2011年

2011年12月 第93回句会 作品 弘明寺抄(21)
2011年11月 第92回句会 作品 弘明寺抄(20) 
2011年10月 第1回 一泊吟行句会 作品 
2011年10月 第91回句会 作品 弘明寺抄(19)
2011年9月 第90回句会 作品 弘明寺抄(18)
2011年8月 第89回句会 作品 弘明寺抄(17)
2011年7月 第88回句会 作品 弘明寺抄(16)  
2011年6月 第87回句会 作品 弘明寺抄(15)  
2011年5月 第11回吟行句会 作品  
2011年5月 第86回句会 作品 弘明寺抄(14)  
2011年4月 第85回句会 作品 弘明寺抄(13)  
2011年3月 第84回句会 作品 弘明寺抄(12) 
2011年2月 第83回句会 作品 弘明寺抄(11) 
2011年1月 第82回句会 作品 弘明寺抄(10) 

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 第93回 句会  (2011年12月)
■ 作 品
 
   
城垣を攻め登りたる蔦紅葉     境木権太
←最高得点
繕ひの手のせかされて冬隣    村木風花
虎河豚を捌く出刃先まよいなし     たま四不像
未来から来し産声や竜の玉松本道宏
カステラのざら目こぼるる夜寒かな    

ひらとつつじ

ざく切りの冬菜茹で上げ夕餉かな浅木純生
水鳥や艦隊のごと水面切る

舞岡柏葉

縁側の母の居場所に冬日さす野路風露 
菊の香や痴呆の母の無心顔飯塚武岳
新蕎麦の深き青さや酒の味

木村桃風

静かなるホームの庭に石蕗の花菊地智
忘れても知ることもある木の葉髪中里くらき
冬晴れの基地に浮かぶや潜水艦東酔水 

鞴祭(ふいごまつり)コート着る日と定めをり 

千草雨音
早朝の旅支度終え息白し長部新平


■ 弘明寺抄(21)
平成23年12月
松本 道宏 
 

 先月に続き『第二芸術』論について学びましょう。
 「第二芸術」論の意図は、学んできた西欧の近代精神の上に立ち、西洋の近代芸術と俳句を対比させ、日本の古い俳句、短歌、私小説などの底に流れる精神を否定したものでした。
 敗戦後の俳壇に大きな衝撃を与えたこの「第二芸術」論は、当時の俳壇で指導的な立場にあり、進歩的な思想の持ち主の俳人達は、反駁すべきところは反駁し、俳句、俳壇の欠点については謙虚に反省して俳句の文学性を高める努力をしてきました。
 現在隆盛を続ける俳句界からは想像しがたい打撃でしたが、逆にこの「第二芸術」論があったからこそ今日の俳句の隆盛があるともいえます。

 

黄昏の光吸い寄せ石蕗の花 境木権太

  晩秋から初冬にかけて、花茎を伸ばし黄色い頭状花をつけ、この季節に咲く石蕗の花は遠目も鮮やかで美しい。しかも黄昏時に咲いている石蕗の花は、あたかも黄昏の光を吸い寄せて咲いているかのようで、観察の効いた句である。

水鳥や艦隊のごと水面切る  舞岡柏葉

 水鳥は白鳥、鴨、雁、鴛鴦などすべて水に浮かぶ鳥の総称で、その姿態はさまざまであるが、同じ種類同士で群れをなし、艦隊を組んで水面を切って進んでいく様を観察した作者の感性は素晴らしく、同じく観察の効いた句である。

カステラのざら目こぼるる夜寒かな 

ひらとつつじ

 秋夜の寒さの中、一人カステラを食べているのであろうか。「ざら目が零れる」状態と「夜寒」はなんら関係はないのであるが、「ざら目が零れる」ことによって「夜寒」の寂寥感が醸しだされてくるから不思議である。

城垣を攻め登りたる蔦紅葉

境木権太

 城垣に絡みつき、燃えるような蔦紅葉は、今にもそのお城を攻め登って行くのではないかという錯覚を覚える。蔦紅葉の燃える状態を上手に詠っている。

虎河豚を捌く出刃先まよいなし

たま四不像

 虎河豚は河豚の中でも特に美味しい魚である。その虎河豚を捌いている状態を「まよいなし」と一刀両断に詠み上げたところにこの句の良さがある。

 第92回 句会  (2011年11月)
■ 作 品
 
   
月の部屋は入り江に似たり青世界     松本道宏
←最高得点
蘊蓄をひとわたり聞き零余子飯    浅木純生
←最高得点
秋鯖の光散らして運ばるる     ひらとつつじ
病状を問わず問われず十三夜たま四不像
大空をせめぎ合ひつつ鰯雲     

村木久美

大ひねり連獅子の舞花芒 菊地智 
すすき原スポットライトの夕日かな

野路風露

三度目の内視鏡待つ神無月吉田眉山 
満月や千里離れて共に観ん飯塚武岳
虫の音か体温計のちちと鳴る

奥隅茅廣

栗拾い帽子が籠に早がわり小正日向
行き過ぎてふと振り返る金木犀木村桃風
無花果の手作りジャムの淡き味    千草雨音 
色鳥の天空に打つ紅一点  舞岡柏葉
清らかにしずく染めたるもみじかな中里くらき
分け入りて鳴子の宿の初時雨境木権太
父手術果てなく祈る秋の夜

長部新平 

渡り鳥鎌倉五山見おろして

東酔水


■ 弘明寺抄(20)
平成23年11月
松本 道宏 
 今月は「第二芸術論」について学びましょう。
 昭和21年11月、京都大学教授でフランス文学専攻の桑原武夫先生が雑誌『世界』に「第二芸術論」、副題「現代俳句について」の文を発表しました。
 内容は既成の作家の俳句を無記名で勝手に作者名を伏せて並べ、その優劣の殆ど付けにくいことを導入、俳句では近代社会の思想感情を表現できにくく、俳句は芸術と呼ぶには値しない形式であり、敢えて芸術と呼ぶなら「第二芸術」であろう。としてその理由を列挙しまし
 「第二芸術論」発表の意図は、学んできた西欧の近代精神のうえに立ち、西洋の近代芸術と俳句を対比させ、日本の古い俳句、短歌、私小説などの底に流れる精神を否定したものでした。

 

病状を問わず問われず十三夜 たま四不像

 病人同士で名残の月を鑑賞しているのでしょうか。夜は冷気が加わってきて、ものさびしくもある「名残の月」を見ている病人の心づかいが「問わず問われず」にもひびき合っています。

秋鯖の光散らして運ばるる ひらとつつじ

 油の乗っている秋鯖は、昔は「鯖は鮮度がすぐに落ちるので、体によくない」と言われ、嫁の身体を守る意味で「秋鯖は嫁に食わすな」と言われてきました。 この句は油の乗った秋鯖を運ぶ状態を見ている作者の気持ちが詠われています。

 

大空をせめぎ合ひつつ鰯雲 

村木風花

 鰯が群れているように見える鰯雲を丁寧に詠んでいます。「大空をせめぎ合っている」と捉えた表現に納得しました。

栗拾い帽子が籠に早がわり 

小正日向

 少し川柳めいていますが、夢中になって栗拾いをしている情景、即ち帽子が籠に早代わりするほど沢山の栗を拾っている情景が上手に詠まれています。

 

秋麗花嫁投げしブーケ舞う

千草雨音

 秋は結婚式の季節でもあり、皆さんに祝福されて、花嫁さんがブーケを天に向って投げる情景はあちこちで見受けます。まさに青春のひと駒が詠まれいて、季語も決っています。

 

 
 第1回 一泊吟行句会
 

(2011年10月6日〜7日 箱根  参加者:11名)
■ 作 品
 
湖波の寄せて秋日の関所跡    ひらとつつじ
←最高得点
芦ノ湖の汀の秋の朱の鳥居 いまだ未央
霧わたる十月の谷音もなし 浅木純生
霧分けて白い航跡海賊船   木村桃風
ロープウエー秋の気配を追走す 

舞岡柏葉

山の端にグラデーションの霧かかる 野路風露
霧深し箱根の坂に猿の茶屋 境木権太
杉並木時の流れに秋深し

大野たかし

湯の町に金木犀の香り立つ

千草雨音

道中に晶子好みの霧の宿東酔水 
霧笛鳴る船ぬつと出る霧深し吉田眉山

 第91回 句会  (2011年10月)
■ 作 品
 
   
秋空に掃き残されし雲ふたつ     野路風露
←最高得点
眼を伏せし青児の美女の秋思かな     舞岡柏葉
兄弟の多きがうれし今年酒     ひらとつつじ
夕焼けの雲を従へ雁渡る村木風花
荒れ庭に生命与えて曼珠沙華     

境木権太

秋めくやのっしのっしと犬歩く  木村桃風
秋深し稜線高く空を切る     奥隅茅廣
嵐去り彼岸団子と熱き茶と      吉田眉山 
花芒日はぎらぎらと風の道     菊地智
案山子にもなでしこジャパン登場す千草雨音
削られしジャコメッティに月澄めり松本道宏
敬老日鏡のなかの己が顔   飯塚武岳
踏切に鶏頭赤き獺祭忌      浅木純生 
身に沁みて時の移ろい感じをり      長部新平
鰯雲おさな子曰く団子虫東酔水


■ 弘明寺抄(19)
平成23年10月
松本 道宏 
 先月に続き『鶏頭論争』について学びましょう。
 昭和26年、文芸評論家山本健吉は俳人志摩芳次郎、斎藤玄などに反対して「鶏頭論争終結」を発表し、鶏頭の句を高く評価しました。健吉は鶏頭の句を支えているのは「純真無垢の心の状態が掴みとった一宇宙の明瞭な認識であって、そこに何の混乱も曇りもない」と言い、十四五本と言う言葉は「鶏頭の雑然と群立する相とともに、その相を無心な一括の下に大きく捕えてしまう作者の側の立体的な掴み方 を示している」とし、七八本と十四五本の差は大変大きいと断言しました。
 これらの論争によって鶏頭の句はますます子規の代表作として定着しました。

案山子にもなでしこジャパン登場す 千草雨音

 今年7月、女子サッカーW杯ドイツ大会で2−2の末のPK戦でアメリカを3−1で下し、日本国中を熱狂させた「なでしこジャパン」が、早速案山子に登場し納得しました。 舞岡公園の案山子コンクールでも「なでしこジャパン 澤選手」の案山子が飾られていました。但し、「登場す」は推敲したいです。

 

床柱鈍くひかりて地虫鳴く ひらとつつじ

 紫檀・黒檀などの唐木で作られた床柱であろうか。鈍く光っている古風な格式のある床柱が、「地虫鳴く」とは全く関係がないにも係らず、その「ジーッ」と鳴く虫の声に床柱の重々しさが感じられます。

秋空に掃き残されし雲ふたつ 

野路風露

 単純な写生句ですが、「雲ふたつ」がよく効いています。高気圧が張り出してきて澄み渡った青空は実に美しいものです。その青空に掃き残されたふたつの雲を見つけたところが良かったと思います

花芒日はぎらぎらと風の道 

菊地智

 秋の日に照らされた芒が風に揺れる姿は風情があり、芒は秋の七草に数えられています。太陽にそよいで「ぎらぎら」した芒。その芒の中に「風の道」を発見した作者。花芒の風情が的確に詠まれています。

 

身に沁みて時の移ろい感じをり

長部新平

 少し観念が勝った句です。秋も深まってくるとひややかさをこえて冷たさが心身ともに感じられます。ことに秋風が吹き始めると身に沁みるものが一段と強く感じられます。「身に沁みて」は目には見えるものではなく感覚的な言葉ですが、そこに時の移ろいを感じることは誰にも感じるところです。

 第90回 句会  (2011年9月)
■ 作 品
 
   
川床の瀬音を包む蝉時雨      境木権太
←最高得点
硯洗ふ指やはらかに弧を描く      千草雨音
←最高得点
田に残る風の足跡今日の秋      村木風花
波音は海の呼吸や天高し      松本道宏
落し文語り尽くせぬことありて      飯塚武岳
朝涼やトマトケチャップたつぷりと      ひらとつつじ
里芋の葉先に露のネックレス      舞岡柏葉
秋刀魚焼くけぶりの中に母のこと      浅木純生 
幼子の踊り浴衣に靴履いて      吉田眉山
朝霧の向こうに夢の続きあり      野路風露
ツユクサの名にふと魅かれ図鑑見る       長部新平
秋めいて追憶揺らす野路かな      中里くらき
飛魚漁もあふひも終わり壱岐の島      菊地智 
芭蕉葉や風に吹かれて破れ傘        木村桃風
静寂や霧まといつつ竹林      東酔水


■ 弘明寺抄(18)
平成23年9月
松本 道宏 
 今月と来月は『鶏頭論争』について学びましょう。
 昭和24年、俳人志摩芳次郎が正岡子規の代表句「鶏頭の十四五本もありぬべし」の句に対して「子規俳句の非時代性」を発表し鶏頭論争が始まりました。
 当時この句を歌人の長塚節や斎藤茂吉たちは評価していましたが、虚子は終始黙殺していました。俳人斎藤玄も否定的でしたが、俳人山口誓子、西東三鬼、加藤楸邨らは肯定的でした。玄は「鶏頭の七八本ありぬべし」と句を作り変えて否定したのに対し、誓子は「十四五本の根源に触れ」ゆるぎない秀作と強く肯定しました。
(次号へつづく)
里芋の葉先に露のネックレス  舞岡柏葉

  ハート形をした里芋の大きな葉の上に小さな露を沢山乗せてキラキラと光っている光景はよく見掛けるところです。その露をネックレスに見立てた句で、良いところを捉えています。

幼子の踊り浴衣に靴履いて  吉田眉山

  俳句でいう「踊り」は盆踊りを指します。夏の夕方浴衣に着替えて盆踊り会場に出掛けていく幼児を見ると、下駄でなく靴を履いていたのでしょう。川柳めいていますが、子供の急く心まで分かる光景が素直に詠まれています。

硯洗ふ指やはらかに弧を描く  千草雨音

  「硯洗ふ」は七夕の前夜、習字の上達を願って普段使っている硯を洗い清め、短冊に願い事を書くわけですが、その硯の洗い方を詠んだ句として納得しました。「硯洗ふ」は北野天満宮の神事がその原型と言われています。

金色の龍の船ゆく盆の月 ひらとつつじ

 盆の魂祭りに金色の龍の船を川に流し、祖先を祀る仏事を詠んだ句でしようか。盂蘭盆会に作者の格別の思いが詠まれています。

耿耿と名月影を濃くしたり 村木風花

 仲秋の名月は四季の月の中で最も美しく、名月に映し出されたものの影もその美しさを際立てています。名月を鑑賞している作者の気持ちが素直に伝わってきます。

 第89回 句会  (2011年8月)
■ 作 品
 
きらめきを空に映して鮎釣らる     ひらとつつじ
←最高得点
鬼灯が乗って華やぐメトロかな 境木権太
藍染のゆかた着こなす足捌き      千草雨音
陽の光少し許して麻のれん 舞岡柏葉
風鈴の音もなき風の無口さや

村木風花

寝返りて川の字崩るバンガロー 松本道宏
蝉しぐれ野球少年呼応する 木村桃風
阿波踊り腰に瓢箪ぶらりかな 奥隅茅廣
今朝も又朝顔数え母と子と 野路風露
夏休二人で摘んだクローバー

飯塚武岳

滴りて切通し這う葛の葉や     

東酔水

蓮の葉に雫をためる寺の朝

浅木純生

夏の風かがやき見せて吹き流れ長部新平
緋の袈裟の払子が払う大暑かな菊地智
学舎に未だ響かぬ蝉時雨 

吉田眉山

 

■ 弘明寺抄(17)
平成23年8月
松本 道宏 

 今月は「余情と余韻」について考えてみました。
 「謂ひ応せて何か有」は松尾芭蕉の有名な言葉です。全てを語りつくさず感情を出来るだけ抑えて、句を単純化することこそが短詩型の命です。
 「余情」とは言外に漂う豊かな情趣。「余韻」とは音が消えた後でも何時までも耳に残っている微かな音です。俳句は沈黙の文学です。表現を極力抑えて心を内に秘め、あらわに感情を外にあらわさずに「余情」 「余韻」を漂わせる方法が短詩型の美学です。「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり 飯田蛇笏」「闘鶏の眼つむれて飼はれけり 村上鬼城」は主観が客観化されて、読者にしみじみと伝わってきます。俳句本来の 「余情」「余韻」のある句を詠んでみましょう。

「ハマナス」と「浜梨」の季語についての説明

  8月7日の「俳句」を作って見よう」公開講座の中で、「格調」のある例句として「ハマナスや今 も沖には未来あり 草田男」の句を説明しましたところ、「ハマナス」と「浜梨」は同じとの提案 があり、帰宅後 調べましたら、「ハマナス」の花が「はまなすの果実」になることがわかりました。
しかし、野菜の「ナス」とは関係はありません。
 名前の由来は、甘酸っぱい果実の味から「浜でとれるナシ=ハマナシ」と呼ばれたものが転訛したとされることが分かりましたので、「インターネット句会」の場を借りて説明いたします。
 結論としては、「ハマナス」は花の名前であって「浜梨」は「ハマナス」の実ということになり季語は異なります。

     

きらめきを空に映して鮎釣らる ひらとつつじ

 鮎釣の醍醐味が伝わってくる句です。釣り上げられた鮎はきらめきながら空に映しだされており、その感動が詩的に詠われていています。「空に映して」がこの句のセールスポイントで大変上手です。

阿波踊り腰に瓢箪ぶらりかな  

奥隅茅廣

 三味線、笛、鉦、太鼓の囃子に合わせて大勢の人が列をなして町中を踊り回る阿波踊りの中に、腰に瓢箪をぶら提げて踊っている方を発見したのでしょう。 
このユーモラスな姿を発見し、句にされた力量が素晴らしいです。

鬼灯が乗って華やぐメトロかな 境木権太

 7月9・10の両日は浅草寺の境内に鬼灯市が立ちますが、その帰りでしょうか、鬼灯を持った娘さんが地下鉄に乗ってこられたとたんに電車の中が華やいだのでしょう。感動の一瞬が素直に詠まれています。

藍染のゆかた着こなす足捌き

千草雨音

 夏の暑い日の夕方、汗を流した浴後に、糊の効いた藍染の浴衣に手を通す感触は爽快です。その浴衣を着こなした娘さんの足捌きに注目した作者は、夏の豊かな情緒に見惚れていたのでしょう。

鮎釣の身じろぎをせぬ流れかな  ひらとつつじ

 太公望が身じろぎもせず釣竿の一点に集中している姿はよく見かけるところです。下半身を流れの早い川に浸りながら鮎釣に励んでいる姿が目に見えるようです。「流れかな」が大変上手です。

 


 第88回 句会  (2011年7月)
■ 作 品
 
絵手紙の枇杷と見較べ枇杷を食う     吉田眉山
←最高得点
枇杷の実の落ちるがままの空き家かな 境木権太
陸に船色即是空夏野かな      木村桃風
緑陰や葉のささやきに耳澄ます 千草雨音
てのひらに初夏の光の遊びをり

長部新平

しづかなる牛のまなざし青嵐 ひらとつつじ
粥すする熱き茶碗や夏至の朝 奥隅茅廣
ジーンズの祖父正座する夏座敷 たま四不象
桑の実に童の頃の甘さあり 菊地智
あめんぼう映る己と睨めっこ

飯塚武岳

水葬の屍を越えて夏来る     

村木風花

父の日やなみなみと注ぐひとり酒

舞岡柏葉

雨上がり柔かに咲く合歓の花浅木純生
哀悼を捧げるやうな黒日傘

松本道宏

窓明かり死んだふりする黄金虫東酔水
短夜にリスの散歩は電話線中里くらき

 

■ 弘明寺抄(16)
平成23年7月
松本 道宏 

  今月は「自然の真と文芸上の真」について勉強します。
「自然の真と文芸上の真」は、昭和6年に水原秋桜子主宰が俳誌『馬酔木』誌上に発表した論文です。当時「ホトトギス」の4Sの一人として活躍し、短歌にも熱心であった秋桜子先生は、写生をベースにしながらも、短歌的叙情を取り入れ、感動を調べによって表現する主観写生を確立させようとして虚子先生の提唱する客観写生とぶつかる事となりました。
 この論文は俳壇に大きな波紋を呼び、秋桜子先生が「ホトトギス」をおやめになる直接のきっかけにもなり、当時、虚子先生及び「ホトトギス」一辺倒だった俳壇に一石を投じました。

水飯や風吹きぬけて母の家 ひらとつつじ

 昔は干飯を冷水に浸し柔らかくして食べたようです。後世では炊いた御飯に冷水をかけ、夏の暑いときなどに涼味を満喫するために食べるようになりましたが、現代でも田舎などでは水飯を食しているのでしょう。帰郷した際、風が吹きぬけていく母の家の中で戴く「水飯」の涼味が伝わってきます。

しずかなる牛のまなざし青嵐 

 

ひらとつつじ

  秋元不死男先生の句に「冷やされて牛の貫禄しづかなり」の名句があります。詩的な雅びを持つ青嵐の中の牛のしずかなまなざしが詠まれています。

酒樽に心太冷やして峠茶屋   菊地智

 峠茶屋の酒樽に心太が冷やされていたのでしょう。面白いところを詠まれていますが、中七が中九になっているのが気になります。出来るだけ有季定型を守りましょう。「心太冷やす酒樽峠茶屋」と推敲して見ました。

あめんぼう映る己と睨めっこ  

飯塚武岳

 「あめんぼう」は今迄に沢山詠まれていますが、「映る己と睨めっこ」とはあめんぼうをよく観察されており、発見があります。

 

夏潮や車吐きだすフェリー船  ひらとつつじ

 夏潮は梅雨の明けたまばゆいばかりの潮ですが、フェリーが夏潮の中を来て、盛んに車を吐き出している様子が詠まれており、「夏潮」が効いています


 

 第87回 句会  (2011年6月)
■ 作 品
 
  
木下闇毘沙門天の眼に射らる     千草雨音
←最高得点
トルソーのまろき乳房や五月風 ひらとつつじ
藤棚を天蓋とみる羅漢かな 村木風花
薫風やブッセの空を駆け巡る    松本道宏
ガラス器の素麺氷と戯れり 舞岡柏葉
黒南風や川波白く雲千切れ 中里くらき
早梅雨に蕾小さき四葩かな 菊地智
避難所に高く大きく鯉のぼり 飯塚武岳
立ち止まる薔薇のくずれし音聞こえ 野路風露
子だくさん庭をはみ出す鯉のぼり境木権太
老翁の谷渡り聞き歩を止める

東酔水

昼下がりバラの向うに氷川丸

木村桃風

汐満ちて夏の川面にいな撥ねる吉田眉山
衣更え全身風の通り過ぎ長部新平
走り雨脈の乱れし砂時計たま四不象
梅雨入りて秘すれば花と世阿弥読む浅木純生
暮れそめし泰山木の花白し奥隅茅廣

 

■ 弘明寺抄(15)
平成23年6月
松本 道宏 

  今月は名句の条件について考えてみました。名句の条件としては人それぞれに意見の分かれるところがあります。一般的には歴史的、時間的に濾過され、生き延びた句が名句だと思うのですが、もっと端的に考えますと「普遍性・創造性・規範性」の三つが名句の条件でないかと考えます。作られた時代の状況 を理解し、それらを乗り越えて我々に訴えてくる作品が名句だと思うのですが、具体的な句となりますと、好き嫌いのレベルで反応する事が考えられます。
 ではどの句が名句であるかを取り上げた場合、正岡子規の「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」、後藤夜半の「滝の上に水現れて落ちにけり」などは、計算を超えた驚き 、自然な無邪気さが出ていると思うのですが、如何でしょうか。
 結論としては、単純ではありますが、誰が見ても「うん、いいなあ」とお手本になるような句が名句なのではないかと思っています。

木下闇毘沙門天の眼に射らる  千草雨音

  毘沙門天は仏教における天部の仏神であり、四天王の一尊に数えられる武神です。その毘沙門天は大変鋭い眼をしていますが、作者が毘沙門天を仰ぎ見た時、逆に毘沙門天の眼に射られてしまったと言う驚きの感じられる句です。季語の「木下闇」がよく利いています。

ガラス器の素麺氷と戯れり 

 

舞岡柏葉

  素麺を茹で上げて氷で冷やしガラス器に盛ったとき、素麺が氷と戯れていると感じ取った感性に拍手を贈りたいと思います。日常見慣れている光景ですが、これから素麺を戴く作者の気持ちまで感じられる句です。

トルソーのまろき乳房や五月風  ひらとつつじ

  トルソーは衣服やファッションの陳列に用いるマネキン人形の一種で、胴体だけのものを指します。上五、中七は的確な表現ですが、季語の「五月風」に違和感を感じました。 「風薫る」としたら如何でしょうか。

黒南風や川波白く雲千切れ 

中里くらき

 梅雨に入ってから吹く南寄りの風を黒南風と言いますが、雨を伴って吹 く南風は川波を毛羽立たせ、川波は千切れた雲を映しています。梅雨時の川の情景をしっかりと把握して詠んでいます。

若楓の障子に踊る葉影かな  舞岡柏葉

 初夏の樹々の中でぬきんでて清らかな美しさを持つ楓。楓に限って「若楓」と讃えられているのは、『万葉集』『源氏物語』などに古くからの賞美があったからです。葉影を通して若楓の姿が鮮やかに詠まれています。


 
 第11回 吟行句会
 

(2011年5月26日 山下公園  参加者:14名)
■ 作 品
 
歴史秘め動かぬ船や夏の雲     舞岡柏葉
←最高得点
六分儀にぶく光りて梅雨まぢか ひらとつつじ
噴水のレースをまとふ女神像 大野たかし
海風を全身で受け夏来る    櫛田楽修
客船の白さ眩しき青葉風  村木風花
名も知らぬ花の香りや初夏の街 吉田眉山 
旅心そそる遥かな夏の海 千草雨音
仕舞い花香りも淡くばら花壇 中里くらき
新緑にぬつと突き出るタワーかな 奥隅茅廣
夏服や潮の香りの風まとう木村桃風 
薄暑光水の守護神甕を抱く松本道宏

海風の吹き抜けてゆく若葉かな

浅木純生
新涼や帆をやすめたり日本丸東酔水
薄日射す五月の海のてらてらと いまだ未央

 
 第86回 句会  (2011年5月)
■ 作 品
 
陽炎に掴まるごとく幼児立つ     松本道宏
←最高得点
掘り立ての筍古紙に包まれて 千草雨音
見ゆるものまた新しき四月かな 村木風花
幼児や手をふりほどき青を踏む     舞岡柏葉
散る花に子ら操りの如く舞い 奥隅茅廣
子ら連れてうらうら野辺に蓬摘む 浅木純生
昭和の日懐メロ歌う古ラジオ 長部新平
対局を終へて夕べの花辛夷 吉田眉山
花筏流れのままに姿変へ 飯塚武岳
陶土粘る肩の力みや雪柳ひらとつつじ
若葉風目薬となる森の道境木権太

初蝶の寄り道先は何処かな

中里くらき
はつ夏や小枝くわえて居たすずめ木村桃風

 

■ 弘明寺抄(14)
平成23年5月
松本 道宏 

 今月は「俳句は引算で作る」について勉強しましょう。
 俳句は省略の文学とも言われています。省略の主なものは 「@主語を省く A用言を省く B時間の経過を省く」です。

(1) 石田波郷は「俳句は一人称の文学、一句の主人公は常に我である。」と力説されています。従って、  一番多く省略されている主語は「我」「私」ですが、「われ」以外の人・ものが主語の場合は個々の判断  が必要です。
         「ずかずかと来て踊り子にささやける 高野素十」(主語の省略)
         「戦争が廊下の奥に立ってゐた    渡辺白泉」(主語未省略)
(2) 「用言の省略」には「動詞」「形容詞」「形容動詞」の省略があり、対象や感動を引き立てるための大  切な省略であります。
           「戦争と畳の上の団扇かな      三橋敏夫」(二物並列のみ)
(3) 「時間の経過省略」とは言外に一句の持つ情趣・情感を醸成させ、読み手に作者の心の豊かさを伝  えなければなりません。
         「金剛の露ひとつぶや石の上     川端茅舎」(時間経過省略)

痩せもありメタボも有りて鯉幟  奥隅茅廣

 端午の節句を祝う鯉幟の句は数多く詠まれていますが、痩せてた鯉幟やメタボの鯉幟を詠んだ句は始めて拝見しました。 現代風に鯉幟を詠まれているところが 面白いと思いましたが、一寸川柳めいています。

花筏流れのままに姿変へ  飯塚武岳

 筏を見かけなくなった現在では「水面に散り落ちた花が筏のように流れる様子」を「花筏」といっていますが、古くは違う意味にも使われていたようです。「流れのままに姿変へ」は花筏の情景をよく観察されています。

日にまみれ砂にまみれて干若布 ひらとつつじ

 「日にまみれ砂にまみれて」は若布の干されている情景を的確に詠まれています。

掘り立ての筍古紙に包まれて

千草雨音

 数ある筍でも孟宗竹は特に柔らかくて美味しい筍です。近所から戴いたお裾分けの筍を「古紙に包まれて」と詠まれているところが異色です。

若葉風目薬となる森の道  境木権太

 一寸飛躍が過ぎている句と思いましたが、新緑の森を行く作者が若葉風を目薬と捉えた所が斬新と思いました。


 
 第85回 句会  (2011年4月)
■ 作 品
 
だれかれとなく握手して卒業す     ひらとつつじ
←最高得点
紛れ込む風に目敏き吊し雛 松本道宏
食膳に菜の花一つ和みあり 奥隅茅廣
春雷の去って見上げた空の青     浅木純生
蛍烏賊セピアの肌の輝けり 舞岡柏葉
山葵田に立ちてわさびの色となり 村木風花
知らぬげにゆれてよりそう吊し雛 飯塚武岳
生かされて今年も春に巡り会い 野路風露
余震続く始発電車や春の富士 千草雨音
鶯やほめればホケキョ甲高く境木権太
白々と金平糖か雪柳中里くらき

春寒し砂利踏む音のなき社

木村桃風
児童たち挿木を習う花壇かな長部新平
春の闇蹴散らし街に灯りつく菊地智
倒屋に奇跡の二人春を呼ぶ吉田眉山


■ 弘明寺抄(13)
平成23年4月
松本 道宏 

   今月は比喩を上手に使いこなすことについて考えて見ました。
   ご存知のように比喩には直喩(明喩)、暗喩(隠喩)、諷喩、擬人法があり、比喩は重要な表現手法です。比喩を上手に使いこなすには 「@ 観察眼が鋭い」「A 感性が豊か」「B もてる世界の奥行きが深い」が三要素となります。
「去年今年貫く棒のごときもの 虚子」  「摩天楼より新緑がパセリほど 狩行」
「金剛の露ひとつぶや石の上  茅舎」  「蟾蜍長子家去る由もなし  草田男」
「蟋蟀が深き地中を覗き込む  誓子」  「暖かや飴の中から桃太郎   茅舎」
「海に出て木枯帰るところなし 誓子」   「紅梅や枝々は空奪ひあひ   狩行」
  これらの句はそれぞれ直喩、暗喩、諷喩、擬人法の名句ですが、鋭い洞察力と五感が大変良く効いています。

だれかれとなく握手して卒業す ひらとつつじ

  卒業の式次第はかってのように一律でなく学校によって様々です。東日本大震災が起きた今年は、4月1日の卒業式もありその喜びは一入でありました。
  卒業の喜びが「だれかれとなく握手」に表現されています。

蛍烏賊セピアの肌の輝けり 舞岡柏葉

 「蛍烏賊がセピアの肌の輝き」を持っているというのは一つの発見です。セピアは写真の色としてよく使われますが、蛍烏賊との組み合わせが新鮮です。

 

アネモネや命の濃さを知りたる日 村木風花

 4月7日現在、12,000名並びに17,000名を越える死者と安否不明者、160,000名を超える避難生活者を出している今回の大地震では、命の尊さに心が揺さぶられました。アネモネを配した「命の濃さ」にこの句の重さがあります。

食膳に菜の花一つ和みあり

奥隅茅廣

 菜の花は何処に活けられても和む花ですが、食膳に飾られた菜の花の明るさ は一日の活力を与えてくれます。菜の花はまさに和みの花です。

余震続く始発電車や春の富士 千草雨音

 今回の大地震は余震が長く続いています。その余震の続く中で始発電車から見た「春の富士」の気高さが目に見えるようです。

 
 第84回 句会  (2011年 3月)
■ 作 品
 
滝しぶき凍てつくままに華となり     飯塚武岳
←最高得点
あやとりの指の曲りや春の風 ひらとつつじ
江の島の逆白波や実朝忌 舞岡柏葉
あてもなくただ歩きたし春の宵     浅木純生
我が腕に眠る赤子や春の夢 境木権太
春の海水平線が遠くなり 野路風露
下萌えや肩の力のほぐれゆく 千草雨音
雪晴れや校庭の子ら音符めき松本道宏
春寒し訪う人もなき地蔵尊 木村桃風
段畑の短き畝に春日かな村木風花
夕暮れに待ち人遅し春時雨中里くらき

立春に暦の上と書き添えて

長部新平
浅葱をデパ地下売り子講釈す菊地智
ドクターにバレンタインの贈り物東酔水
大池の鯉に睨まれ春浅し吉田眉山
豆撒くや夕餉の膳に飛跳弾み 奥隅茅廣


■ 弘明寺抄(12)
平成23年 3月
松本 道宏 

 今月は難解俳句を検証します。難解俳句の存在は今に始まった訳ではなく、人間探求派、新興俳句も当初は難解と言われながら現代俳句を発展させてきました。難解俳句を読むには秘訣があって、「感じがした」「気がした」などと付け加えると句が身近になってきます。名句「梅咲いて庭中に青鮫が来ている 金子兜太」の句は「青鮫」の語感やイメージを感じ取り、ぞっとする皮膚感覚や不安、恐怖などを読み広げていけば理解出来るかと思います。一見難解に見える句が、実は難解ではなかったと鑑賞するときの醍醐味を味わいたいものです。

滝しぶき凍てつくままに華となり 飯塚武岳

 冬の滝が落下の状態のまま凍った凍滝には壮絶な美しさがあります。この句の素晴らしいところは「華となり」の着地が決っていることです。荒涼とした中に寂しさでなく華やかさがあり、作者の驚きが詠まれています。

きさらぎの光る人体模型かな  ひらとつつじ

 先月「如月」のことについて申し述べましたが、冴え返る寒さの中にあって「人体模型」に焦点を当てていながら、その人体模型に「きさらぎが光っている」と感じ取った感性が素晴らしいと思いました。「きさらぎ」が決っています。

江の島の逆白波や実朝忌  舞岡柏葉

 源実朝は1219年陰暦1月27日鎌倉八幡宮に参拝の途中、甥である八幡宮別当の公暁に刺殺されたことは有名な話で、「実朝忌」は既に大勢の方々によって詠まれていますが、この句は「逆白波」との組み合わせが斬新です。

卒業のメールに踊る音符かな

野路風露

 最近は祝電や電話に変わってメールでお祝いの気持ちを届けるケースが多くなっていますが、祝電に添えた音符が卒業を祝って踊っているとは良いところに目をつけて詠んでいます。

あやとりの指の曲りや春の風 ひらとつつじ

  綾取りは輪にした糸を左右の手首や指に掛けて、琴・鼓・川などの形を作る少女の遊びです。最近は余り見られなくなった光景ですが、「指の曲り」に焦点を当てて句にした力量に感心しました。「春の風」も決っています。


 
 第83回 句会  (2011年 2月)
■ 作 品
 
かるた取るひととき母の華やげる     ひらとつつじ
←最高得点
寒雷や季節に楔打つごとし 松本道宏
幼児の笑顔を待ちて初写真      舞岡柏葉
頼もしき赤子の声や年初め     境木権太
地球儀の傾き眺め冬至かな長部新平
朗報や部屋いっぱいの冬日和 木村桃風
花も香も一枝のみや梅早し 菊地智
春泥や轍の刻む楔文字村木風花
峰の木々墨絵の如し冬日暮れ 東酔水
どんど焼き囲む瞳に燃えさかる千草雨音
風冴ゆる新燃岳の噴火かなる吉田眉山
金襴の帯を渡りて初日かな野路風露
初荷積む若き頭に湯気の立つ奥隅茅廣
老梅や慎ましやかに花白く中里くらき
鴨南の熱々を手繰る寒の入浅黄純生
いつのまに妣の歳越え日の始め 飯塚武岳


■ 弘明寺抄(11)
平成23年 2月
松本 道宏 

 「如月」には冴え返る寒さの語感があります。如月の名称の由来は

  1. 衣を更に着る「衣更着(きさらぎ)」 
  2. 草木の芽が張り出す月「くさきはりずき」 
  3. 陽気が更に来る月「気更来(きさらぎ)」 など諸説があります。

 異名としては殷春・梅見月・建卯月・初花月・雪消月・小草生月があり、「如月の気流青しと仰ぎけり 宮津明彦」「如月の朝の出支度又迷ふ 稲畑汀子」「如月といふ言の葉を羽織けり 稲畑廣太郎」等、名句は少ないようです。

若水に洗ひし顔のほてりかな ひらとつつじ

 元旦の朝、或いは夜明前に汲む水を「若水」と言いますが、この水は神聖な力を持つとされていて神々しいものです。新年を迎えた作者の心意気が詠まれており、「ほてりかな」からは作者の気持ちの高ぶりが伝わってきます。

地球儀の傾き眺め冬至かな 長部新平
 二十四節気の一つに「冬至」があり、日本では柚子湯に入る風習がありますが、この句は地球の自転軸が公転軸より23.5度傾いているという地球儀の傾きから冬至を感じ取った句として、作者の作句意欲に感心しました。

朗報や部屋いっぱいの冬日和  木村桃風
 明るい知らせか、嬉しい知らせが入ったのでしょう。唐突に上五で「朗報や」と詠っていますが、中七以降の「部屋いっぱいの冬日和」でその朗報を受けた気持ちが第三者に充分に伝わってきます。

ゆるやかに人は老いゆく初鏡 ひらとつつじ
 新年になって初めて鏡に向かって化粧をするとき、普通ならば緊張の中にも華やいだ気分になるひと時を、逆にゆるやかに老いて行く自分の顔を発見し、人間の境涯を初鏡に語らせている珍しい句です。

道しるべ右も左も枯野かな 木村桃風

 草が枯れて、一面荒涼とした侘しさが詠まれています。何でもない風景ながら、枯野に立つ道しるべに焦点をあて枯野を強調されていると同時に、自分の進むべき道の厳しさが詠まれています。


 
 第82回 句会  (2011年 1月)
■ 作 品
 
冬満月ジャングルジムの浮き上がる     ひらとつつじ
←最高得点
役者絵がにらみを利かす歳の市浅黄純生
短日の芯となりたる電波塔      松本道宏
病床の中まで染める冬入日      菊池智
剪定の切り口白き年の暮     木村桃風
砂山に風の象や冬日影舞岡柏葉
除夜の鐘ふるさとさらに遠のけり村木風花
天空に初富士浮かぶ相模湾飯塚武岳
静寂の音の響きて冬の月野路風露
大空と富士借景に大根干す千草雨音
八十来て恙なく過ぎ年暮るる奥隅茅廣
碁敵は黄泉に浴みしか冬至の湯吉田眉山
新しき友を得た年や日記果つ境木権太
年初めうさぎ飛び出す好天気中里くらき
会見に和む天皇誕生日長部新平
夕晴れにそびえる富士の気高さよ猪股蕪焦


■ 弘明寺抄(10)
平成23年 1月
松本 道宏 

 新年おめでとうございます。平成23年の年頭にあたり、新年詠のコツと魅力について考えてみました。名句に学ぶ「新年」の必修季語に「去年今年・元日・初日・御降・初景色・初富士・手毬つく・鏡餅・初詣・七種・嫁が君・初鴉・若菜・福寿草」などがあります。去年今年は「移り行くものへの思い」、鏡餅は「まろやかさ、ふくよかさを大切に」詠み、君が嫁は「命へのいとおしさに加えて俳諧性を」出し、福寿草は「その輝きに響き合うものを探し当てる」などが作句のコツになります。「俳句力」で今年も心豊かな人生を送りましょう。

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焼芋の売り声真似る湯船かな 菊地智

 冬の寒い日の入浴は至福のひと時です。そんなとき焼芋売りの声を耳にした。 作者は、咄嗟に「焼きいも ・焼きいも」と節をつけて焼芋屋の声を真似てしまったのでしょう。「湯船かな」に意外性があります。

役者絵がにらみを利かす歳の市 浅黄純生

 正月のお飾りや新年のための品を売る歳の市の一角に歌舞伎役者を描いた絵 が飾られていて歳の市に睨みを利かせていたのでしょう。「にらみを利かす」 がこの句のセールスポイントで、歳の市の様子が面白く詠まれています。

侘助の羽衣のごと白を置く 村木風花

 清楚なたたずまいの侘助をよく観察されています。花は一重で小さく半開し、侘びた姿があります。一寸大げさですが、侘助の白い花に羽衣の白い衣が置かれているようだと見た感覚が素晴らしいと思いました。

年初めうさぎ飛び出す好天気 中里くらき

 「卯年は跳ねる」の相場格言はありませんが、精彩を欠いた寅年から機敏で利発そうな兎への心気一転は干支の効用かも知れません。好天に恵まれたお正月を迎えて、「うさぎ飛び出す」と詠んだ作者の願望に新年の明るさがあります。