2010年

2010年12月 第81回句会 作品 弘明寺抄(9)  
2010年11月 第80回句会 作品 弘明寺抄(8)
2010年11月 第10回吟行句会 作品
2010年10月 第79回句会 作品 弘明寺抄(7)
2010年9月 第78回句会 作品 弘明寺抄(6) 
2010年8月 第77回句会 作品 弘明寺抄(5)  
2010年7月 第76回句会 作品 弘明寺抄(4)
2010年6月 第75回句会 作品 弘明寺抄(3)
2010年5月 第9回吟行句会 作品
2010年5月 第74回句会 作品 弘明寺抄(2)
2010年4月 第73回句会 作品 弘明寺抄(1)
2010年3月 第72回句会 作品
2010年1月 第71回句会 作品 短評

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 第81回 句会 (2010年12月)
■ 作 品
 
塩鮭やもっとも怒る貌を買ふ      松本道宏
←最高得点
雪舟の篆刻の朱や冬ざるる      舞岡柏葉
冬晴れや何事もなき日の終わる      長部新平
旧邸や障子五厘の飾り継ぎ      千草雨音
そぞろ寒衣服に迷う旅支度      木村桃風
秋深し時間を落とす砂時計      飯塚武岳
鵯の声あかつきの空を切る      村木風花
三塔の際立つ師走港町      吉田眉山
晩菊の括られ残る八重葎      菊池智
人造湖あをく沈みて山眠る      ひらとつつじ
朝日浴び満天星もみじこんもりと      中里くらき
黄落や返信あてなきメール打つ      野路風露
落ち葉散る夜の歩道に犬遊ぶ      猪股蕪焦
噎せ換える硫黄噴き上げ冬の暖      東酔水         
迷い来て窓辺に憩う冬の蝶      奥隅茅廣
入院の友の見舞いや初時雨      境木権太         


■ 弘明寺抄(9)
平成22年12月
松本 道宏 

 今月は『現代俳句のエロス』について考えてみました。一般的にエロスを俳句で表現することはタブーとされています。しかし、俳句は言葉と言葉の響きあいであり、エロスと相反するものではありません。
  「中年や遠くみのれる夜の桃 西東三鬼」
  「夜半の春なほ処女なる妻と居りぬ 日野草城」
  「をみなとはかかるものかも春の闇 日野草城」
  「ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜 桂信子」
  「姫はじめ闇美しといひにけり 矢島渚男」
  「夏来る白き乳房は神のもの 三橋鷹女」
  「花冷のちがふ乳房に逢ひにゆく 真鍋呉夫」 の他に多数の句があります。
生きる喜び、悲しみを表現するのも自然の感情と思いますが如何でしょうか。

駆けそうな狛犬のあり敷紅葉  千草雨音

 地面に散り敷いた紅葉は樹上の紅葉とはまた違った趣があります。神社の社頭に据え置かれている一対の狛犬が敷紅葉の上を今にも駆け出しそうだと感じ取った作者の感性に拍手を贈りたいと思います。 

迷い来て窓辺に憩う冬の蝶 奥隅茅廣

 冬の暖かい日に窓辺に迷い込んできた冬の蝶を素直に詠んでいます。俳句を作る人でないとこの感慨は詠めません。「迷い来て」に冬の蝶に対する作者の暖かい気持ちが表現されています。

人造湖あをく沈みて山眠る  ひらとつつじ

 「山眠る」は『林泉高致』の「冬山の惨淡として眼るが如し」から出ている言葉で冬山を擬人化した俳味のある季語です。人造湖は周りの山々に囲まれて空を写し沈んだように静かです。中七の「あをく沈み」は写生を超えています。

朝日浴び満天星もみじこんもりと 中里くらき

 素直な写生句。紅葉の美しい満天星が朝日を浴びて更にこんもりと美しく映えているさまを詠んだ句で、「朝日浴び」がこの句のセ−ルスポイントです。

雪舟の篆刻の朱や冬ざるる 舞岡柏葉

 雪舟の水墨画の掛軸に篆刻の落款が鮮やかに押されていたのでしょうか。蕭条たる冬ざれの中に落款の朱が目に見えるようで、季語の使い方が上手です。 


 第80回 句会 (2010年11月)
■ 作 品
   
全天に無音のひびき鰯雲 松本道宏
←最高得点
寒暖の狭間に迷う秋の蝶      飯塚武岳
一陣の風戯【たはむ】るる花野かな      村木風花
赤とんぼ小石抱きて動かざり      千草雨音
秋天やころがしてゆく旅かばん      ひらとつつじ
草の実を体いっぱい子犬かな      野路風露
島人の言の葉重し秋出水      菊池智
透き通るルビー貯め込む石榴かな      中里くらき
幕引きの如く過ぎ去る時雨かな      奥隅茅廣
ひろびろと机上かたづけ夜学かな       長部新平
里山に我が者顔に猪の道      境木権太
狭き庭を掃き清めたり白秋忌      舞岡柏葉
木々の間の空の色さえ秋の末       木村桃風
茸飯婿と久しく差し向い      吉田眉山
枯葉から色を濃くして冬すみれ      東酔水


■ 弘明寺抄(8)
平成22年11月
松本 道宏 

 先月に引き続き、今回は「奇妙な季語」について考えてみました。
 「春」の季語では春社・幻氷・雪割・釈尊・水口祭・海髪、「夏」干飯・竹婦人・晒井・霍乱・薬玉・岩菲、「秋」添水・櫨ちぎり・薬掘る・鳩吹・根釣・おくんち、「冬」薬喰・網代・杜父魚、「新年」歯固・幸木・福津・喰積・成木責などです。日常頻繁に手にするレベルの歳時記には春夏秋冬新年の合計で約2,500の季語があり、関連季語を入れますと7,800近くになります。

草の実を体いっぱい子犬かな 野路風露

 草の実は大半が地味で目立たないのですが、人間や動物に付着して種を撒き散らすものが多くあります。草の実の側を通った子犬が体中に草の実をつけて来た様子はなんともユーモラスであり、大変素直な句です。

雁の絵文字のごとく飛び行けり 村木風花

 雁が絵文字のように渡っていくという見方は一つの見方です。雁の飛び方には特徴があり、鍵状か横一線に隊列を組んで飛行します。雁の飛んで行く姿を絵文字のようだ感じたところが新鮮と思いました。

透き通るルビー貯め込む柘榴かな 中里くらき

 裂けた柘榴の果肉がルビー色というのは常識的な見方ですが、「貯め込む」に柘榴に対する作者の思いが感じられます。西東三鬼に「露人ワシコフ叫びて柘榴打ち落とす」という有名な句があります。 

赤とんぼ小石抱きて動かざる 千草雨音

 爽やかな秋のシンボルとしての赤蜻蛉は、多くは草原の空に群れをなす姿を詠まれていますが、小石を抱えて動かない赤蜻蛉を詠んだ句は珍しいと思います。赤蜻蛉の生態をよく観察された句です。

狭き庭を掃き清めたり白秋忌 舞岡柏葉

 忌日は11月2日。北原白秋は浪漫精神の復興を提唱した歌人で、忌日には生地の柳川市で毎年慰霊祭が行なわれています。白秋忌を迎えるに当たって作者の気持ちが中七に表現されています。 


 第10回吟行会
(2010年11月5日 金沢文庫称名寺〜旧伊藤博文別邸〜野島公園 参加者:10名)
■ 作 品

行く秋や鳶の高さに登り来る      いまだ未央
小春日や浄土へ続く太鼓橋   飯塚武岳
茅の家に海の風くる石蕗の花      ひらとつつじ
どんぐりを拾ふ指先赤らみて      千草雨音
微動だにせぬ亀並ぶ秋うらら      野路風露
秋空をくっきりくぎる山の端      坂神純生
秋うらら八景島に動くもの      松本道宏
秋の空きらりと光る白き船      大野たかし
阿字ケ池観艦式か鴨の群れ      吉田眉山
八景より関東平野冬の景      東酔水


 第79回 句会 (2010年10月)
■ 作 品

味噌蔵に動かぬ石や虫時雨      松本道宏
←最高得点
鮎落ちて山にけものの息づかひ      ひらとつつじ
緋毛氈棚田縁取る曼珠沙華      境木権太
群青の空に抱かるる秋桜      村木風花
栗の実の詰め放題や道の駅      千草雨音
ヴィーナスのポーズをとりて種瓢      舞岡柏葉
コスモスを愛で歩きけり師の後を      長部新平
天高く水琴窟の音色かな      飯塚武岳
土蔵屋根小江戸恋しや秋の雨      木村桃風
敬老の和太鼓響く体育館      菊池智
山の端の明りほんのり吾亦紅      野路風露
乱れ萩色鮮やかに柳腰      中里くらき
月高く皓々として街眠る      奥隅茅廣
花野摘み徳利に生けて今日の月      東酔水
花木槿散り敷くを除け友の通夜      吉田眉山


■ 弘明寺抄(7)
平成22年10月
松本 道宏 

 歳時記の変遷を見ますと大変興味深いものがあります。1934年に虚子編の『新歳時記』が刊行され、そして『ホトトギス新歳時記』が1986年に編まれ、1996年に改訂版、今年第三版『ホトトギス新歳時記』が刊行されました。今回の特徴は30の新季題が加えられたことですが、新季題を登録する条件は「良い例句」が必要です。既に他の歳時記には掲載されている季題が殆どですが、追加された新季題の一部を紹介します。「淑気・金縷梅・斑雪・春陰・昭和の日・茅花流し・やませ・父の日・ナイター・海の日・終戦の日・秋思・檸檬・数え日」 

鮎落ちて山にけものの息づかひ  ひらとつつ

 産卵を終えた鮎はすっかりやつれ、下流に下り、海に入って死にますが、落鮎の時期は一方で、冬に向う獣たちの獲物の争奪戦の時期でもあります。そんな二つの現象が見事に二句一章として詠まれています。 

栗の実の詰め放題や道の駅  千草雨音

 「休憩機能」「情報発信機能」「地域の連携機能」を持った「道の駅」の数は今年8月に16駅が追加され952駅となりました。たまたま通り掛かった「道の駅」で丹波栗の詰め放題をされたのでしょうか。面白い句です。

敬老の和太鼓響く体育館 菊地智

 町内会主催の「敬老会」は毎年小学校の体育館を借りて開かれている所が多く、出し物の一つに「和太鼓」があります。眠っていた野生が目覚めると言われる和太鼓の響きは勇壮であり、ストレスの発散になります。

天高く水琴窟の音色かな 飯塚武岳

 秋晴れの下、日本庭園で聞く水琴窟の音色の美しさは日本独特な風情があります。水琴窟は江戸時代に庭師が考案したものですが、第1回吟行句会の際に久良岐公園の能舞台の脇の庭園で余韻の美学を味わい感激しました。

緋毛氈棚田縁取る曼珠沙華 境木権太

 この句の把握は大変素晴らしいです。畦に咲く曼珠沙華もなんともいえない風情がありますが、棚田を縁取る曼珠沙華が「緋毛氈」のようであると感じとった作者の感性に引かれました。


 第78回 句会 (2010年9月)
■ 作 品
   
炎天へ目をつり上げし写楽かな 松本道宏
←最高得点
落ち口の見えざる滝の落差かな      村木風花
かなかなのこえなきやまず野辺おくり      飯塚武岳
雨戸にも一夜の宿と迷蝉      菊地智
帆船の舳先鋭し星月夜      ひらとつつじ
盆踊り果ててしじまの深かさかな      境木権太
嬰児の歩み始めや原爆忌      舞岡柏葉
貝殻や思い思いに秋の海      野路風露
蜩の谷【やつ】に鳴きけり友の通夜      吉田眉山
青柚子の香る御膳や旅の宿       千草雨音
秋暑し波ゆるやかに屋形船      東酔水
過疎の里墓参の明かり二つ三つ      益子紫苑
仰向いて死んだふりする油蝉       木村桃風
夏祭りワンセグ囲むハイティーン      長部新平
遠花火音を楽しみ盃交わす      奥隅茅廣
蝉迷う何処に停まる楽天地      中里くらき


■ 弘明寺抄(6)
平成22年9月
松本 道宏 

 『俳句』8月号は「一字で変わる名句と駄句の境界線」と言う特集を組んでいます。「滝の上に水現れて落ちにけり」と上五を字余りにした意味、「冷やされて牛の貫禄静かなり」の「に」でなく「の」とした句の生命を担う助詞、「水枕ガバリと寒い海がある」の「に」を省略した上五の切れなど。名句に共通していることは、調べが良く、口誦性があり、情景が眼前に彷彿されることです。
 一字の推敲で大きく変わる日本語の妙、推敲の醍醐味を味わって下さい。

帆船の舳先鋭し星月夜 ひらとつつじ

 帆船をよく観察されて詠んでいます。大海を押し進む帆船の舳先が鋭いという把握は誰でもすると思いますが、季語「星月夜」の配合により全体の情景を非凡なものにされました。格調の高い句です。

落ち口の見えざる滝の落差かな 村木風花
 滝を詠んだ名句は沢山ありますが、「落ち口の見えざる」にこの句の独特な発見があります。古くから自然崇拝の対象として崇められた滝は女神であり、水の神であり、滝の落差に感動する作者の姿が見えてきます。

くきくきと山の日暮るる水の秋 ひらとつつじ
  「ひらひらと月光降りぬ貝割菜 川端茅舎」の句を始め、オノマトぺの名句は沢山ありますが、秋の深まりを感じさせる「水の秋」に山の日が暮れていくときの研ぎ澄まされた状態を「くきくき」と詠んだ感覚の鋭さに感心しました。

貝殻や思い思いに秋の海 野路風露
 清涼感溢れる秋の海の浪打際に打ち上げられた貝殻にはそれぞれロマンがあります。思い思いの貝殻を見つけては貝殻のロマンに思いを馳せている作者の素直な気持ちが伝わってきます。

ボール追ふ球児溌剌終戦日 飯塚武岳
 炎熱のもとに熱戦を重ねてきた高校野球を詠んだ3句のうち、掲題の句の「溌剌」にはもう少し切り込みが欲しいのですが、球宴を中断して不戦の誓いと、戦争犠牲者へ黙祷を捧げる「終戦日」を配したこの句に軍配を上げました。


 第77回 句会 (2010年8月)
■ 作 品

うたた寝の夢に入りこむ蝉時雨 奥隅茅廣
←最高得点
炎天へじりじり上がる観覧車 ひらとつつじ
打水や腕をつたひ風来る 村木風花
炎立つ空を突き上げ夾竹桃 菊地智
風鈴や音色七色古女房 中里くらき
垂直の壁に挑むや瑠璃蜥蜴 野路風露
地から湧く電光ニュース星涼し 松本道宏
雷神の依代【よりしろ】となるポプラかな 舞岡柏葉
暦からプランはみだす夏休み 飯塚武岳
検診の書類忘れて嗚呼猛暑 東酔水
ざぶざぶとトマト洗いし五つ六つ 長部新平
ハンモック文庫片手に眠りをり 益子紫苑
裸子の逃げまわりたる風呂上り 千草雨音
彩雲の中空に映え土用入り 吉田眉山
山陰は山百合咲いて尚暗し 境木権太


■ 弘明寺抄(5)
平成22年8月  松本 道宏

 「芸術は爆発だ」と言ったのは岡本太郎氏ですが、「俳句スポーツ説」で知られる波多野爽波先生は「多作多捨」を提唱し、藤田湘子先生は「一日十句」を実践しました。大切なのは、たとえ日常的で微細であっても、そこに見出す発見の新しさ、捉え方の斬新さ、表現の清新さでなければなりません。継続は力であり、才能もある意味では自分で作るものと思っています。
 「多作多捨で自句を鍛え、道は自ら拓くべし」と考えています。

垂直の壁に挑むや瑠璃蜥蜴 野路風露

 美しい瑠璃蜥蜴が背を輝かせ、垂直の石の壁にしがみついてじっと獲物を狙っている不気味な姿に、何かいい難い詩情を感じさせてくれます。
 垂直な壁に挑んでいる瑠璃蜥蜴の発見にこの句の素晴らしさがあります。

炎立つ空を突き上げ夾竹桃 菊地智
 夾竹桃は開花期が長く、夏中いたるところで目立つ花です。見慣れている状況の中で夾竹桃を良く観察されて作られた句で、排気ガスや煤煙にも強い夾竹桃の姿を的確に表現されています。

炎天へじりじり上がる観覧車 ひらとつつじ
 炎天へ向って徐々に上がっていく観覧車を「じりじり上がる」と把握したところが良いと思います。じりじり焼け付く炎天と、じりじり上がる観覧車の両方に掛かる中七が効果的です。

うたた寝の夢に入りこむ蝉時雨 奥隅茅廣
 暑さを一層増幅させる蝉時雨。寝るつもりでなく横になっているうちについ寝入ってしまう盛夏。蝉時雨を子守唄のように聞きながら寝てしまった作者は夢の中にそれを聞いているのでしょう。日常生活の一端が巧に詠まれています。

打水や腕をつたひ風来る 村木風花
 町中を少しでも涼しくしようと打水をする行事が広く行なわれていますが、この句は個人的に打水をしているのでしょう。打水をしている時、涼しくなった風が腕(かいな)を伝わって来るという感覚的把握が新鮮に詠まれています。


 第76回 句会 (2010年7月)
■ 作 品

廃線の枕木朽ちて蛇の衣 飯塚武岳
←最高得点
奥入瀬や阿修羅のごとく梅雨の渓 東酔水
からみつく風の重さや梅雨近し 村木風花
あめんぼうの脚つんつんと光蹴る 松本道宏
病み上がり夏痩せですかと人の問う 奥隅茅廣
梅漬くる知恵も詰め込む妻の顔 中里くらき
夏帽子少し斜めにかぶる父 境木権太
泥つきの玉葱むけば白眩し  千草雨音
山法師木漏れ日届く古寺の軒 益子紫苑
碁の一手悔やむ梅雨空帰り道 吉田眉山
夕されば十薬の花咲き疲れ 菊地智
一人居の夜更けの静寂梅雨兆す 舞岡柏葉
青梅雨に行くあてもなし書を開く 木村桃風
虹立ちて特等席の歩道橋 長部新平
渓流の滴したたる岩たばこ 野路風露


■ 弘明寺抄(4)
平成22年7月  松本 道宏

 中村草田男先生に「毒消し飲むやわが多産の夏来る」という句があります。草田男先生がこの句を詠んだ昭和15年と現代では時代的にも全く異なりますが、この度、「極めつけの名句1,000」を分析しましたところ、夏の句が31%と多く、「夏は精力的に俳句が出来る季節である」ことが証明されました。また、インターネット俳句会第60回記念アンソロジーでも個人別では4名の方が「夏」の句がトップで、全140句の中で夏の句が29%でした。名句から風土詠まで夏の俳句を徹底的に研究しますと「夏の俳句の魅力」が引き出せると思います。

廃線の枕木朽ちて蛇の衣 飯塚武岳
 梅雨明けの頃になると蛇は脱皮し、白くて光沢のある抜け殻は木の枝や石垣などに引っかかっているのを見かけますが、作者は廃線の透け透けに朽ちた枕木に透き通った蛇の衣を発見して驚いたのでしょう。大変観察の効いた句です。

からみつく風の重さや梅雨近し 村木風花
 自分自身にからみつく風の重さから梅雨が近いことを感じ取った感性は素晴らしいと思います。この鋭い感性を磨くことによってさらに素敵な句が出来ると思います。この感性を大切にして作句に励んで下さい。

廃校の門柱覆うのうぜん花 益子紫苑
 廃校になった門柱を覆っている凌霄花に心を奪われたのでしょうが、美しさの中に有毒を秘めた凌霄花は中国原産の観賞用の花です。凌霄花が有害植物で、花蜜が眼に有毒であることを知った時、「廃校と凌霄花」の組み合わせが見事。

虹立ちて特等席の歩道橋 長部新平
 たまたま歩道橋を渡っている時に、突然上空に現れた虹の橋に作者は驚いたのでしょう。そして、歩道橋の上でビルや障害物に遮られていない虹を仰いだとき、歩道橋が特等席であることを発見したのです。「特等席」が決っています。

五月雨や傾き見ゆるスカイツリー 村木風花
 東京タワーの高さを越えて伸び続けるスカイツリーを面白く捉えています。スカイツリーは五月晴れの中でも五月雨の中でも変らない筈ですが、五月雨の中に見るスカイツリーが傾いて見えたという錯覚にこの句の面白さがあります。


 第75回 句会 (2010年6月)
■ 作 品

ほとばしる蛇口の水の五月かな 舞岡柏葉
←最高得点
ボート漕ぐ櫂は光の翼なり 松本道宏
←最高得点
風喰らい胴震わせて鯉のぼり 飯塚武岳
新緑や鎌倉駆ける人力車 野路風露
田に水の静々と入り夏来る 奥隅茅廣
新しき風の生まるるぶな若葉 ひらとつつじ
誰となく話したき日や緑雨 木村桃風
ペーロンの太鼓の響く港町  吉田眉山
卯の花や雑踏めげぬ乳母車 村木風花
水を切る一瞬の影や夏燕 菊地智
通り雨かすかに揺れし吊忍 千草雨音
ジャスミンの匂い立つ夜や闇深し 境木権太
夏めくや不況知らずの中華街 中里くらき
ちょっとしたいさかいの後氷菓食う 長部新平
リスが鳴く又リスが鳴く夏木蔭 東酔水


■ 弘明寺抄(3)
平成22年6月  松本 道宏

 6月は梅雨の季節。いよいよ鬱陶しい梅雨に入る。梅雨や夏の雨の季語を上手に使いこなして名句を作ろう。「普遍性」「創造性」「規範性」が名句の三条件。
 緑雨・走り梅雨・梅雨・青梅雨・荒梅雨・空梅雨・五月雨・送り梅雨・返り梅雨・戻り梅雨・慈雨・白雨・虎が雨・半夏雨・夕立・雷雨・夜立・驟雨・喜雨、など雨に関する季語は多彩である。
 著名俳人の句に「抱く吾子も梅雨の重みといふべしや  飯田龍太」がある。

卯の花や雑踏めげぬ乳母車 村木風花
 最近はあまり乳母車を見かけなくなった。雑踏の中を行く乳母車は何となく危うい感じを受けるが、作者は雑踏にめげず進んでいく乳母車を頼もしく見ている。発見があり季語がよく効いている。

ゆるやかに雲の流るる茶摘唄 ひらとつつじ
 茶摘は4月上旬から始まり八十八夜から2〜3週間が最も盛んだ。ゆったりと時間の流れている下で、茶摘姿の若い娘たちが歌う茶摘唄が聞こえてきそうな句。二句一章の組み立てが決まっている。

ほとばしる蛇口の水の五月かな 舞岡柏葉
 類句類想のありそうな句であるが、万物の活動的な動きが蛇口から溢れ出す水に象徴されていて、蛇口の水を通して五月の爽やかさが詠まれている。
 中村汀女の句に「噴水の玉とびちがふ五月かな」がある.

ジャスミンの匂い立つ夜や闇深し 境木権太
 ジャスミンはインド原産の常緑潅木で枝先に芳香の白い花をつけている。ジャスミンの匂いを詠んだ句は沢山あるが、「闇深し」がこの句を効果的にしている。闇が深ければ深いほどジャスミンの匂に惹きつけられるのである。

新緑や鎌倉駆ける人力車 野路風露
 素直な句だが、もう少し突っ込んで詠んで欲しい句。新緑の中を粋な衣裳を纏って鎌倉を案内する達人の俥夫の姿が目に浮かぶ。客待ちの拠点で屯する中には俥夫歴20年以上の方もおられるとか。古都鎌倉の風情が感じられる。


 第9回 吟行句会 
(2010年5月21日 イタリア山庭園、中華街 参加者:14名)
■ 作 品

夏空に関帝廟の龍踊る ひらと つつじ
古びたるテーブルの薔薇匂ひたつ 千草 雨音
サングラス透して緑【あお】の際立てり 村木 風花
初夏の街色したたかに中華廟 いまだ 未央
ソクラテスの顔してビール飲み干しぬ 松本 道宏
紫陽花のかたき蕾や梅雨を待つ 櫛田 楽修
テーブルに鉄線花置かれ港見ゆ 大野 たかし
五月来て幾星霜の古家具かな 木村 桃風
緑蔭に歴史を刻むブラフ館 飯塚 武岳
青ばらに画伯とカメラ群がれり 吉田 眉山
鉄線花蔦編籠の皿の中 菊地 智
洋館の薔薇の涙をよろこびに 東酔水
関帝廟原色溢れ初夏の空 野路 風露
薔薇映える洋館に物語あり 中里 くらき


 第74回 句会 (2010年5月)
■ 作 品

高札に禅の誘ひや松の蕊【ずい】   吉田 眉山
←最高得点
母さんの目が笑ってる四月馬鹿  飯塚 武岳
←最高得点
道の駅作り手ごとの春野菜 千草 雨音
記念樹の芽吹きて吾子の旅立ちぬ 舞岡 柏葉
桜散る水なき空を波立たせ 松本 道宏
藤の花うすむらさきに風染まる 中里 くらき
太鼓打つ肘のしなひや初桜 ひらと つつじ
石段を上り下りの春日傘 境木 権太
花片を含み吐き出し遊ぶ鯉 菊地 智
きのふより膨らみて見ゆ春野かな 村木 風花
幼子のあくび幾たび長閑かな 長部 新平
のどけしや下賀茂に立つさざれ石 東 酔水
鉄塔は羅針のごとく春を指す 木村 桃風
ふんわりと新緑ゆれる柳かな 野路 風露
車椅子赤ちゃん目線の花見です 村上 浜つ児


■ 弘明寺抄(2)
平成22年5月  松本 道宏

 風薫る大空に泳ぐ鯉のぼりは五月の風物詩である。毎年水郷田名で催されている「泳ぐ鯉のぼり相模川」は、相模川に5本のワイヤをかけて約1,200匹を泳がせている。数年前の吟行会の際に拝見したが、正に勇壮な風景であった。
 大岡川でも15年程前からこども会が布製の鯉のぼりに思い思いに模様を描き、手作りの鯉のぼりが200匹程飾られている。
 著名な俳人の句に「力ある風出てきたり鯉幟  矢島渚男」がある

記念樹の芽吹きて吾子の旅立ちぬ 舞岡 柏葉
 記念樹はわが子の誕生の際に植樹したものであろうか。樹木の生長と共に育ったわが子。その思い出深い記念樹の芽吹きに合わせて、成人したわが子が旅立ちていくという、親にしてみればこの上ない至福のひと時が詠まれている。

藤の花うすむらさきに風染まる 中里 くらき
 藤の花の見事さは俳句でも多く詠まれてきたが、不思議なことに二つと同じ句はない。「白藤や揺りやみしかばうすみどり 不器男」「藤の花風にふじいろ移しつつ 志乃」。この句も藤の花の風情がきめ細かに美しく詠まれている。

花筏風の調べに踊りけり 長部 新平
 「水面に散り落ちた花が筏のように流れる様子」を「花筏」というが、実際には池などの水面を漂う情景が浮んでくる。この句、風の調べに川面で躍り始めた花筏の風情が美しく詠まれている。

太鼓打つ肘のしなひや初桜 ひらと つつじ
 太鼓を叩くときの肘の撓い方と初桜とは何の関係もないが、開花を待ち焦がれる感動と太鼓を勇壮に打つ肘のしなやかさに何か共通するものがありそうである。対比の初々しさに感動するなんとも不思議な句である。

母さんの目が笑ってる四月馬鹿 飯塚 武岳
 四月一日だけはどんな嘘をついても許されるという。嘘が巧妙なものほど自慢になるが、それでもむやみに貶めるだけのような嘘は嫌われる。この句「目が笑っている」で四月馬鹿の嘘を見抜いている様子が素直に詠まれている。


 第73回 句会 (2010年4月)
■ 作 品

天上を奈落と見たり揚雲雀  松本 道宏
←最高得点
灯明や朧のなかに小宇宙  舞岡 柏葉
永き日の老猫眠るトタン屋根 千草 雨音
春風にあいさつほどの香りかな 木村 桃風
敦煌の夢を運びて黄砂かな 野路 風露
春暁や言葉いらずの目覚めなり 東 酔水
惜春や遠出夢見た少年期 長部 新平
派出所は花菜一輪留守居役 菊地 智
道の辺の大地動かし草萌ゆる 村木 風花
剪定は妻のいいなり庭の午後 境木 権太
鐘の声白木蓮の散る夕べ 飯塚 武岳
花冷えを忘れ宴の盛り上がる 吉田 眉山
勝浦や町中雛を飾りけり 中里 くらき
口中に薄荷のにほふ大試験 ひらと つつじ


■ 弘明寺抄(1)
平成22年4月  松本 道宏

 3月下旬から4月上旬は正に桜の季節。桜が咲き、そして散る。そのさまを表す日本語は実に豊富です。初花、花の波、花の雲、花吹雪、花筏、残花、遅花、(余花は夏の季語)。これほど多彩に移ろいが表現されている植物はありません。
 桜を愛した平安末の歌人西行法師は願い通りの死を迎え、実業家で俳人の角川源義は『花あれば西行の日とおもふべし』と詠み、西行ゆかりの奈良・吉野山に魅せられた俳人角川春樹は「桜は宇宙を内包している」と言っています。

灯明や朧のなかに小宇宙 舞岡 柏葉
 仏壇の中に点る灯明に小宇宙を感じた作者の感性は素晴しいと思います。先祖代々を祀った戒名がかすんで見える春の仏壇。灯明が点るその仏壇の中を「小宇宙」と詠まれていますが、現代に生きる作者の主張の窺える句です。

道の辺の大地動かし草萌ゆる 村木 風花
 少し大袈裟な表現とも思えますが、コンクリートの割れ目なり、わずかでも土のあるところから芽生える草の生命力を詠んでいます。ありふれた景色の中に確かな春の息吹が強調されて詠まれています。

落ちてなお生あるごとき椿かな 境木 権太 
 落椿の様子を生き生きと詠まれています。多くの花は花弁が分かれて散りますが、ご存知の通り椿はポトリと落ちます。落ちてもなお生ある椿が端的に詠まれています。

波遊ぶ寄せては返す桜貝 野路 風露 
 波うち際の桜貝の動きが丁寧に詠まれています。「寄せては返す」は波によって動く桜貝の様子を表現されたものであり、光沢のある美しい桜貝の動きが目に見えるようです。「波遊ぶ」が効いています。

剪定は妻のいいなり庭の午後 境木 権太 
 仲睦まじい夫婦の姿がユーモラスに詠われています。しかし、下五の「庭の午後」は推敲をして欲しいと思います。「剪定」は立派な春の季語で、若芽の出る前の3月の初めの頃が適期と言われています。


 第72回 句会 (2010年3月)
■ 作 品

苔石を少し浮かせて下萌える  木村 桃風
←最高得点
幼子と糸電話する春の風邪  ひらと つつじ
墨壺より直線弾み日脚伸ぶ 松本 道宏
ゆび先にふれて一輪梅ぬくし 村木 風花
飯蛸をほっこりと煮て母恋し 千草 雨音
凍星の光つきさす天守閣 飯塚 武岳
踏みしめて春霜の嵩はかりけり 舞岡 柏葉
水玉に道を飾りて梅は散り 菊地 智
一人居や節分の豆持て余し 境木 権太
早春のウインド飾る刺し子かな 東 酔水
白梅や八十路の女の恋もあり 野路 風露
昭和の灯歌声喫茶春を呼ぶ 長部 新平
蒼穹に寒梅ふふむ恵比寿さん 吉田 眉山


 第71回 句会 (2010年1月)
■ 作 品

駅ごとに寒気纏ひし人の乗り  千草 雨音
←最高得点
真っ白な闇のありけり地吹雪す  松本 道宏
柿すだれひなたの猫の大あくび 舞岡 柏葉
古寺の庭にごろりと榾火跡 吉田 眉山
書けぬ日もありて今年の日記果つ 境木 権太
茅葺の屋根に縋って冬の蜂 飯塚 武岳
干支六度早巡りける師走かな 中里 くらき
冬晴や空にひとすじ刷毛の引く 村木 風花
テトラポットのひしめきあへる御講凪 ひらと つつじ
新しき暦につける丸印 野路 風露
日々同じされど町中師走風 奥隅 茅廣
短日や明日入院の君抱きぬ 益子 紫苑
歌合戦見るひまもなし大晦日 木村 桃風
初雪や朝刊の色褪せて見え 長部 新平
数え日や残り仕事の気はブルー 菊地  智


■ 短 評  第71回
俳句グループ代表  松本 道宏

★ 特選句
小春日や沖にたゆたふ烏帽子岩 飯塚 武岳
 烏帽子岩は茅ヶ崎市の海にある岩礁で、海岸から1.5キロほどの距離にあり、茅ヶ崎の見所になっています。春のような穏やかな日和の中に、海に揺らいでいる烏帽子岩に焦点を絞った風情のある風景が詠まれています。

★ 入選句
茅葺きの屋根に縋って冬の蜂 飯塚 武岳
 冬の蜂は交尾後、雄蜂は死にますが、受胎した雌蜂は生き残って越冬します。元気がなく日当たりの茅葺き屋根に縋って生きる蜂の哀れさが詠まれています。

柿すだれひなたの猫の大あくび 舞岡 柏葉
 渋柿がすだれのように干されている晩秋の風物詩もさることながら、柿すだれの下で猫が大あくびをしている長閑で平和な風景が詠まれています。

冬晴や空にひとすじ刷毛の引く 村木 風花
  雲ひとつない冬晴れは春のように穏やかで明るいものです。しかしよく見ると、刷毛で引いたような一筋の薄い雲を発見。物をよく見て詠んでいます

テトラポットのひしめきあえる御講凪 ひらと つつじ
 二物衝撃の句です。犇めきあっているテトラポットと御講凪は何の関係もありませんが、一句の中に組み合わさって詩的な効果を高めています。

★ 並選句
能面の無言の歌や冬の朝 村木 風花
駅ごとに寒気纏ひし人の乗り 千草 雨音
歌声に音痴も和すや忘年会 奥隅 茅廣
青木の実ひときわ赤き泉岳寺 千草 雨音
すうすと窯のけむりや冬紅葉 ひらと つつじ