで3つ目の根岸橋名画座では、普通サイズの画面がある時から「画面3倍・興味100倍」と謳う横長の「シネマスコープ」になり、若き渡哲也のヤクザ映画「人斬り五郎」などを見ました。当時は場末の映画館でも必ず1本はニュース映画の上映がありましたが、ニュース映画を中心に上映していた桜木町のニュース劇場では、ニュースのあとで「沈黙の世界」とか「砂漠は生きている」などのドキュメンタリーを見たこともありました。その後これらの映画館が次々と閉館するなか、馬車道の東宝会館は最後まで繁華街で上映を続け、多くの洋画のほか東宝の特撮監督円谷英二による「地球防衛軍」や「妖星ゴラス」などずいぶんお世話になりました。デートではミュージカル「メリーポピンズ」とか西部劇「マッケンナの黄金」などを見ました。ごく最近の映画館の話でいえばどこも音響効果が素晴らしくなり、映像の方もI−MAXという高精細大画面や3D(立体)の所も増えてきました。3Dは2Dとの価格差yokohama-eigasaiのわりには効果がいま一つの感もありますが、これらの新技術により臨場感が向上するのは確かで、さらなる普及を期待したいところです。

  最後に浜映画祭について一言。浜映画祭は浜の映画好きが始めた手作りの映画祭で、毎年2月の第1日曜日に開催され、今年が38回目でした。はじめはかなりマイナーな祭だったようですが、選ばれた俳優や監督にトロフィーを送る授賞式にあるとき高倉健が出席してくれたおかげで、今のような大人気イベントに成長することができたそうです。入賞した日本映画3本と多数の予告編上映の上に目玉の授賞式があり、伸び盛りの監督、ベテラン俳優、かわいい新人女優・男優を身近に見ることができて受賞の感想も聞けるので、人気があるのもうなずけます。私は1983年の第5回(原田知世が「時をかける少女」で新人賞を受賞)以来何回か参加していますが、近年の常連会場である関内ホールは千人しか入らないので、チケットを取るのがだんだん難しくなってきました。でも今までに吉永小百合、樹木希林、松たか子、綾瀬はるか、役所広司、阿部寛、堺雅人などの方々をお見かけできたのはうれしい体験です。退職後は昔よく行った神保町の岩波ホールともすっかりご無沙汰になりましたが、シニア割引の特典を生かし、これからもこの映画祭や浜市内の映画館でおおいに映画を楽しんでいくつもりです。好きな話題なのでまたまたこんなに長くなってしまいました。最後までお読み頂きありがとうございます。

 


牛田智大 ピアノリサイタル 鑑賞記
佐竹 信一
2017年2月3日(金)

 Tomoharu_Ushida Piano Reciatal

 放送大学2学期の期末試験も終わった去る1月28日、みなとみらい大ホール牛田智大【ともはる】ピアノリサイタルに行ってきました。本来私の好みは「オペラ」なので、ソリスト1人だけの「ピアノリサイタル」というジャンルは長い間敬遠していたのに今回行くことになったのは、入会音楽サークルの年1回会員無料ご招待チケットの期限迫られてこの公演に申し込んだからです。特典席は舞台からだいぶ遠い3階の中央3列目でした。2020席の会場は8割ほどが入っており、彼の人気が伺えましたが、ピアノを習っているらしい子供連れも多かったです。

 1999年生まれという牛田君は今17才(高校2年?)です。幼少の頃から天才の誉れが高く、以前彼が小学生の頃テレビに出演したのを見た時、色白でとてもかわいい素直そうな子供なのに、そこで弾いたピアノ小品はとても迫力があったことを覚えています。実物は今回が初めてですが、背は170cmくらいに伸びたもののその背広姿は華奢で、顔もまだあどけなさが残っていてとてもかわいらしいです。

 譜めくりはなく舞台上には彼一人しかいません。曲はベートーベンのピアノソナタ31番から始まりました。ピアノ曲にはなじみがないといっても、好きなベートーベンなら「月光」「熱情」「ワルトシュタイン」くらいは聴いていたのですが、本曲は後期3大ソナタの1つなのに演奏時間は短く、メロディーもえらくおとなしいベートーベンでいささか拍子抜けでした。次にショパンの小品2曲とバッハが続けて演奏されましたが、途中で私のお腹に異変が起き、ショパンはなんとか楽しめたもののバッハ「シャコンヌ」は上の空になってしまったのは残念です。ともかく手でお腹を温めたりしてなんとか休憩まで持たせることができました。

 さいわい休憩以降の体調は良好でした。チャイコフスキーの2曲は正直あまり聴き映えがしないなと感じましたが、最後を締める40分近い大曲のムソルグスキー「展覧会の絵」組曲は素晴らしい内容でした。有名なこの主題はラベル編曲の管弦楽版で何度か聴いていますが、原曲であるピアノ版の演奏は全曲を通してじっくり聞いたことがなく、今回初めてこの主題が中で分かれている曲毎に何回も登場するのだということを知りました。舞台中央のグランドピアノから「音が粒になって飛びながらこのホールの大空間を一杯に満たしている」という感覚になったのは初めての経験です。終曲後は「ブラボー」の声が一斉に響きました。拍手も鳴り止みませんでしたが、わりにあっさりとアンコールを弾いてくれました。でも3つのアンコール曲のうち、私の知っている曲はトロイメライだけで少し寂しかったです。開演は2時、終演は4時15分でした。

 プログラムを見ると今回の演奏はピアノの巨匠ウラジミル・ホロヴィッツの編曲になるものだそうです。これは偶然なのですが、若い頃鑑賞のジャンルを広げようと83/6/11初来日したホロヴィッツのピアノリサイタルに大枚をはたいて聴きに行ったことが思い出されました。この演奏会は高名な音楽評論家である故吉田秀和が「ひびの入った骨董品」と評したことでも有名ですが、この時私は世界一の演奏家のピアノを聴いてもピンとこなかったのだから、「私はやはりピアノには無縁なのだ」と結論づけた公演でもありました。

 でも今回牛田君のピアノを聴いて「誰かが誘ってくれるなら、また行ってみてもいいかな」という程度に意見を変えることにしました。先日たまたま見たテレビで、全盲で多動性のある若いピアニスト辻井伸行のニューヨーク公演のドキュメンタリーをやっていましたが、彼の公演も一度聴いてみたいものです。


明治座「祇園の姉妹」鑑賞記
佐竹 信一
2016年11月24日(木)

  去る11月24日に明治座で「祇園の姉妹」という芝居を見てきました。私は人気俳優がでる商業演劇の舞台は今まであまり見たことがないのですが、たまたまテレビで「徹子の部屋」を見た時、映画「武士の一分」で盲目の剣士・木村拓哉の妻役の壇れい(これが映画初出演だったそうな)と、腹筋運動具の広告で知っている若い「剛力彩芽」の二人が出演していて、私はすっかりこの美人女優二人の和服美に魅せられ、この芝居に行く気になったのです。きっと「祇園の姉妹」とタイアップした対談企画だったのでしょう。

 公演当日はあいにく53年ぶりとかの雪の日でしたが、上野のラスコー展のあと、私には初めての明治座に駆けつけました。雪はまだ降り続いていましたが、都営新宿線浜町駅からはすぐなので問題はありません。ここは席数1400の中劇場ですが、花道があり、各階廊下にせんべいや観劇みやげを売る店が並ぶ様は歌舞伎座と同様です。会場の入りは80%、うち男性は25%くらいでした。私の席は2階横の花道直上でしたが、舞台には近く、役者さん達の素顔がよく見えました。

 舞台は昭和11年。二二六事件や経済恐慌で不景気な中、壇の大ひいきで金持ちのぼんぼんだった松平が家業倒産のあおりでこの京都の芸子姉妹の家に転がり込んできます。慕っている姉は大歓迎ながら、生活力のない男と姉が一緒になるのは不幸と考える妹は追い出す算段をいろいろ工夫するところへ、松平の本妻(山本陽子)や妹(大河内奈々子)やらが登場してきてドンテン返しが続き、結局はもとの鞘に帰るという一種の悲恋物語です。古風で義理堅い姉とドライで勝ち気の妹がともに結局不運な結末に終わるという筋は、溝口健二監督・山田五十鈴(妹役)出演の同名の戦前の映画と同じだそうですが、残念ながら私は未見です。

 幕が開くとすぐに姉役の壇が登場しますが、期待が大きすぎたのか正直なところ美人度はいまいちの感じがしました。やがて妹役芸妓の剛力が出てきて旦那衆を相手に強気のやりとりをするのですが、目の周りの赤い化粧が強すぎる感じがして、これもいまいちと感じました。しかし脇役の松平健(マツケンサンバで有名)や山本陽子(かっては可憐な美人女優で好きでした)らが登場して物語が進んでくると、感情移入が強くなるのかこの姉妹がどちらもだんだん美人に見えてくるのはふしぎです。壇はさすがに宝塚出身だけあって演技も声も伸びがあり、舞台初出演の剛力は早口になると聴きと取りにくくなる欠点はあるものの若さあふれる好演でした。ただ舞台の音楽がすべて録音なのは、オペラや歌舞伎がすべて生演奏であることと比べると若干寂しい気がしました。

 たおやかな京都弁と和服美人の競演を楽しんだ帰りは雪もやみ、帰宅には何の問題もありませんでした。でもプログラムを見ると一月公演は由紀さおり、三月公演は「細雪」と大衆路線が続くようで、有名俳優をそろえても本公演のような古風な筋立てで、これからもいけるのかどうか少し心配になったことでした。


東混鑑賞報告
佐竹 信一
2016年10月1日(土)

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 公演日からだいぶ日が経ってしまいましたが、去る9月6日午後、音響がよく「木のホール」として親しまれている「神奈川県立音楽堂」で、東京混声合唱団(東混)によるコンサート「歌い継ぎたい日本の歌」に行ってきました。東混は1956年に芸大声楽科の卒業生によって結成された合唱コンサートを専門とするプロの合唱団で、同じプロとはいえこれよりずっと数の多いオペラの合唱団(主役の歌手らと一緒にオペラの舞台で歌う)とは異なります。

 客席には若い方もちらほらいましたが大部分はご老人方で、会場は満員の盛況です。私の席は中央4列目とかなり前方だったので、28人の歌唱メンバーの顔をごく近くで見ることができ、大島渚似のベースや放友会のSさん似のアルト、それに放送大学歌を東混が歌ったときの録画で見覚えのあるソプラノ(和田友子)も出演していました。

 フォーマルウェアに身を包んだ演奏会前半は、「里の秋」「春の小川」「夏は来ぬ」といった唱歌系、女声陣がカラフルな衣装に着替えた後半は「林檎の歌」「おもちゃのチャチャチャ」「幸せなら・・・」といった流行歌系で、なじみのある日本の歌が多く演奏されました。しかしいずれもユニゾンで歌うのではなく4パートが複雑に入り組んだ編曲で歌うので、音楽的には高級な曲を聞いている感じになります。さすがにプロというのはすばらしく、ポピュラーな曲の方は全部暗譜ですし、強弱の付け方がきわめて自然であり、指揮者の方をあまり見ないのに曲の入(はい)りや終わりがピタリとそろうのがすごいです。指揮は若い東混の音楽監督・山田和樹ですが、一段落するたびにけっこう上から目線のセリフでチャチャを入れるのが面白かったです。美人の林有沙(ありさ)がピアノ伴奏を担当し、これも上手でした。本格的な合唱曲は休憩前後に歌った混声合唱とピアノのための組曲「夢の意味」(作曲者・上田真樹さんが客席で聴いていてのちに挨拶)と柴田南雄(みなお)作曲の「萬歳流し」です。後者は秋田・横手の正月の民俗音楽を素材にした作品だそうで、半天のような衣装を着た数組の歌手グループが歌いながら会場中を歩き回り、ご祝儀のおひねりがでれば扇子でありがたく頂戴するというものですが、客席のすぐそばを練り歩くので会場の反響は大きかったようです。その他の曲については知っている歌ばかりですが、これは我が家で時々見るBS日テレの毎週月曜夜9時「日本・心の歌」で放送されているプロ合唱グループ「フォレスタ」の選曲ととてもよく似ています。もしこの番組を見たことがない方がいれば、ぜひ一度ご覧になって下さい。音大出の若い歌手達の端正な歌いぶりにはきっと心惹かれるものがあるだろうと思います。

toukon-1  私は昔本社勤務の数年間、会社の合唱団にベースの一員として参加していたことがあり、そのとき東京文化会館での産業人合唱コンクールにBグループ(30人以下)で出場して、もう一息でNHKFMの番組で放送されるというところまでいったことがあります。邦人作品なら名曲「水(たかだ)のいのち(さぶろう)」とか「筑後(だんい)川(くま)」、西洋古典なら同じ指揮者を頂く他合唱団と合同で、地味だが歌って感動のオラトリオ「エリア(メンデルスゾーン)」や、ハレルヤコーラス(第2部)とアーメンコーラス(第3部)で有名な「メサイア(ヘンデル)」などを歌いました。「第九(ベートーベン)」は県民ホールでの横響・大合唱団で1回、みなとみらい大ホールで歌った高校同窓会50周年記念特別演奏会で1回と計2回の経験があり、来春の放送大学・京浜地区合同演奏会の企画については、初めの半年張り切って練習に参加したのですが、自治会長の仕事が忙しくなり、昨秋やむなく退会するはめになったのはまことに残念なことでした。

 私事になりますが、どういうわけか息子も大学合唱団で歌い、卒業後は結構レベルの高い耕友会(指揮・作曲で合唱界では名の通った松下(まつした)耕(こう)が率いる団体)所属のアマ合唱団に加わっていたのですが、そのソプラノパートの音大出の娘さんと結婚することになったのはびっくりでした。2児の父となった今は、その団体の発表会の客席に駆けつけるだけになったようですが、私の初孫の名前が「奏(そう)」というのも音楽がらみの感じがしますね。そういえば私が会社合唱団にいた頃にも、親しいテノールの先輩とベースの友人がそれぞれ女声の団友と2組も結婚したことが思い出されます。合唱では「ハーモニー」が大事と口酸っぱく言われますから、合唱団員同士の結婚は「相手の声を互いによく聴く=相手の意見によく耳を傾ける」という意味で、亭主関白でない調和の取れた民主的な家庭が築ける可能性が高いかもしれませんね。

 日本はママさんコーラスが盛んなことでも分かるように世界有数の合唱国であり、小〜大の学校・職場・地域・同好会の混声・同声のアマチュア合唱団が数多くあります。そんなわけで息子の舞台以外にも、会社合唱団時代の先輩・友人や合唱団で歌っている酒飲み仲間からのご招待で、アマの合唱コンサートを聴く機会は今でもよくあります。残念ながら羽田孜元総理はじめ著名人が多く参加しているので有名な「六本木男声合唱団」は今まで聴いたことがありませんが、浜の「洋光台男声合唱団」は聴く機会があり、きわめてレベルの高い演奏なのにびっくりしました。でもこの合唱団はすでに31年の歴史があり、二期会の人気オペラ歌手宮本益光が指導しているのだと聞いて納得です。神奈川県では学校関係の全国コンクールで清泉女学院中・高、日本女子大付属高などがいつも上位に入賞しており、全体レベルは高い方なのではないでしょうか。でもたまにテレビで学校音楽コンクールの様子などを見ると、中学・高校の部ではいつも女子が優勢で、少数の男子が隅で小さくなっているような気がするのは私だけではないでしょう。この年頃には「男子たるもの、合唱になどうつつを抜かしておれるか」といった気分がまだ残っているのでしょうか?

 今回のコンサートは妻と、今夏に転倒骨折して車椅子になった老母の3人で聴きにいったのですが、入口の係員が親切に席まで案内して下さり、曲も知ったものが多かったので母も大いに楽しんだようでした。2時開演で終演は4時半と、これくらいの公演時間なら体も楽ですね。練習の時間が取れて自分も合唱に参加して歌うのが一番なのでしょうが、聴くだけの立場でもそれはそれで心豊かな時を過ごすことはできます。来年8月29日も今回と同じ会場、同じテーマで第2回コンサートが予定に組まれているとのことで、まだ1年先のこととはいえ、これも期待したいところです。今回は聴いたコンサート以外に、余分なことをながながと書き連ねてしまいましたが、最後までお読み頂きありがとうございます。


オペラ 「ジークフリート」
佐竹 信一
2016年4月10日(日)

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 上野の東京文化会館でワーグナー作曲「ニーベルングの指輪」(略称はリング)全4作のうちの3作目「ジークフリート」を見てきました。この公演は12年前から始まった東京・春・音楽祭の今年の目玉の一つですが、この音楽祭では毎年一つのオペラを「演奏会形式」で取り上げるのが恒例になっており、2年前から「リング」の年次上演を始めています。演奏会形式ですから歌手はオペラのように舞台衣装をつけての演技はせず、大道具・小道具もなしで、舞台上のオーケストラの手前、指揮者と並ぶような位置に立って譜面台の楽譜を見ながら歌うわけですが、歌唱だけに集中できる環境になるので、いつにもまして濃密な音楽空間が作り出され、結果として大満足の公演となりました。

 「リング」はワーグナーが北欧・ギリシャ神話にヒントを得ながら彼一人で構想したファンタジー物語を台本にして、それに示導動機という音楽的ツールをあてはめて壮大な音楽世界を作り出したものです。序夜「ラインの黄金」に始まり、第1夜「ワルキューレ」、第2夜「ジークフリート」、第3夜「神々の黄昏」で完結するのですが、2,3,4夜はいずれも上演時間4時間を越え、合計で15時間にも及ぶ大作であり、「楽劇」とも言われます。ラインの川底にあった黄金から作られた指輪は「世界を支配できる」魔力を持つとともに、呪いのためにその持ち主を破滅に導くのですが、それを求める天の神々(という種族)、地上の人類ヴェルズング族、地下世界のニーベルング小人族などが争いを繰り返し、最後に指輪はライン川に戻されて神々も没落していくという物語です。今回のジークフリートはいろいろな種族とすぐ交わる主神ヴォータンの孫で、ヴェルズング族に生まれた無敵の英雄です。名剣ノートゥンクを鍛え直して大蛇を倒すことにより指輪を獲得し、初登場の第3作初めから最終作の途中まで大活躍するのですが、性格が素直すぎるのが玉にキズで、背中の急所を敵に知られてあえなく殺されてしまいます。

 この日の公演は前2回のリング公演と同様、今年77才のマレク・ヤノフスキ(ドイツ)がNHK交響楽団を指揮し、主要配役に有力外人歌手7名を招聘して上演されました。舞台装置はないのですが舞台の背景が大スクリーンになっていて、田尾下哲監修になるそれらしい映像がゆったりと写されるのは音楽を邪魔せず好ましいです。30分2回の休憩を入れての5時間は聴衆にも努力と忍耐が必要ですが、歌う方はもっとずっと大変でしょう。題名役のテノールにしても全幕を通じて「ヘルデン・テノール」といわれる力強く重い声が要求されるのですが、そのアンドレアス・シャーガーやミーメ役のゲルハルト・シーゲルは最後まですばらしい声を披露してくれたので、終演後の拍手も格別でありました。伴奏のN響は普段オペラにはあまり登場しないのですが、今回はさすが国内ナンバーワンの名に恥じない緩急自在のすばらしい演奏でした。指揮者の力がすごいのは確かですが、オケの奏者も終演後のカーテンコールでこの指揮者に大拍手を送っていたのは印象的です。合唱はないので合唱団は出てこず、歌手と指揮者だけが拍手を受けます。でもカーテンコールに対してニコリともしない指揮者の様子は愉快でした。舞台脇の字幕も読みやすかったですが、ジークフリートのセリフで一度「やなこった」というくだけた訳が出て、これにはおおいに笑いました。このレベルの公演がわずか2回で終わるとはまったくもったいないことです。有名な曲や気軽に口ずさむ曲は皆無のオペラですが、終わっての感動は久々に味わうものでした。

  「リング」の鑑賞はオペラ形式より演奏会形式の方がよいかもしれないと感じました。その理由は「もともと舞台上の動きが少ない」からです。「リング」は他のオペラのように歌手が舞台を動き回って恋を歌い上げるというような場面は殆どなく、暗い森の中でボロをまとった歌手が舞台中央に突っ立ったまま、自分の「来し方」をモノローグでゆっくり語るといった場面が多いので、5分して目を開けても「まだ同じ所にいるの?今度はなにを歌っているの?」というのが今までに刷り込まれている私の印象なのです。しかしその背景に流れる音楽は雄大で、例えば「ラインの黄金」冒頭の無音から徐々に徐々にやがて大きなうねりになるオケ、第2作第2幕の有名な「ワルキューレの騎行」の場面、「神々の黄昏」第3幕の荘重なジークフリートの葬送行進曲などは忘れることができません。

 そんな大規模なリングですから、単発上演でさえ強い声の歌手を何人も集めなくてはいけないのに4作連続の上演なら相当な覚悟が必要でしょう。日本のオペラの歴史は大正期の浅草オペラの頃から考えても100年は経っていてもう結構長いわけですが、ワーグナーのオペラがちょくちょく上演されるようになったのは、ついこの2、30年のことです。1984〜87年の朝比奈・新日フィルの演奏会形式での年次上演が「リング」日本初演とされていますが、87年秋にベルリンドイツオペラがゲッツ・フリードリッヒ演出の「トンネルリング」をひっさげて大挙来日し、県民ホール等で4作を連続(チクルス)して本格上演したのは画期的なことでした。その後は02年バレンボイム指揮のベルリン国立歌劇場(私の命名は火格子リング)、06年ゲルギエフ指揮のロシア・マリンスキーオペラ(同・巨石リング)などがやはりチクルスで上演しています。日本人歌手だけで上演する本格舞台は、二期会が69年ラインの黄金・72年ワルキューレ・83年ジークフリート・91年神々の黄昏をそれぞれ初演していますが、全4作の上演には足かけ23年かかっています。日本のもう一つの大きなオペラ団体である藤原歌劇団はベルディなどイタリアオペラを主体にしているので、ワーグナーは近年まったく上演していません。97年にできた新国立劇場が01年から準メルクル指揮によるサイケデリックな演出の「トーキョーリング」を年次上演して話題になりましたが、09年からこれが再演され、昨年からは別の演出でまた年次上演が始まっています。幸い私は87年と以降のチクルスで計3回、年次公演も何回か見ており、そのような機会に恵まれてきたのはありがたいことです。関西の琵琶湖ホールでも来年3月から沼尻竜典音楽監督のもとでリングの年次上演が始まるそうで、機会があれば久しぶりに京都観光を兼ねて琵琶湖ホールの景色のよい優雅なロビーをまた味わいに行きたいです。ワーグナーには「タンホイザー」「さまよえるオランダ人」などリングのほかに私の好きなオペラがいくつもありますが、道ならぬ恋を濃密に描く「トリスタンとイゾルデ」や〈浄き愚か者〉が世界の救済を図る「パルジファル」などは暗い筋で輝かしい音楽もないため、あまり魅力を感じません。ですから私はコアなワグネリアン(ワーグナー愛好者)ではないと思っています。

 作曲者ワーグナー自身の人生も波瀾万丈で、自信過剰・誇大妄想・傲慢という非難も多いのですが、その圧倒的な音楽に魅了されるファンは当時の大パトロンだったバイエルン国王ルートヴィヒ2世をはじめ、現在でも世界中にたくさんいます。彼は国王に懇願してその「楽劇」を上演するための専用劇場をバイロイトに造りましたが、なんとか戦災を免れたその祝祭劇場は今でも夏の「バイロイト音楽祭」の専門会場として使われており、世界中のワグネリアンが「バイロイト詣で」といってここに集まってきます。そのオケピットが特別な造りで、オーケストラの音がくぐもって独特に響くというのもその魅力のひとつだそうです。玄関上のバルコニーで鳴らされる開演前のファンファーレも有名です。チケットをとるのは大変でしょうが、私も一度はここで本場オペラの醍醐味を味わってみたいものですね。もっともこの田舎町の由緒ある劇場も夏の音楽祭期間だけは大賑わいですが、その他の期間は閉館しているようでなんとももったいないことです。ついでの情報ながら、この日指揮したヤノフスキはあの年齢にもかかわらず、今年と来年のバイロイト音楽祭で「リング」の棒を振ることになっているとか。

 ともあれ開演2時・終演7時の苦行は終わりました。この日私は弁当とおやつを持参しまるでピクニックのようでしたが、会場の東京文化会館は超満員で休憩時のロビーは見たことがないほどごった返していたので、場所を取るのが大変でした。残念ながら知人には出会わずJRも一人で帰宅しましたが、自宅では3日前に同じ公演を見た妻と語り合い、大いに気炎を上げことができました。来年の最終作「神々の黄昏」がますます楽しみです。
好きなテーマなので文章がすっかり長くなってしまいました。最後までお読み頂き感謝です。


「セビリアの理髪師とミュージカルの饗宴」
佐竹 信一
2016年2月4日(木)

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 去る2月4日夜に戸塚フォーラムホールで「セビリアの理髪師とミュージカルの饗宴」というオペラコンサートに行ってきました。満員が心配で30分前に到着したら、ちょうど開場を始めたばかりだったので左前方のよい席が取れました。事前の情報通り380席の会場は開場時には超満員です。プログラムは前半に歌劇「セビリアの理髪師」の有名場面をハイライトで、後半はオペレッタやミュージカルの名曲をメドレーで歌うというもので、歌劇そのものではありませんが雰囲気は十分味わうことができます。今回は主催者の長谷川さん自身があらすじを分かりやすく説明してくれました。

 舞台は「カルメン」と同じセビリアです。前回は殺人が起こる重い筋でしたが、今回は恋をした青年伯爵アルマヴィーバが知己の床屋フィガロの応援を得て、偏屈なバルトロ老人に幽閉されている娘ロジーナと無事に結婚するまでを描く喜劇です。今回は来日歌手が3人なので役回りが限られ、バルトロ老人と音楽教師バジリオの出てくる愛嬌ある喜劇的場面が全部カットされたのは残念ですが、ハッピーエンドの恋の顛末はよく分かるしかけになっていました。

 舞台での歌手については今回も「すばらしい」の一言です。バリトンのマルチン・バビヤクはフィガロ初登場の時の超早口のアリア「私は町の何でも屋」を破綻なく軽やかに歌ってまず聴衆の関心を引きましたが、長身にもかかわらずその軽快で剽軽な動きはその後も全舞台にわたって発揮され、大好評でした。その弟ヤン・バビヤク演じる伯爵はテノールで、多くのオペラでは主役のはずがこのオペラではやや地味な役どころなのですが、前回同様伸びやかな声と品のいい衣装・演技で舞台を引き立てました。美人ソプラノのヤナ・ベルナトバは快活で機転のきくロジーナ役で、高音域で玉を転がすように軽やかに歌うコロラトゥーラの名曲「今の歌声は」を立派に歌いました。これはモーツァルト作曲の歌劇「魔笛」の夜の女王のアリアとともに私の大好きな曲です。後者に興味のある方は、別の歌手ですが以下で内容を確かめて下さい。https://www.youtube.com/watch?v=ZNEOl4bcfkc 「どうすればこういう声がでるのだろう」と思うこと請け合いです。これらアリアのほか、二重唱、三重唱もいろいろありましたが、ともあれその声と役者ぶりには感心することしきりです。配役も物語の年齢とマッチしていて、違和感は覚えませんでした。

  休憩後の第2部は皆さん一転して明るいムードとなり、オペラ座の怪人・屋根の上のバイオリン弾き・ウエストサイド物語・マイフェアレディーなどの有名ミュージカルやウインナ・オペレッタの名曲を次々に歌ってくれました。ただミュージカルの女声パートはオペラよりかなり低音なので、軽い高音(ソプラノ・リリコレッジェロ)が得意のヤナさんにはつらいものがあったかなと思いました。今回も感心したのはピアノ伴奏です。ダニエル・ブラノフスキ氏の丁寧な演奏は、同行のアマオケ・ビオラ首席奏者の友人も彼をベタ褒めしていたように、本当にすばらしかったです。一区切り毎に主催者の長谷川さんが出てきて曲目解説をするのは前回と同様です。脇道にそれて日本の既存クラシック界を批判するのも相変わらずですが、これが今回は結構激烈で、私などそちらの方も楽しんでいる者にとっては、「もう少し応援してあげればいいのに・・・」という気分になりますが、彼個人で進めているこの事業に対する熱意と努力には頭が下がります。

  その彼からの依頼で再びチケット販売のお手伝いをしたのですが、今回も放送大学の友人ほかに計49枚が売れ、前回同様「楽しかった。また声をかけてね。」と言われたのはうれしいことです。次回は1学期の試験期間にぶつかってしまいますが、7/26横須賀椿姫 7/27海老名ドン・ジョバンニ 7/29戸塚椿姫 7/30(多分昼)逗子ドン・ジョバ 8/1厚木椿姫と聞いています。ベルディ作曲になる世界的人気演目とモーツアルトの傑作を6名の歌手を引き連れて公演するとなれば期待もひとしおです。終演後は同行の友人達と駅構内の居酒屋でまた大いに語り合ったことでした。 以上


「カルメンとオペレッタの饗宴」

佐竹 信一
2015年7月30日(木) 18:30〜

Opera Karumen

 放送大学1学期期末試験中の7月30日になんとか時間を工面して「カルメンとオペレッタの饗宴」というコンサートに行ってきました。駅から徒歩5分の「戸塚フォーラムホール」につくと、380席の会場はほぼ満員です。プログラムは、前半に歌劇カルメンの有名場面をハイライトで、後半はオペレッタの名曲をメドレーで歌うという贅沢なものです。はじめに日本の古典芸能研究家というイワン・ルマネクさんが登場して詳しくあらすじを説明してくれましたが、これはこれからの舞台をより興味深く鑑賞するのにとても親切な配慮でした。

  舞台はセビリア。田舎出身で純朴な伍長ドン・ホセはホセを慕う同郷のミカエラが訪ねてきたのに、たばこ工場の女工カルメンにバラの花を投げつけられてその虜になってしまいます。ケンカでつかまったカルメンを逃したことで軍隊を追われ山賊の一味に加わりますが、闘牛士エスカミリオに心変わりしたカルメンに恋々とし、最後にはカルメンを刺し殺してしまいます。何とも激しい筋立てですが、ビゼーの音楽は緩急自在に物語を引き立てるすばらしいものです。

 舞台では長身でハンサムなホセ(ヤン・バビヤク)がそれらしい衣装で登場し、声も伸びやかで魅力的。カルメンは強面(こわもて)の美人ソプラノ(クラウディア・デルネロバ)が迫真の演技を披露し、聴衆の視線を奪いました。有名な「ハバネラ」はビブラートが強すぎて不満でしたが、段々自然な発声となり一安心。ホセの恋敵(こいがたき)となる闘牛士エスカミリオ(ギュンター・スタラフレガー)は中背・筋肉質のバリトンで、勇ましい闘牛士の歌を立派に歌いました。メゾのルビツア・グラツォバの田舎娘ミカエラは、声も音程も安定していて大変上手なのですが、出番が少なくやや残念(後半では大活躍)。ちなみに彼女は音大の先生でこのミニオペラ団の団長さんでもあるそうです。やがて舞台はにぎやかな闘牛場前での主役2人の凄惨な修羅場となりますが、ここはかなり迫力があり、手に汗握る雰囲気でした。終わっての会場は拍手喝采です。カーテンコールでは常のことながら、死んだはずのカルメンが起き上がって笑顔で挨拶しました。でもこれは映画や歌舞伎にはない習慣です。毎回私が舞台の余韻に浸りすぎるせいなのかもしれませんが、「虚実皮膜」とはいいつつも「先ほどは舞台、今は挨拶」という違和感がいつも残り、何度経験してもこれに慣れることができないのは我ながら不思議です。でも拍手は沢山しました。

 休憩後の後半プログラムでは皆さん明るい服に着替えて、陽気なオペレッタの名曲やカンツォーネ(イタリア歌曲)をたくさん歌ってくれました。一区切り毎に主催者の長谷川さんが出てきて曲目解説をしてくれますが、彼の既存クラシック音楽界に対する毒舌を聞くのも面白かったです。曰く、どんな音楽家でも「舞台では一芸人として聴衆を楽しませなければいけない」と。そのせいかどうか、この日の歌手は直立不動の藤山一郎型とは異なり、相手に合わせてウィットに富んだ演技をしながら歌ってくれたので、観衆も次第に乗ってきて、手拍子が出る場面も多かったです。なかではやはりメゾのグラツォバの声がすばらしいと思いました。全体を通じていたく感心したのはピアノ伴奏です。態度が控えめな長身痩躯のペーター・パジッキ氏のダイナミックで丁寧なピアノ演奏は、この舞台をひと味もふた味も盛り上げてくれました。この方もどこかの教授とか。アンコールでも舞台上の皆さんは大サービスでしたが、なかではロッシーニの「猫の2重唱」が秀逸でした。

 この公演は突然主催者から私の所にチケット販売の依頼が来て、私も地元の磯子で以前2回ほどこの公演を聴いて好感を持っていたので、一肌脱いで応援しました。その結果、以前から「このような機会があれば行ってみたい」と聞いていた放友会ほかの友人に計35枚が売れ、皆様から「楽しかった。ぜひまた行きたい」との反応を頂けたのはありがたいことでした。主催者にも大変喜ばれました。でも戸塚や横須賀会場はほぼ満員だったのに鶴見会場は半分程度だったとかで、この中身を知れば全くもったいないことでした。この値段でこんなに中身の濃いコンサートはほかに知りません。まさに長谷川さんの熱意のたまものです。でも彼ももう79才。後継者を大募集しているようですが、大変でしょうね。ともあれ大満足の終演後は同行の友人と戸塚駅構内の居酒屋で大いに語り合ったことでした。以上。今夏異常熱暑執筆遅延乞謝。


 オペラ 「コシ・ファン・トゥッテ」
佐竹 信一
2014年1月5日(日)

 連載観劇記の最後はやはり好きなオペラで締めさせて下さい。暮れも押し詰まった12月22日(日)夜、モーツアルト作曲のオペラ「コシ・ファン・トゥッテ」を見てきました。会場は東急日吉駅のすぐ目の前にある慶応大学日吉校舎・藤原洋記念ホールです。冊子を買って初めて知ったのですが、主催の慶応大学コレギウム・ムジクムとは大学の正規の教養授業の一つで、参加するのはこの科目を選択した音楽専攻でない普通の文学部や経済学部等の学生や院生さんです。今までは小編成の楽器や合唱の演奏会を開催していて、大掛かりなオペラをやるのは初めての由。友人応援のためか会場はいつもの老人夫婦とは異なり若い観客で超満員。全自由席なのに開演近くに入ったため1階後方の席でしたが、定員500名の小さなホールなので問題はありません。今回の出演歌手はオーディションで選んだ若手のプロ声楽家で、オーケストラと合唱、舞台転換、外のもぎり・会場整理・冊子販売等は皆この授業をとった学生です。ちなみにチケットは2000円という良心的価格で、年末年始の時期にダブルキャストで4回の公演を行い、私のは2回目の公演でした。

 モーツアルトは言わずとしれたクラシック音楽の大天才ですがオペラもたくさん書いていて、最後の5作のうち「皇帝ティトの慈悲」を除く「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」「コシ」「魔笛」はどれも傑作で上演機会も多く、私はみな好きです。女心について老人と賭をした若者二人は出征して不在になったことにして別人になりすまし、姉妹であるそれぞれの恋人を互いに入れ替えてアタックすると、驚いたことに24時間のうちに姉妹とも結婚を承諾するまでになってしまい、激怒する若者とおののく姉妹を前に、老人が「cosi fan tutte=女はみんなこうしたものさ!」)と歌ってお開きになるという皮肉な人生達観オペラです。モーツアルトはこの曲を亡くなる前年の34才に書いたそうですが、当時の世の中がこんなだったのか、彼がとくに早熟だったのか興味がわきますね。曲はアリアもありますが、2重唱、4重唱、6重唱などすてきな重唱がたくさんあるアンサンブル・オペラであり、筋の運びも軽快なのでとても好もしいです。でも30分の休憩を挟んで開演5時・終演8時半というのは2幕にしては結構な長さといえましょう。合唱を除くと狂言回しの女中役を入れて登場人物はわずか6名のオペラですが、舞台上で楽譜を見ながら直立して歌い進める「演奏会形式」でなく、狭い舞台ながらそれなりの衣装を着て演技する「本格オペラ」だったのでとても楽しめました。

 演奏についてです。オーケストラが音大生でなく一般学生なので、さすがに精妙な味わいを出すのは難しいようでしたが、ボロが出やすい管楽器も何とか破綻なくまとまっており、この公演までの猛練習のあとが偲ばれました。登場したプロの若手歌手については「すばらしい」の一言です。名前は知らない方ばかりですが、最近の日本の若手歌手は実力がすごく上がっているので、安心して歌を楽しむことができました。演技も堂々たるものです。なかではルノワールの絵から抜け出てきたような雰囲気のある姉娘役と、軽快な動きで舞台を引っ張った女中役のご両人がよく、妹の本来の恋人役は視線が不安定でやや演技がぎこちない印象がありました。合唱団は男女学生ですが、彼らは黒でまとめたシンプルな衣装で、舞台ばかりか客席廊下にも展開して舞台を立体的に盛り上げてくれました。それにしても演出のほか当日の演奏指揮まで舞台全般をまとめた経済学部の先生のご苦労は大変なものだったでしょう。プロンプターの位置にいたチェンバロ担当のすこし年輩の方が、歌手や合唱隊を舞台そばの身近な所から指揮者に合わせて応援指導されていたように見受けたのも面白かったです。大劇場だと舞台脇左右2個所で表示される字幕は会場の制約から舞台上方の白壁に投影されましたが、字が舞台への照明と重なってうすくなり、正直なところかなり見づらかったですがこれは仕方のないことでしょう。舞台装置は大きな衝立4枚を裏返すだけのシンプルなものでしたが、室内と屋外の感じがよく出ていて感心しました。

  放友会だより新年号の座談会でも述べましたが、オペラは「物語」と「舞台装置」がある芝居に「オーケストラ」がつき、すばらしい「人間の声」がつき、場合によっては「バレエ」もついてくるという一番ぜいたくな音楽芸術なのです。私はクラシック音楽、特にベートーベンの交響曲などが大好きだったのですが、いつのまにかオペラの方に引きずられてしまいました。それなのに「オペラはどうも苦手で・・・」という方が多いのは、死にかけたヒロインの役をデブのおばちゃんが絶叫するという例の固定概念があるからではないでしょうか。今回のように「マイナー」なのに質の高い実演に出会えたのは幸運でしたが、手軽にオペラに挑戦するなら映画館での「オペラ・ライブ・ビューイング」などがいいかもしれません。

  放友会のこの場所をお借りして、この1年間好き勝手に言いたい放題の観劇記を書いてきました。個人的にはとりあえず本稿をもって一区切りとし、今後はまた気が向いた時に寄稿させて頂ければありがたく思います。これまでのご愛読まことにありがとうございました。今度お会いしたら、舞台芸術について酒を飲みつつ大いに語り合いたいものです。


 一人芝居「燃えよ剣」
佐竹 信一
2013年12月4日(水)

 去る11月10日に浜演鑑11月例会で「燃えよ剣」というお芝居を観てきました。副題の「土方歳三に愛された女、お雪」というのは原作者司馬遼太郎が創作した架空の人物ですが、これを十朱幸代(ゆきよ)が一人芝居で演じます。彼女は昔2.5枚目の名脇役だった十朱久雄の娘で、えくぼがかわいい色白の女優さんでしたが、ここずーとテレビではご無沙汰でした。初めて見る彼女の実演で久しぶりの再会を果たしたことになりますが、若い頃とあまり変わらずなかなか魅力的でした。

 舞台は和服を着た十朱がテーブルの前で椅子に腰掛けているところから始まります。勤王の志士に追われ傷を負った土方が偶然お雪のところに血だらけで転がり込むのですが、武家出身の未亡人お雪は突然のことにもたじろがず静かに土方を介抱し、回復した数日後に分かれます。後日彼がお礼を持って再訪した時、お雪は初めてこの人が新撰組副長土方歳三ということを知りますが、その後土方は時折ここを訪れるようになり、十朱が語る二人の会話を通してそのプラトニックな愛が描かれます。ピアノの下降音階がゆっくり反復する効果音のなか、十朱の朗読と軽い動作によって劇は進行しますが、観客の想像力はいやましに募っていき、次第に舞台に集中するようになるのは不思議です。時が進んで新撰組がいよいよ薩長倒幕軍と戦いになるという時、土方とお雪はどこか山奥のお寺に1泊の旅に出て一緒に夕日を見るのですが、このくだりはすばらしい場面でした。土方は最後には五稜郭陥落前の箱館戦争で鉄砲に打たれて死にます。ためらっていたお雪はその直前に結局箱館まで行きますが、そこで再会するのしないのという気をもむ場面もありました。

 一人芝居は普通の芝居のように会話をやりとりする相手がいないので、舞台上を歩き回ってリアルに演技するというわけにいきません。それで舞台中央に座り込んで軽い動作で話を展開したり、今回のように椅子に座って本を片手に語るような舞台になります。過去の体験でいえば「座り型」には渡辺美佐子の「化粧」や白石加代子の「百物語」などがあり、また題目は覚えていませんが、昔歌舞伎座で見た先々代中村勘三郎の忘れがたい名演もありました。今回と同じ「椅子型」の舞台は宝塚出身の麻美れいによる「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」を見ました。この時も本を手にしてはいましたが、実際にはセリフは全部覚えているはずですから、本はそのきっかけに過ぎないのだと思います。観客の注意を自分一人に引きつけるためには会場は小さい方がよく、今回は桜木町の共済ホール(300席)だったので、どこからでも十朱の姿が近く見え、声もよく通るだろうと思います。

  子供の頃、映画で嵐寛寿郎主演の「鞍馬天狗」シリーズを見て感激し、家にあった紫の風呂敷を頭にかぶってチャンバラをしたりした記憶がありますが、敵役の新撰組隊長近藤勇は月形竜之介でした。しかし当時から鬼の副長土方歳三や剣の達人沖田総司の名は知っていたものの、映画でそれを誰が演じたかは全く記憶にありません。映画はやはり主役とそれを引き立てる敵役さえ目立てばいいからなのでしょう。

  その点04年のNHK大河ドラマ「新撰組」では、総放映時間が長いせいか、新撰組隊士一人一人の姿がくっきり見えるドラマになっており、私にしては珍しく毎週かかさず見たものでした。脚本は売れっ子三谷幸喜ですが、当時若手の俳優陣がみんな今は立派な中堅俳優に育っていて壮観です。たとえば今回の土方歳三は色白美顔の山本耕史が演じ、他は香取慎吾(近藤)・藤原竜也(沖田)・堺雅人・オダギリジョー・山本太郎・山口智充・谷原章介・中村獅童、すこし年配では佐藤浩市(芹沢鴨)・白井晃などもいました。ネットで確認すると新撰組の年齢は当時皆30才前後で、一癖ある芹沢が36才、沖田などは20才ですから、この配役はかなり現実に近かったのではないでしょうか。それにしても幕末は激動の時代であり、浮気な私はまたこの時期の物語にも関心が広がっていきそうです。


 「松本ヒロ ソロライブ」
佐竹 信一
2013年10月19日(金)

ポスター

 先週の土曜日に家の近所の杉田劇場で「松本ヒロ」の政治漫談を見てきました。公演時間は約1時間半で、一渡り話をすると、舞台の端にしつらえた支度部屋と称する場所で一息入れて水を飲んだりし、そこからまた舞台に登場するのを繰り返す3場構成の舞台です。パントマイムなどを交えながら、反戦の立場から一人で憲法第9条やオスプレイなど政治の話題を笑いとともに語ります。昔はコロムビアトップ・ライトの漫才など時の政治を風刺する番組をよく見聞きしたものですが、最近は政治を辛口でいびるような番組はとんとお目にかからないですね。「私は申し出を断ったことはないのですが・・」と笑わせながら,テレビ局からは一度もお呼びがかかっていないそうです。客受けしないせいなのか自主規制なのかは分かりませんが、今騒ぎの渦中にいる「みのもんた」の朝ズバッにしても夜10時からの「古館伊知郎」の報道ステーションにしても、多少の注文はつけるにせよ本質的なところまで切り込まずに、「もう一度よく考えてみる必要がありそうです」というところで止まってしまうテレビとは、アクの強さがだいぶ違います。

 ヒロさんは鹿児島県出身で、高校野球・サッカー・陸上等体育系の活躍が全国的に有名な鹿児島実業を卒業しました。鹿児島を説明する時、突然自分の体を斜め前方上に突きだし,右の靴で舞台をトントンとたたいて「皆さんここですよ。ご存じですよね。」といった芸もなかなかのものです。もともと中学時代からかけっこが早くて県大会にも出場し全国も狙える位置にいたそうですが、高校でも駅伝などでがんばって,法政大学にスポーツ特待生で入学できたそうです。ところが競技の時すこし目立とうとスタジアムをアフロヘアーで走って先輩方の大ひんしゅくを買い、退部させられてしまったのだとか。その後自由な表現活動をしたいと「パントマイム」や「お笑い」の世界を目指すようになったのだそうです。

 今回面白かったのはノミのサーカスの実況で、居もしない2匹の「のみ」を手のひらに載せた形にして、「さあヘンリー、次は2回転ジャンプだぞ」などといいつつ自分の右手を見ている姿勢から顔を2回ぐるぐると回し、左手に着地するような仕草で、だんだん難度を上げていくような演技には感心しました。私は今まで彼の舞台を2度見ていますが、その時はガラスの壁が徐々に狭まってそれを必死になって戻そうともがく状況のパントマイムが、実に写実的でびっくりした覚えがあります。この芸は「スクリーンのない映画館」や猿の物まねで人気があった「マルセ太郎」(仏の有名なパントマイム役者マルセルマルソーをもじった芸名です)を師匠にしてかなり勉強したのだそうです。この師匠が亡くなった時、雨の中お葬式の準備に早速駆けつけたところ、鍵がなく大勢が外で待っていた時に、やっと帰ってきた奥方が鍵を開けながら「どうしてみんな中で待ってなかったの」とのたもうた話なども会場の大爆笑を誘いました。

 別に「ベルグソン」の本を読んだわけではないのですが、笑いの種類についてすこし考えてみると、@下ネタ A人の奇妙な表情や仕草を見て Bテレビの「笑点」などでよくやる、二つの言葉の示す概念の中にある意外な共通点に気づいて C成功を確信したり、高額の預金残高を眺めた時の「にんまり」などいろいろ考えられます。彼の笑いはどれなのでしょうかね。以前「ともかく口を開いて大声でわっはっは」とやって健康になろうという運動を進めている人の講演を聞いたことがありますが、無理して笑うのはどうも気が進みません。しかし笑うことは悲しむより健康にいいのは確かでしょう。Bの言葉の笑いで思い出すのは、だいぶ昔食卓で家族がなにか「正直(ショウジキ)」について話していた時、幼稚園頃の娘が「それって吸うもの?」と突然発言して、みなが大笑いしたことは今でもよく覚えています。「台風一過」をかなり大きくなるまで「台風一家」と勘違いしていた話もごく身近にありました。

 この公演は磯子駅そばで掲示板の広告を偶然見つけたおかげです。今回は近いので家族3人で見に行きました。券を買いに行った時、310席この杉田劇場で今まで毎年開催されていることを初めて知りましたが、このような「一人だけの舞台」で観客を巻き込んで話芸を繰り広げるというのは、広い会場では難しいのかもしれませんね。老齢の母は意外にも漫談より沖縄基地問題のドキュメンタリー映画「標的の町」の話にいたく心を動かされたようでしたが、カミさんは割にクールでした。新杉田駅への帰り道に別件で外出中の古内会長一行とお会いしたのは偶然でしたが、皆さんももしチャンスがあればこの松本ヒロの公演に1回は行って損はないように思います。とにかく笑えますから。


 オペラ「ファルスタッフ」
佐竹 信一
2013年9月6日(金)

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 夏枯れの8月は休んだが、9月に入り上野の東京文化会館でミラノスカラ座引越公演の「ファルスタッフ」を見た。スカラ座といえばウィーン、METと並ぶ世界3大歌劇場の1つとしてオペラファンあこがれの劇場だ。1981年の初来日以来今度が4年ぶり7度目という引越公演は、指揮者・演出家・歌手・オケ・合唱団・装置係・衣装係など300人超の人々が現地の舞台装置を持ち込んで、NHKホールの「リゴレット」と合わせ東京の2劇場で合計9回上演したのだ。出し物は今年生誕200年になるイタリアオペラの巨匠ベルディ最後のオペラで、シェイクスピア原作の「ウインザーの陽気な女房たち」を翻案した喜劇である。老騎士ファルスタッフはふとっちょの好色漢で、周囲のご婦人方にいろいろちょっかいを出すのだが、最後には彼らからこらしめられ、「結局世の中すべて冗談さ」ということで笑いのうちに幕となる。劇中に人の死がなく最後に人間の本性を肯定する笑いで終わるオペラは、モーツアルト「コシ・ファン・トゥッテ」やヨハンシュトラウス「こうもり」など多くはないが、これらは気楽に見ることができるので終演後の帰路の足取りは軽い。

 主役のファルスタッフはこれが当たり役という巨漢アンブロージョ・マエストリ、誘惑されるご婦人方やその旦那衆はバルバラ・フリットリ以下どの歌手も声・演技がすばらしい。ロシア美人歌手1人を除き他の歌手が皆イタリア人というのもよろしい。目下脂ののっているダニエル・ハーディング(英)のメリハリのきいた指揮のもと、スカラ座のオケと合唱団もさすがというほかない。演出はカナダ人で過去には奇抜な演出もあったらしいが、今回はオーソドックスな舞台で、大きな2枚の壁を場面毎に移動して館の中や森の雰囲気をうまく出していた。普通なら2回休憩が入る3幕の舞台を今回は1・2幕続けて上演したので、休憩1回30分を入れて6時半開演、終演9時15分と比較的楽なオペラ鑑賞であった。ファルスタッフはベルディ最後のオペラなので円熟した作曲技法がさえた傑作ということになっているが、私としてはいかにもオペラらしいアリアとか記憶に残る2重唱とかがないので、少し不満があるオペラだ。最近ドイツなどではやりの「読み替え」演出、すなわち時代を現代に見立てたり、別の国の話として背景を作り替えてしまうような舞台も私は好きでない。要するに私は保守的な部類に入るオペラファンなのだろう。

 今回はネットチケットサービス「eプラス」で運よく一番安い1万円の「エコノミー席」が当たり、5階の舞台寄りの席で鑑賞した。この席は学生時代に今の新日フィルのシリーズ券で若き日の小澤征爾を何度も見た懐かしい席であり、視覚的には真横から舞台真下を見下ろすような形になるのだが、音はとてもいい。ところでこの公演の料金はS席62A55B48C38D29E19F13千円とやたらに高く、次が私の1万円席だ。EとFは席数が少なく実際上殆ど買えない。このような「非常識」な価格設定は1970年代からバブル期に、初来日の引越公演を相次いで呼んだ時の法外な報酬が現在まで尾を引いているためといわれる。ふだんは国産オペラに行かず、こういう外国オペラだと良席に喜んで出かけるという人もいるそうだが、今回見た限りでは安い上方の席は満員でも1階S席の両サイドにはかなり空席があった。過去には売れ残ったS席を招待券や大幅割引で大量にばらまいた公演もあったというが、おかしな話だ。

私がオペラに行き始めた40年くらい前は国内オペラ団の訳詞上演ばかりだった。だから引越公演は日本の観客には原語上演による世界水準のオペラ体験機会を与え、舞台関係者にはそれを実現するノウハウを伝授してくれた点で大きな貢献があった。過去の引越公演には日本のオペラ上演史上歴史的名演といわれているものも多く、当時の私も大枚をはたいて出かけて感激したものはよく覚えている。また大人数での来日に金のかかるのも事実である。しかし現在の国産オペラも字幕つき原語上演が当たり前となり、その水準も相当に上がった。開場16年になる新国立劇場は2月の「タンホイザー」観劇記にも書いたように指揮と主役が外国、オケと脇役が日本の組合せでこのところ高水準の上演が続いている。料金は大オペラの場合S席25〜D5千円前後だが、私の「選べるB席割引セット券」なら2階サイドで12千円ほどだ。二期会や藤原など国内オペラ団の料金はこれよりさらに安い。外国旅行が以前よりずっと気軽になり、1〜3万円程度の現地券もネットで直接買える時代になった今、赤字リスク覚悟で今までがんばってくれた「呼び屋」さんには感謝だが、そろそろ引越公演のこの高値とおさらばできるよう知恵を絞ってほしいものだ。


 読売日響 オーケストラコンサート
佐竹 信一
2013年7月30日(火)


 今年初めてオーケストラの演奏会に行ってきました。ミューザ川崎大ホールで9つのオケが代わる代わる演奏会を開く夏恒例の「フェスタサマーミューザ」です。ここは2004年の開館ですが、東日本大震災で吊り天井が大規模に崩落し、復旧工事を終えて今年4月ようやく再オープンしたので、同会場では3年ぶりのフェスタです。事故は接続金具の強度不足や施工不良が原因だったそうで、当日もし満員の演奏会があったら大惨事だったでしょうが、今後は震度7でもばっちりのよし。私は再開後初めて行ったのですが、音響効果やユニークな客席形状を持つ内部構造は以前とまったく変わりません。しっかり残響があって、演奏舞台を取り囲むワインヤード形式の客席の並びも、直角がきつい長方形でなく、なだらかな折れ線なので心が落ち着く大変いいホールです。

 今回聞いたのは小林研一郎指揮の読売日本交響楽団による「チャイコフスキー特集」でした。初めはオペラ「エウゲニ・オネーギン」から「ポロネーズ」。ひねくれた性格の青年貴族オネーギンを主人公とする暗〜いオペラですが、第2幕第1場のワルツと第3幕冒頭のこの曲は、「白鳥の湖」などバレエ音楽の名手チャイコフスキーの優雅なメロディーが躍動するすてきな曲です。続いてソリスト仲道郁代が登場し、「ピアノ協奏曲第1番」が演奏されました。この曲は何度聞いてもオケとピアノががっぷり四つに組む壮大な曲想がすばらしいです。終曲の盛り上がりもみごとでした。今回は舞台右側真横2列目の席でしたが、鍵盤右の高音部を弾く時以外は開かれたグランドピアノの蓋と指揮者との間から、つねにソリストの顔を正面から見ることができたのは偶然ですがラッキーでした。フェスタなのでこの2千円B席は大変お買い得です。見ているとピアノの音と彼女の唇の動きが連動しているのに気がつきました。きっと弾きながら「ジャジャジャ・ジャン・ジャーン」と歌っているのではないかと推察しました。面白いですね。

 休憩後の最後の曲は「交響曲第5番」です。この曲は第4楽章半ばに勇ましい金管楽器の咆哮があり、にぎやかな行進曲風の音楽が好みの私としてはお気に入りの曲です。出だしから力強い音楽が流れ出しましたが、曲が進むにつれ指揮者がどんどん乗ってくるのが分かり、オケもそれに応えて大音量ながら粒のそろった音が会場内を満たします。第4楽章に入ると指揮者は台上で飛び上がるし、弦楽器奏者は弓の動きとともに体が左右に大きく揺れ動き、金管・木管・弦の合奏は実にドラマティックで、視覚と聴覚の両方から盛り上がりをひしひしと感じました。コーダが終わると、会場内からは「ワー」と言う歓声とともに「ブラボー」のかけ声が一斉に響きました。舞台上の指揮者も各演奏者も「今日はやったぜ」的な雰囲気が感じられ、こちらもうれしくなります。何回も指揮者が呼び出されて拍手を受けましたが、やがて客席に向かい「今日は皆さんのおかげで本当にすばらしい演奏ができました。この高揚した雰囲気を沈めるために、今から"ダニーボーイ"を演奏します」と。その後、心を落ち着かせる静かなメロディーがゆったりと会場内を流れ、次第に客席の興奮が静まってくるのを感じました。この手のイベントでアンコールは珍しく、まして非クラシックの曲が選ばれるのはもっと珍しいです。でもクールダウンにはまことにふさわしい曲でした。

 指揮者が乗ってきた時、身振り手振りが大きくなるのはよくありますが、指揮台で飛び上がるのは珍しく、過去にはイスラエル出身のダニエル・オーレンくらいしか知りません。まさに「炎のコバケン」というニックネームの面目躍如でした。老齢の指揮者は目や指先だけで指揮しますが、それでも出る時は大音量が出ます。スマートな軽い動きで流麗なのは好きだった故カルロス・クライバー。カラヤンの指揮は私にいわせれば気取り過ぎのような気がします。

 この日午前中は弘明寺で「西洋音楽の歴史'13」と「現代都市とコミュニティ'10」の期末試験があり、この音楽会のチケットは今学期の「個人的打ち上げ」として購入したのですが、結果は大当たりでした。音楽と宗教が弱かった放送大学の放送授業も、ついに今期に上記講座と「仏教と儒教'13」が開講してハッピーです。でもオペラや歌舞伎と異なり、オケの感想を書くのは難しいですね。演奏される音そのものを文章でうまく表現できないため、演奏評価の本丸を攻め上らず、外壕ばかり埋めるような文章になってしまいました。最後までお読み頂き感謝です。    以上。


 オペラ「夜叉ガ池」
佐竹 信一
2013年6月28日(金)

 久しぶりに新作日本オペラを見てきました。新国立劇場は4年ごとに日本人作曲家の創作オペラを上演するのですが、今回は香月修の「夜叉ガ池」で、指揮・演出・歌手等もすべて日本人でした。原作は泉鏡花で、彼には「婦系図」「歌行燈」等の純文学作品と「高野聖」「海神別荘」「天守物語」等の幻想小説や戯曲がありますが、妖怪が出てくる後者の方がオペラ向きらしく、多くがすでにオペラ化されています。「夜叉ガ池」も後者で、過去に玉三郎主演の映画や芝居になっていますが、オペラは今回が日本初演=当然世界初演です。海神の妖しい世界、人間の通俗世界、笑いを誘う3人の道化の登場などのオペラの構成を見ると、プッチーニの人気オペラ「トゥーランドット」との類似性を感じます。 ポスター

 明治期の山奥の谷に、近くの夜叉ガ池に住む海神が暴れないよう毎日三回の鐘をつくことを忘れない正直な夫婦がひっそりと住んでいました。日照りの年に彼らに反感を持つ近くの地主や百姓たちと雨乞いの件で諍いが起き、ある夜騒動の最中に鐘をつくのをやめると大洪水が起きて皆溺れ死ぬというかなり荒唐無稽な物語です。しかしオペラ冒頭で海神の白雪なる女性?がおどろおどろしい水底の洞窟に現れ、「あの鐘の音さえなければ私は自由なのに・・・」と歌うので、聴衆には海神は実在するという前提が刷り込まれます。ですから2幕後半で「今時そんな馬鹿なことが・・・日照りに洪水なら結構じゃないか」とちゃかす周囲の声が理不尽に聞こえてしまいます。4年前に作曲開始とのことですから福島の事故とは関係ないはずですが、私はなんとなく今の原子力発電の是非論議を連想してしまいました。

 私が見たのはダブルキャストのA組で、けなげでかわいい妻役・ソプラノ幸田浩子、声量のある夫役・テノール望月哲也、友人役・ニヒルでスマートな外見のバリトン黒田博などお気に入りの歌手はみなよく歌いました。指揮の十束【とつか】尚宏は東京フィルをメリハリよく鳴らし、岩田達宗の演出は回り舞台をうまく使って場の転換が早く、装置も具象的で分かりやすいです。ただ最後の洪水の場面は装置を後方に下げて舞台を平らな洪水面に見立てる趣向ですが、スペクタクル性がなく少々残念。とはいえ香月修の音楽は全体に聞きやすく穏やかで、盛り上がるところはしっかり盛り上がり、終始聴衆の目と耳を舞台に引き込む吸引力にはただならぬものがありました。私は過去に少ないながら十五本以上の日本オペラを見ていますが、本作はすごい傑作です。休憩25分を入れて2時間15分という上演時間も好もしい。平日昼でも900名収容の中劇場はほぼ満員でしたが、1800名のいつもの大劇場でなかったのは、劇場側も新作日本オペラの客寄せに不安があったのでしょうが、この出来を見ればまことにもったいないことでした。

前弘明寺で「イタリア歌曲の楽しみ」という面接授業を受けた際、「オペラ上演における言語について」と題した提出レポートに「日本語オペラは舞台進行の理解の容易さから感情移入もしやすく、日本語の美しさと聴き慣れたメロディーがあるので日本人のオペラ鑑賞の基本である。ただ上演機会が多いのは團伊玖磨作曲「夕鶴」などかなり限られたものしかなく、スポンサーが少ないせいか、新作品の発表も地元向けの地方オペラを除いては最近あまり聞かない。私が感動した原嘉壽子の「祝い歌が流れる夜に」など隠れた傑作演目は他にもいろいろあるはずだが、これらの再演の機会が少ないのも残念なことだ。」と書いたことがあります。

 今では洋物オペラの原語上演で舞台の両袖に訳詞の電子字幕が出るのは当たり前になりましたが、今回は日本語オペラなのに初めて字幕が出ました。はじめは日本語なのだからと字幕を見ずに歌手の声だけを聞くようにしてみたのですが、歌手の発声かオケの過音量か元々の楽譜のせいかは分かりませんが、聞き取れない部分が結構あって、結局いつもと同じ鑑賞法になりました。ですからこのオペラはレシタティーボ(セリフにメロディがついたもの)をもっと聞き取りやすくなるよう修正すれば、きっと将来「夕鶴」に並ぶ日本オペラの代表作になると思います。イタリア語と似て日本語は母音が多いので、歌が耳に心地よく響くのも有利です。ともあれ傑作日本オペラの世界初演に立ち会えたのは幸せなことでした。ぜひ再演を望みます。


 フロレスコンサート
佐竹 信一
2013年5月27日

バービカン入口 フロレス ディド 開演前の舞台
放送大学に入学した退職の年以来3年ぶりに欧州個人旅行に出かけ、4月21日ロンドンでテノール「フアン・ディエゴ・フロレス」のコンサートを聞いてきました。ペルー出身の彼は今世界でもっとも人気のあるテノール歌手の一人ですが、私は数年前NHKBSで放送されたMET(NY・メトロポリタンオペラ)のドニゼッティ作曲「連隊の娘」のアリア「おお友よ、なんと楽しい日」で、すごい高音域(ハイC)を軽々と歌う彼の声に驚嘆して名前を知ったのが最初です。現在もユーチューブ(http://www.youtube.com/watch?v=k2-4CGOvMM4)で彼の歌うこの曲を聴くことができます。この記憶があったので、旅の日程が決まり鑑賞できるコンサートやオペラを調べていて、運よく彼のロンドン・コンサートを見つけた時は大変うれしく思いました。今はこのような海外の公演のチケットもネットのおかげで簡単に購入することができるのはありがたいことです。申し込んだのは去年9月でしたがもう席は残り少なく、S席85ポンド(約12いいり000円)を奮発したのですが、そのおかげで現地に行ったら2階中央右のすばらしい席でした。もちろん観客席は満員です。

会場はロンドン市内北西部にある複合文化施設バービカンセンターの中にある2000名収容のバービカンホールで、私は初めての所です。キングスクロスから地下鉄で2つ目のバービカン駅で降り、さえない大トンネルを5分くらい歩いて抜けるとセンターの看板が見えてきます。他に大小2つの劇場、3つの映画館、図書館などもあるそうですが、センター入口の外観はあまりぱっとしません。休憩時間のさいも、劇場独自のロビーはなくセンターの通路と一緒なので何となく雑然としており、米国や他の欧州の劇場、あるいは同じ英国でもコベントガーデン王立歌劇場などと同様の優雅な雰囲気を想像していた私にとってはちょっとがっかりでした。

歌手1人のリサイタルというと、オペラのような舞台装置や物語の筋もなく、ただただ声を楽しむことが主眼になるわけですから、蓋を開けた伴奏グランドピアノのそばで2,3曲歌っては袖に引っ込むのを繰り返すというきわめて禁欲的なスタイルの音楽会になるのが普通です。でも今回のコンサートは私がちゃんと中身を確かめなかったせいで良い方に予想が外れ、名門ロンドン交響楽団によるフル・オーケストラ伴奏のもと、主役のテノールにソプラノ・メゾソプラノ・ベースの3人の応援歌手が登場してオペラ曲ばかりを歌う趣向のものだったので、飽きることはありませんでした。3人のなかでメゾの「ジョイス・ディドナート(米)」は力強く張りのある声がすばらしく、帰国後に調べたら、今年2月に浜の映画館で見たMETのライブビューイングで、ドニゼッティの女王3部作の一つ「マリア・スチュアルダ」のタイトルロールを歌ったその人だったのを知ったのは、我ながらうかつでありました。

主役のフロレスは何回も登場して得意のオペラ曲をソロ、デュエットで沢山歌ってくれました。チビデブの多いテノールの中では背はあるほうですし、顔もまあ二枚目、スタイルもいい彼が、すばらしい高音を披露してくれるのですから大人気なのも十分うなずけます。彼はとくにロッシーニが得意なのですが、オペラ「シンデレラ」「ウイリアム・テル」などから、彼の軽快でのびやかな高音が生きる曲を歌いました。大音量のオケの伴奏を突き抜けて歌声が会場内に満ちるのはなんといっても快感です。このほかにドニゼッティ、ベッリーニ、ベルディなども歌いましたが、私の聞いた例の「連隊の娘」のアリアが選曲に入っていないのは残念でした。

とりあえずの終演後、会場内は拍手喝采となり、そのせいかアンコールも沢山歌ってくれました。初めは私の知らないオペラの曲、次にイタリア民謡「オーソレミオ」を全員が代わる代わる面白おかしく歌い、最後はおきまりのベルディ「椿姫」第1幕の「乾杯の歌」でした。この歌は悲しい結末のオペラにしては、元気の出るいかにもオペラらしいメロディーなので「締め」にはまことにふさわしいですね。開演は夜の7時半でしたが、会場を出たのは10時15分でしたから、日本のそれに比べると出演者は大サービスしてくれたことになります。会場が期待はずれだったことなどは小さいことで、夜遅くにはなりましたが大満足でホテルに戻ったことでした。彼はすでに来日したこともあるので、次はぜひ日本で彼の出演するオペラを見てみたいものです。


 歌舞伎「勧進帳」
佐竹 信一
2013年5月10日

 あいだに旅が入ったので書くのが遅くなってしまいましたが、4月11日に新歌舞伎座こけら落とし公演の「勧進帳」を見て来たので報告します。
ポスター  3年の工事を経て今年4月2日に開場した新歌舞伎座はその人気のためか、6月まではいつもの昼夜2部公演ではなく3部制の公演形態になっており、「勧進帳」は午後6時10分からの第3部の演目の一つでした。あらすじは皆様ご承知の通り、兄源頼朝に追われる義経が少数の家来とともに山伏の姿に変装して奥州へ向かっていたところ、富樫が率いる安宅の関で見とがめられますが、武蔵坊弁慶の智慧と機転で無事通り抜けるという一幕ものの舞台です。

幕が開くと、能舞台を模した鏡板の背景のもとで、舞台後方一杯に広がる2列に並ぶ緋色の毛氈がけの上に謡いや囃し方が並んでおり、これを見るだけでワクワクしてきます。その後花道からやってきた一行を押しとどめた富樫は、東大寺再建の勧進というならば「勧進帳を読み上げよ」という命令を下しますが、弁慶はあり合わせの巻物を開いて堂々と読み上げ、それに続く仏法や山伏に関する質問にもよどみなく答えます(山伏問答)。ところが許されて通過しようとするとき義経が怪しまれ、両者の家来が一触即発の場面を迎えます。しかし弁慶はこれを抑えて、「おまえのせいで・・・」と義経を杖で打ち据えると、それを見た富樫は「もうよい、了解した」とこれを許します。関所を通り抜けたところで、弁慶は主人を打った罪を詫びますが、義経はその機転を逆に賞賛します。そこへなぜか富樫が再び現れて弁慶に酒を勧め、これを豪快に飲んだ弁慶は請われるままに「延年の舞」をゆったりと踊り、その最中に一行は立ち去ります。舞い終わった弁慶は、最後に変形スキップのような「飛び六方」という進み方で花道を去っていきます。

 3階席からはよく見えた今回の巻物の内側は黒一色でしたが、以前は白一色もありました。今回の弁慶は上演回数1100回に迫るという松本幸四郎です。さすがに堂々としていて貫禄も十分でしたが、以前「佐倉義民伝」でも感じたのですが、ちょっと情が入りすぎていて重く感じる場面もありました。対する富樫はこの正月にもお目にかかった尾上菊五郎で、これは立派な富樫でした。ただいつもは、勧進帳を読み上げる弁慶に富樫が静かにそっと近づいて、裏が見えそうになる瞬間に弁慶が飛び退って読み続けるというなかなか迫力ある場面があるのですが、今回はそれがなくちょっと残念。すばらしいのは義経に従う四天王の配役で、セリフは一回きり、見せ場は「もはやこれまで」と富樫に詰め寄る一場面だけなのに、左団次・染五郎・松緑・勘九郎と今盛りのベテランと人気の若手の組み合わせで、さすが開場ご祝儀配役に感動です。上演中は屋号の掛け声がいつもよりずっと多くにぎやかでしたが、緊張していた観客席が終演の瞬間どっと興奮と熱気に包まれるそういう空気を感じることができたのは、やはりこけら落とし公演の醍醐味でしょう。第3部のもう一つの公演は「盛綱陣屋」で、鎌倉時代に敵味方に分かれて争う武家兄弟の悲運の物語です。私の好きな仁左衛門に加え、染五郎長男松本金四郎、松緑長男藤間大河らかわいい子役が出演した素敵な舞台でしたが、これは割愛。

今回の観劇はチケット入手難であきらめていたところへ歌舞伎好きの友人の誘いで実現しました。6月までのチケット販売順はまず歌舞伎会会員、次に往復ハガキ当選者、最後がネット・電話での一般発売で、この友人はネット販売初日に待ち構えていてやっと買えたのだそうです。地下鉄東銀座駅は以前と同じですが、出てすぐの所にコンビニや歌舞伎ショップが並ぶ広い地下広場が新設され、ここに劇場への直接入場口もあります。以前はなかったエレベータやエスカレータも完備され、上の階にも楽々行くことができます。座席は全体に少し広くなりました。以前あった3階カレーコーナーと持込み可だったテーブルスペースはなくなりましたが、舞台の広さや壁・天井・緞帳、それに廊下や売店の感じはまったく以前と変わらず落ち着けます。今回は初めてなので館内の食堂で幕の内弁当を注文しましたが、役者さんへのお祝いの蘭の鉢植えが食堂の四周だけでは足りず廊下にも目一杯展示されていて壮観でした。ともあれこの夜は二人とも上気したまま楽しく語らいながら帰途につきました。新歌舞伎座万歳。


 演劇 「隣で浮気」
佐竹 信一
2013年3月31日

 2013年3月22日(金) ここ10年ほど会員になっている横浜演劇鑑賞協会の3月例会で、劇団昴による演劇「隣で浮気?」を鑑賞してきました。この会は月会費を払うことで年に6回、会代表の選んだ芝居・ミュージカル・狂言などを楽しむ鑑賞会で、会場は桜木町・紅葉坂の青少年センターが多いです。演目がいいので今回だけ見るという制度ではなく、継続して隔月に鑑賞の機会が巡ってきます。自分では演目を選べませんが、自分ならまず選ばない種類の芝居に触れる機会も多くなるわけで、鑑賞眼も広がり私はこのシステムを評価しています。

 今回の芝居は英国の高名な喜劇作家エイクボーンの恋愛ドタバタ喜劇でした。会社部長Aの奥方と部下の男性Bは、継続的か1回だけなのかは分かりませんでしたが、浮気をして火曜の夜午前様で帰宅したのを、翌朝それぞれのパートナーに詰問されます。Bは苦し紛れに最近同じ部署に転属してきた真面目社員Cと深夜まで飲んでいたと、Aの奥方はCの奥方と一緒に彼女の悩みをこれまた深夜まで聞いていたことにします。ところが上司Aはたまたま新規に部下となったCを夫妻で水曜夜に自宅に招待しており、Bの奥方は真相を知ろうと木曜夜にC夫妻を招待します。ここまでが第1幕、その後家出事件やC夫妻の仲こそ危機だという大勘違いなども起こるのですが、結果は、A部長は思い込みの強い性格が災いして最後まで真相にたどり着けないが自分で納得、B夫妻は今回に限り「奥方が夫に大いなる貸しを作る」という形で一件落着します。

 これだけなら通常のドタバタ劇で終わるのですが、私がびっくりしたのはその演出でした。たとえば午前様翌日の両家の朝の状景が1つの舞台上で同時進行するのです。開幕前にもらった会員用のパンフレットには「1つの舞台上に2つの家のセットを組み、3組の夫婦が繰り広げるノンストップ・ラブコメディ」とありました。だから舞台がA家とB家の居間に分割されていて半分ずつ会話をするのかなと思ったのですが、幕が開いたら舞台は1つで、そこを2組の夫婦が、お互いは見えないという前提で舞台上を行き交い、「昨夜はどこへ?」という激しいやりとりをするのです。片方が歩いている直前をもう一方が横切るといった形になることもあり、初めはあっけにとられ、そして笑いがこみ上げます。テーブルセットは左端と右端に1組ずつ、ドアは4つあってそれぞれ両家の玄関口と家の中の部屋の仕切りになっています。傑作なのは舞台中央にある電話台で、A家とB家が電話すると2人が中央で客席に向かって並んで会話しているような具合になります。2幕ではC夫婦が招待された2夜の情景が同時進行します。

 何とも不思議な光景で、よくこんな面白い着想が浮かぶものだと感心します。事前に何も知らなければさぞ面食らうことでしょう。これは演出の効果なので、演出のニコラス・バーターをネットで調べたら英国王立演劇学校の元校長という大演劇人でした。しかしロンドン・ウエストエンドでの初演の演出は彼の親友の故ロビン・ミジョレーという人で、奇抜な着想はたぶんこの人のものでしょう。別の評では「隣で浮気は凝りに凝った脚本で上演には高度の演出技術がいる。笑劇に近い喜劇だが人生の一面の真実を見事に切り取っている。」と書いてありました。

 劇団昴と今回の出演者6名についてはよく知りませんが、皆よく通る声で熱演でした。「のんきな父ちゃんなんにも知らず」的な感じのA部長はとくに声が大きくこのため逆に聞き取りにくい時もありました。部下Bは2幕に上半身裸で登場するシーンがあるのですが、その鍛えた肉体美にびっくりでした。役者さんというのは、好きな伊藤英明もそうですが、普段もきっちり体を鍛えているのだなあと感嘆しきりです。ともあれこの日は大いに笑って、上機嫌で帰宅することができました。

以上   

 『相模人形芝居鑑賞』
永井 藤樹
2013年3月3日

 2月17日、厚木市文化会館の小ホールで『相模人形芝居大会』が開催されました。
小ホールとはいえ、330人を収容する多目的ホールです。それに対して600人以上が詰め掛けました。40回目の節目の大会であることと、人形浄瑠璃の本場、阿波の「平成座」が特別出演すること、その上に無料であることが影響したと思われます。
「相模の田舎芝居、なに程のことやある」と高を括って行った私の先入観と高慢は、もののみごとにへし折られました。
小ホールの緞帳
小ホール緞帳
カシラの解説
カシラの解説

 この公演で、神奈川県には沢山の人形芝居の座があることを知りました。厚木市の「長谷座」・「林座」を初め、平塚市の「前鳥座【さきとりざ】」、南足柄市の「足柄座」、小田原市の「下中座」。みな県・国の重要無形文化財に指定されています。
演目は、よく知られている「阿波の順礼唄(アイ父様の名は十郎兵衛、母様はお弓と申します)」、「壺坂霊験記(お里、沢市の夫婦愛物語)」、「先代萩(我が子を犠牲に、若君を助ける乳母政岡の忠義)」など6演目、一演目30〜40分のさわり部分が上演され、楽しく鑑賞できました。

 5時間近いスケジュールの中に「カシラ(頭)」の解説授業があったり、ロビーサービスとして人形に触れる時間もありました。
 江戸中期に阿波から相模に伝えられた「人形芝居」は、最盛期に15座あったものが現在は5座残るだけになり、それだけに伝統文化の燈を絶やすまいとする座員と後援者の熱意で大会が続けられているといいます。
 1メートルもある人形を3人が息を合わせて操る「三人遣い」は「文楽」と同じですが、「相模人形芝居」は「カシラ」を持った時の恰好が、銃の構えに似ていることから「鉄砲差し」と呼ばれる独特の操法にあるといいます。
 陰々滅々と鳴り響くかと思えば時に蕭々と、か細く泣き叫ぶかのように掻き鳴らされる太棹の三味の音色に乗って、独特の節回しで語られる「相模人形芝居」は、地域に根付き、地域の人々に愛される身近な古典芸能と感じました。民間で行われている「義太夫節・三人遣い」の人形芝居の中で「阿波の人形浄瑠璃」が西日本を代表するものとすれば、「相模の人形芝居」は東日本を代表する存在といいます。それだけに県民の一人として「相模人形芝居」の末長い存続を願います。

  二座の演ずる「子別れの段」のストーリーを要約します。

鳴門順礼唄のお弓
鳴門順礼唄のお弓

  「足柄座」による『傾城阿波の鳴門 順礼唄の段』
 阿波の十郎兵衛は主君の重宝「国次の刀」を失くした咎を受け、追われる身となって女房お弓とともに大坂に隠れ住んでいる。お弓が留守番をしていると「十郎兵衛ら盗賊の悪事が露見し、捕えられた者もいる。早く立退け」と仲間から知らせが届く。いまだに国次の刀の手がかりがなく、お弓は夫の無念を思いやると悲しく「国次の刀が見つかるまでは夫の命を助けて欲しい」と神仏に願う。
 そこへやって来たのは順礼の娘。幼くして別れた両親を探し、はるばる阿波からやって来たと語る。娘の身の上話から故郷に残してきた娘「お鶴」であると気づく。切々と両親への思慕を訴えるお鶴に、抱きしめ名乗り出たい思いに駆られながらも、盗賊の罪が娘に及ぶことを恐れ、心を鬼にして国へ帰るよう諭し、お鶴を追い返す。
  お鶴の歌う「順礼唄」が鈴の音とともに次第に遠のいて行く。こらえ切れずにその場に泣き崩れるお弓。しかし、今ここで別れてはもはや会えないと思い直し、お鶴の後を追う。

阿波人形浄瑠璃平成座」による恋女房染分手綱 重の井子別れの段』
 由留木家の息女である調姫は、関東の入間家と婚姻が調うが、幼い姫は「父母に別れて東国へは下るのは、いやじゃ」と出立間際になって言い出す。そこで姫の機嫌を直すために呼ばれたのが三吉という子どもの馬子。姫は三吉の話を聞き東国に興味を持ち、出立する気になる。 三吉に褒美を与えようとした乳母の重の井は、三吉こそ別れた夫、伊達与作との間にできた与之助であると知る。かつて調姫の母に仕える腰元であった重の井は、同じ家中の伊達与作と不義密通。後家の御法度を犯し二人とも死罪になるところを、重の井の父が切腹して愁訴する。
 調姫を出産したばかりの奥方から、乳人が必要という申し出により重の井は姫の乳人に、与作は追放処分になる。父の犠牲・主君の恩義を考えると、重の井は、ここで三吉の母を名乗ることは出来ない。乳人に馬子の子がいると分かれば、姫の縁談に響きかねない、お家の存続にも関わる。重の井は泣く泣く三吉を追返し、姫とともに東国へと旅立って行く。

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● 解説

代表世話人兼編集長 木下 義則

 文楽【ぶんらく】という名前は、本来人形浄瑠璃専門の劇場の名「文楽座」に由来する。しかし、現在は文楽といえば一般的に日本の伝統芸能の一つである人形芝居の人形浄瑠璃【にんぎょうじょうるり】を指す代名詞となり今日に至っている。
 「文楽座」の始まりは、淡路の植村文楽軒が「西の浜の高津新地の席」という演芸小屋を大坂高津橋南詰(大阪府大阪市中央区)に建てて、興行したのが始まりとされる。
 人形浄瑠璃は、日本を代表する伝統芸能の一つで、太夫・三味線・人形が一体となった総合芸術である。その成立ちは江戸時代初期にさかのぼり、古くはあやつり人形、そののち人形浄瑠璃と呼ばれていた。太夫では竹本座を大坂に開いた竹本義太夫、作者では近松門左衛門や紀海音といった優れた才能によって花開いた。一時期は歌舞伎をしのぐ人気を誇り、歌舞伎にもさまざまな影響を与えた。やがて竹本義太夫による義太夫浄瑠璃が大坂(現在の大阪)で流行するや全国に広まり、江戸時代民衆の大きな娯楽となった。

  


 オペラ 「タンホイザー」
佐竹 信一
2013年2月5日

ポスター  新宿初台の新国立劇場で今年初めてのオペラを楽しんできました。演目はワーグナー作曲の「タンホイザー」です。すでに同じ出演者による4回の公演があり私の見た日が最終回でした。新国立劇場の公演は、まずまずの外国人歌手を数名招聘して主役級を歌わせ脇を上手な日本人歌手で固めることが多く、シングルキャストという安心感もあり、料金も手頃なので時々見に行きます。今年はこのドイツオペラの巨匠ワーグナーと、奇しくも同じ年に生まれたイタリアオペラの巨匠ベルディの生誕200年の年なので、いつにもましてこの2人の作曲したオペラ上演が多いと思われ、これからも楽しみです。

 このオペラのあら筋は中世の騎士歌人タンホイザーが官能の世界ヴェーヌスベルクに飽きて元の世界に復帰し、折からチューリンゲン領主が開催する愛をテーマとする歌合戦に参加しますが、精神的愛ばかり歌い上げる旧友たちに飽きたらず官能愛を褒め称えた歌を歌ったため追放の身となり、悔いてローマ巡礼をしたらかえって教皇から断罪されたためいっそまたヴェーヌスベルクに・・・と放浪していたところ、領主の姪で旧知のエリザベート姫の純粋無垢な祈りと犠牲によってめでたく贖罪され、安らかに成仏する?というものです。正式名称が「タンホイザーとワルトブルグ城の歌合戦」というように、第2幕で舞台一杯に広がる歌合戦への入場行進の合唱やオーケストラはすばらしい聴き所です。

 買ったパンフレットを開くと「ワーグナーの女性観」とか「キリスト教における断罪と贖罪」など固いテーマのコラムが並んでいました。それより「なぜ騎士たちがミネジンガーや吟遊詩人になって歌を歌うの?」という疑問に答えてよという気分になりましたが、それはさておき演奏の出来を述べましょう。主役を歌ったデンマーク出身の歌手(アナセン)は、姿もずんぐりむっくりで声も輝きがなかったのが残念でしたが、官能世界の女王ヴィーナス役で私の好きなロシア美人歌手(エレナ・ツィトコワ)、遠目美人のエリザベート(米)、堂々とした貫禄ある領主(アイスランド人)、それに歌合戦に出場した騎士たち(日本人多し)はいずれもしっかり歌ってくれました。演出は太い柱を何本もうまく使う重厚なもので、序曲でこれがせり出してくるところはワクワク感一杯でした。指揮・演出はドイツ人、オケは東京交響楽団でしたが、特筆すべきは合唱団で、終始舞台を力強く引っ張ってくれたので、全体としては中の上といった水準のなかなか立派な公演になりました。

 平日2時からのマチネー公演なので、聴衆の大部分は私と同年代のご夫婦と単身者です。開幕前に2階左サイドの自席について周囲を見回したら、2階正面の1列目が全部空席なので何だろうと思っていたところ、開幕直前に皇太子殿下がおいでになり、場内大拍手になりました。雅子さん同伴ではないようでしたが、ライトが点灯しテレビカメラも回りました。そのせいか帰りはいつものエレベーターが使えず、少し遠回りになりました。でも皇太子ご臨席で上演側は張り切ったことでしょうね。

 長いオペラなので25分の休憩2回が入り、2時開演なのに終演はなんと6時20分。長ーい長ーい午後でした。カーテンコールで指揮者が登場したあと私は席を立ちましたが、拍手はまだまだ続いていました。湘南新宿ライナーなどで帰宅したのが8時少し前。このあと初日を観劇した妻とワインを片手に大いに語り合ったことでした。

以上   


 歌舞伎「夢市男達競」
佐竹信一
2013年1月9日

 

 日本の正月は何となくオペラより歌舞伎ですね。今年はこの正月に、放友会「旅に行こう会」でなじみのある国立劇場で上演している「夢市男達競【ゆめのいちおとこだてくらべ】」という演目の通し上演を見てきました。原作は江戸末期に作られた河竹黙阿弥の「櫓太鼓鳴音吉原【やぐらだいこおともよしわら】」だそうですが、今回の再演にあたり劇場スタッフと出演者の意見を取り入れて、派手で分かりやすい筋立てに変え演目の表題も改めたそうで、殆ど新作のおもむきです。

 筋は例によりとても複雑なのですが、要するに源頼朝が毎夜に現れる大鼠の怨霊に悩んでいる時、それを退治する「白金の猫の置物」が行方不明のため探索を任された侠客「夢の市郎兵衛」が、猫大好きの遊女の妹の助けでめでたくそれを見つけ、最後に現れる大鼠の化け物(実は頼朝との合戦で敗死した木曾義仲の怨霊) をやっつけるという話です。しかしこの本筋以外に、怨霊退治祈願のための奉納相撲で力士同士がいがみ合ったり、猫の化身と鼠の大群が大立ち回りを演じたり、(夢で見たということにして)正月らしくめでたい「七福神」の舞を見せてくれたり、最後の段は屋台崩しや大鼠がレーザー光線で破裂するというようなスペクタクルがあって、舞台から目が離せませんでした。

 役者は尾上菊五郎を筆頭とする松緑、菊之助、中村時蔵、市川左団次、市川右近らの菊五郎劇団ですが、みなとてもハンサムで上手でした。主役を張った菊五郎は声もよく通るしなにより貫禄があり、菊之助は今35才の若い盛りで声もよく通るし色香も申し分なしです。時蔵は好きな俳優で若い時は匂うような色香があったのですが、いま双眼鏡で見ると顔のおしろいが滑らかでなく少し老けたかなという印象。松緑は見栄の気っぷもよく貫禄はあるのですが、今回も声が今ひとつ聞き取りにくく舌足らずな感じでした。でもこれは身体的なものだけに仕方がないのかもしれませんね。

 七福神にお会いするも久しぶりでしたが、弁天様・恵比寿様・大黒様・布袋様はすぐ言えますが、みなさん残りの3人をすらすら言えますか? 答えは「福禄寿」「毘沙門天」そして「寿老人」です。
 相撲は鎌倉時代にもあったのかなと思いネットで調べたら、日本書紀にも「すもう」という語が出ていて思いのほか歴史は古いようで、奈良時代以後も民間余興、武道、神事を目的に継続実施されていたようです。
 でも「侠客」という役回りや侍の裃【かみしも】、豪華な花魁衣装はどう見ても江戸の雰囲気であって、とても鎌倉時代のものとは思えませんでした。オペラの感覚からいえば、ワーグナーの「ニーベルングの指輪」など神々の物語を現代のフロックコートを着て演じるようなものかもしれませんね。
 ともあれこの日は朝から、新装なった東京駅丸の内駅舎を見物し、ステーションホテルで優雅なコーヒーを頂き、午後は4時間歌舞伎の舞台を見てと、ほぼ丸一日家族と楽しく過ごすことができたよい日となりました。 以上


 文楽「曽根崎心中」
島田 義治
2010年2月23日

 人生60有余年で初めて「文楽」鑑賞を体験させていただきました。(2月15日国立劇場にて)

 演目は世話物の代表的作品・近松門左衛門作「曽根崎心中」で単純なストーリーとはいえ余りよく知っていなかったことを再認識。
 遊女「お初」と恋人の醤油屋の手代「徳兵衛」が、徳兵衛のカネの貸し借りをきっかけとして身の潔白を世間へ知らすため二人で心中するという物語であり、人間国宝の吉田蓑助が「お初」を遣い、蓑助の一番弟子の桐竹勘十郎が「徳兵衛」を操るという豪華キャストである。

 文楽は三位一体の融合体といわれるが「浄瑠璃語り」、「三味線弾き」、「人形遣い」のコラボレイションが素晴らしくまさに感動的であった。三味線の音に合わせた大夫の語りが朗々と流れる中、三人で操る人形の動きが生身の人間以上の表現力で観客に訴える力強さに感じ入った。
 操っている人の姿は目に入らず人形の動きだけに没入させられてしまうという状態であった。また今回の演目の舞台が曽根崎という場所であり、堂島新地(北新地)、お初天神、大融寺等小生が現役時代よく見知ったところであり感激もひとしおであった。

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● 解説

代表世話人兼編集長 木下 義則

<物語背景>
 『曽根崎心中』は、元禄16(1703)年4月大阪堂島新地天満屋の女郎・はつ(21歳)と内本町醤油商平野屋の手代である徳兵衛(25歳)が梅田・曽根崎の露天神の森で情死した事件に基づいている。この事により、露天神は正式名称の露天神社ではなくお初天神と呼ばれる事が多い。
 人形浄瑠璃『曽根崎心中』の初演は同年5月、道頓堀にある竹本座での公演であったが、そのときの口上によるとそれより早く歌舞伎の演目として公演されており、人々の話題に上った事件であったことがうかがわれる。宝永元年(1704年)に刊行された『心中大鑑』巻三「大坂の部」にも「曾根崎の曙」として同じ事件のことが小説の形で記されている。この演目を皮切りとして、「心中物」ブームが起こった。

<あらすじ>
 醤油屋の手代の徳兵衛と、遊女のお初は恋し合う仲であった。物語は、徳兵衛とお初が生玉社で久しぶりに偶然再会したシーンから始まる。
 徳兵衛は、実の叔父の家で丁稚奉公をしてきた。誠実に働くことから信頼を得、店主の姪と結婚させて店を持たせようという話が出てきた。徳兵衛はお初がいるからと断った。叔父のほうは徳兵衛が知らないうちに徳兵衛の継母相手に結納まで済ませてしまう。継母から結納金を取り返すが、どうしても金が要るという友人・九平次に3日限りの約束でその金を貸す。徳兵衛は、九平次に返済を迫るが、九平次は証文まであるものを「借金など知らぬ」と逆に徳兵衛を公衆の面前で詐欺師呼ばわりしたうえ散々に殴りつけ、面目を失わせる。兄弟と呼べるほど信じていた男の手酷い裏切りであったが、死んで身の証を立てるより他に身の潔白を証明し名誉を回復する手段が徳兵衛にはなかった。
 徳兵衛は覚悟を決め、密かにお初のもとを訪れる。お初は、他の人に見つかっては大変と徳兵衛を縁の下に隠す。そこへ九平次が客としてお初のもとを訪れるが、素気無くされ徳兵衛の悪口をいいつつ帰る。徳兵衛は縁の下で怒りにこぶしを震わせつつ、お初に死ぬ覚悟を伝える。
 七つの鐘を聞き、お初と徳兵衛は手を取り合い露天神の森へ行く。互いを連理の松の木に縛り覚悟を確かめ合うと徳兵衛は脇差でお初の命を奪い、自らも命を絶つ。


 文楽近頃河原の達引の巻 本朝廿四孝の巻
吉原 司郎
2008年9月25日

 放友会の8月の例会でKさんから「文楽鑑賞講座」の発表があったが、偶々、誘われて人形浄瑠璃文楽を鑑賞の機会があった。実演に接するのは初めての経験で指して中味について触れられそうもないが、幸い「文楽鑑賞講座」での予備知識も得たばっかりだったので少々感想を記してみる。

 国立劇場へは、昨年6月、やはりKさんの案内(放友会行事)で歌舞伎の鑑賞行って以来2度目になる。会場付近は、開演には間がある時間であったが、ご婦人方が一杯で文楽は、女性文化かと勘違いするほどあった。今回は、吉田清之助改め五世豊松清十郎襲名披露公演で、館内は静かな興奮が立ちこめ圧倒さればかりの人気であった。襲名披露の口上は、‘近頃河原の達引’と‘本朝廿四孝’の演目の間に行われ、厳粛な口上もさることながら主役である清十郎を挟んで人間国宝と称せられる方々に祝辞を頂き、また、「太夫」「三味線弾き」「人形遣い」の三役も勢揃いしており壮観でもあり圧巻であった。

 さて、演目の〈近頃河原の達引〉は世話物としてお馴染みのようであるが、お俊と伝兵衛の恋物語、聞き覚えのある台詞‘それは聞こえません伝兵衛’がここで出てくるのである。
 次の演目〈本朝廿四孝〉は、大序から四段目までの通し狂言の一部で、武田信玄?上杉謙信の戦国武将を題材としており、実は、筆者は甲斐の国の生まれで物語を興味深く見守った。今回の出し物は、信玄の息子勝頼と謙信の娘、八重垣姫の恋物語、四段目、‘十種香の段’‘奥庭狐火の段’であった。クライマックスか?八重垣姫に白狐の霊力が乗り移る場面で、4匹の狐と八重垣姫の5体の人形がところ狭しと演技する様は圧巻であった。 それぞれの人形遣い、足遣い、左遣いの演技を追う余裕はなく、解説によれば、蓑助、文雀の至芸が見どころのとのことである。初心者には所詮無理とはいえ、惜しむらくは芸の極致を察する目が欲しかった。

 ところで、余談になるが最近落語にハマっており、あちこちと出向いている。やはり、小生には古典落語(?)が性に合っているが、磨きの掛かった話術は、何回聞いても飽きが来ない。今回の鑑賞した文楽は、何れも歌舞伎等でもお馴染みの演目であり、ご承知の方も多いことと思われるが、伝統芸能には共通した醍醐味がある。秋も迎え古典芸能に親しむのも一興かと思う。


 十二月大歌舞伎ふるあめりかに袖はぬらさじ
木下 義則
2007年12月7日

 平成19年12月の歌舞伎座公演での夜の部最後の演目は「ふるあめりかに袖はぬらさじ」でした。この作品は原作の有吉佐和子が短編小説「亀遊の死」を自ら戯曲化したもので、昭和47(1972)年新劇(文学座)で初演されています。主役の「お園」は杉村春子の当り役の一つでした。
 今回は「お園」を玉三郎、「亀遊」を七之助、「通訳の藤吉」を獅童、「岩亀楼の主人」を勘三郎、「浪人」を海老蔵が演じました。

 横浜の岩亀楼(幕末に実在した遊郭)の「亀遊(喜遊)」という遊女は異人嫌いでアメリカ人に買われるのが厭だといって、自殺をしたのです。当時は幕末の尊皇攘夷だの開国だのと政治的には大変な時期であり、そんな時にこの事件ですから攘夷派の宣伝に使われ「攘夷女郎」などと大変な評判だったことでしょう。(史実は不明のようです。)
 この物語の主人公は、その遊女「亀遊」ではなく「亀遊」が姉と慕う芸者の「お園」です。「通訳藤吉」との恋に破れ、異人のものになることを拒み悲しみにくれた遊女の自殺が「列女攘夷女郎伝」に仕立て上げられるという物語をコメディータッチでテンポ良く描く楽しい演劇です。玉三郎が艶っぽさを巧に演じながら要所で笑いをとるすばらしい演技でした、主人の勘三郎との掛け合いなどは本当に名役者の絡みと感心してしまいました。
 一幕目では病に臥せっている「亀遊」の元へ「お園」が見舞いに来ます、そこで「亀遊」と「通訳藤吉」との恋が「お園」を絡めて巧妙に描かれます。しかし「藤吉」には医者になるという志があり、「亀遊」を抱きしめながら窓の外から聞こえるアメリカからの船の汽笛にも心惹かれます。その心を「亀遊」も薄々感じていたのではと思わせる。
 そんな恋も二幕目で大きく揺れる波のように岸壁の岩肌に砕け散っていくのです。岩亀楼の「ひきつけの間」で「亀遊」は「藤吉」に遊女の姿を見られ、「異人イリウス」(彌十郎)からの身請け話を通訳する姿に心の動揺と絶望を感じたのか部屋に引っ込み喉を剃刀(後には、「亀遊」の出自を武家の娘とする物語から、懐剣と修飾されてしまう。)で切り命を絶つのでした。
 「岩亀楼の主人」とともに伝説が描かれるのに一役かった「お園」ですが、その背景は三幕目で演じられる、自殺を報じる「瓦版」の内容とそれに掲載された(偶然の一致として大詰めに重要なキーワードとして登場してくる。)時世の句「露をだにいとふやまとの女郎花ふるあめりかに袖はぬらさじ」が攘夷派の手ででっち上がられたことがそもそもの発端であった。
 最後の見せ場は「お園」のくどきです、「亀遊」の死の真実を知っていながら店の宣伝のためと自ら「語り部」となり「攘夷女郎」伝説を作り上げた自身の行為を恥じながら、あらためて冷静になって淋しく死んでいった「亀遊」を一人静かに想い泣きながら、「それにしても良く降るねぇ」ときめる。

 歌舞伎にはこんな楽しみ方があるのかとあらためて認識でき、とっても気楽に観られる歌舞伎の一演目としてお勧めです。


 歌舞伎鑑賞教室双蝶々曲輪日記【ふたつちょうちょうくるわにっき】
千葉 純雄
2007年6月18日

 さる6月10日、生まれて初めて歌舞伎を観劇し、一流の役者さん達が演じる伝統演劇に、深く感動しました。その感想を述べます。

 演題は、双蝶々曲輪日記の八段目「八幡の里引窓の場」です。
 ストーリーをひと口に言えば、年老いた母親と、実の息子(人を殺め追われる身)、義理の息子(郷代官を仰せつかり初仕事に勇んでいる)、そして義理の息子の嫁との間に展開する、ふかい人間愛の物語となりますが、私が、特に身を乗り出し、観入ったのは、年老いた母の悲しい心情の場面でした。
 人を殺め別れを告げるわが子への愛と、初仕事で捕らえようとする義理の子への情との狭間に立ち、ただただ、涙する、そして老いた母親の胸中を察する嫁・・・。
 引窓(天窓)が、醸し出す明暗が、場面をより引き出し、見ている私は泣きました。

 今の世、親が子を殺めたり、子が親をと・・・、殺伐たるニュ−スが多い中で歌舞伎が、見せてくれる肉親の情、人の心の自然なあるべき姿に、感動するのは人として生きてゆく上で良薬になるかもしれませんね、外国の方たちが歌舞伎を観て、喝采し、そして涙する・・・その意味する所が判りました。
 遅ればせながら、この齢で、歌舞伎の持つ、伝統芸術の素晴しさに目覚め、その機会を与えてくださった、神奈川放友会に深く、感謝です。
 ありがとうございました。


 横山能楽堂企画公演もう一つの『翁』
木下 義則
2007年5月23日

 平成19年5月12日(土)に本公演は開催されました。
 『翁』というのは古来「能にして能にあらず」と言われ、能の演目としてはたいへん特殊な位置づけです。
 鎌倉時代からと言われていますが、寺社で演じられていた「猿楽」を源流として観阿弥・世阿弥親子が現在の能の基本形ともいうべき猿楽の能を大成させました。「翁」もその時期に、現在演じられている形(簡略化された新しい翁といっておきましょう)のものに観阿弥によって改作されました。
 今回の企画の「もう一つの『翁』」というのは、その古態の「翁」(古い翁)を復元しようというものでした。早稲田大学の竹本幹夫教授を中心として21世紀COEのプロジェクトが組まれ、学術的な実験という取り組みで、いわば「翁猿楽」の復元です。

 現在の翁との相違点としては、古い翁は「千歳、翁、三番猿楽(三番叟)、延命冠者、父尉」の五役が登場するものであり、四座(観世・宝生・金剛・金春)立会いで演じられるものです、現在の「翁」は延命冠者と父尉が省略されており、各流単独で演じられ立会いでの演じ方というのはなくなっています。(寺社への参勤という演じ方ではないから当然のことかもしれませんが。)

 この企画公演があると知った時から私は鑑賞したくて堪りませんでした。何故かというと能にのめり込むようになった原点には「翁」に魅了され、その源流にあるものを探りたいという好奇心が芽生えたからだったのです。その「翁猿楽」の復元ともいえる企画に心を躍らせながらとっても待ち遠しい気持ちで公演当日を待っていました。
 公演は観世・宝生二流立会いでの舞台進行となりました、現在の「翁」と比較しながら観てみると観世・宝生両太夫の相舞という大変珍しいものでした、しかも型が両流そろっていなくて違うまま舞っているのです。相舞で有名な能といえば「二人静」等がありますが、これは二人(シテとツレ)の呼吸がぴったり合うところに見どころがあるといってもいいのですが、流儀が違うからなのか合わせようとする意識すら感じられませんでした。現在の「翁」を演じるときの地謡は、後座(鏡板の前)に着座するのですが今回は地謡座に横一列(6人、観世3・宝生3)に並び謡っていました。
 ちょっと違和感があったのは、これは私感ですが「翁猿楽」というものはプリミティブで神聖なものという観念があったのですが、演じた両流のシテをはじめ役者の方々や復元に際し学術的に解き明かそうとした能楽研究者の先生たちには申し訳ありませんが、そのような表現方法ではなかったことが残念でなりません。能役者には観阿弥・世阿弥時代から連綿と幽玄で華麗な能を目指し進歩してきた型が身についていますから、素朴な表現なんて今更出来ないのかもしれません、欲張りな願望でしょうか?