2014年

2014年12月 第129回句会 作品 弘明寺抄 (57)
2014年11月 第17回吟行句会 作品
2014年11月 第128回句会 作品 弘明寺抄 (56)
2014年10月 第127回句会 作品 弘明寺抄 (55)
2014年9月 第126回句会 作品 弘明寺抄 (54)
2014年8月 第125回句会 作品 弘明寺抄 (53)
2014年7月 第124回句会 作品 弘明寺抄 (52)
2014年6月 第123回句会 作品 弘明寺抄 (51)
2014年5月 第16回吟行句会 作品
2014年5月 第122回句会 作品 弘明寺抄 (50)
2014年4月 第121回句会 作品 弘明寺抄 (49)
2014年3月 第120回句会 作品 弘明寺抄 (48)
2014年2月 第119回句会 作品 弘明寺抄 (47)
2014年1月 第118回句会 作品 弘明寺抄 (46)
2013年分はこちら 2012年分はこちら 2011年分はこちら  

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 第129 句会  (2014年12月)            参加者:9名
■ 作 品
 
   
正座して物畳む妻冬ぬくし 松本道宏
←最高得点
舌焦がす深川飯や初しぐれ 吉木つつじ 
野良猫のぬつと顔だす冬日向 飯塚武岳
七五三ふくれつら子と笑む祖父母 千草雨音
乳呑みて満願の笑み姫椿

志摩光月

留守番の柿熟れ残る峪の村

境木権太

大茶盛の一味和合や冬日向

舞岡柏葉

山里の新そばの札引かれ入る

浅木純生

落ち葉掃き焼き芋した頃懐かしく柳風凡庸
   


■ 弘明寺抄(57)
平成26年12月7日
松本 道宏 
 

 十二月の名句は「遠山に日の当りたる枯野かな 高浜虚子」です。
高浜虚子は1874年(明治7年)2月22日愛媛県温泉郡長町新町(現松山市湊町)に旧松山藩士・池内政忠の五男として生まれ、9歳の時祖母の実家高濱家を継ぎました。1988年伊予尋常中学(現在の県立松山東高校)に入学。1歳年上の河東碧梧桐と同級となり、彼を介して正岡子規に兄事し俳句を教わり、1891年(明治24年)に子規より虚子の号を授かりました。
 1893年碧梧桐と共に第三高等学校(現在の京都大学総合人間学部)に進学。
この当時の虚子と碧梧桐は非常に仲が良く、寝食を共にしてその下宿を「虚桐庵」と名付けるほどでした。1894年三高の学科改変により碧梧桐と共に仙台の第二高等学校(後の東北大学教養部)に転入しましたが中退し、上京して東京台東区根岸にあった子規庵に転がり込みました。1895年12月、自身の短命を悟った子規より後継者となることを要請されましたが拒否しました。(有名な「道灌山事件」です)。碧梧桐の彼女を略奪し結婚したことは省略します。   (次号へつづく)
  十二月の秀句は 『咳をしても一人 尾崎方哉』   『足袋つぐやノラともならず教師妻 杉田久女』
『冬菊のまとふはおのがひかりのみ 水原秋桜子』等です。

   

 
乳呑みて満願の笑み姫椿

志摩光月

  乳呑み児の生態がよく表現されています。母乳であらうが、哺乳瓶であろうが、乳を呑んでいる幼児の満願の笑みが目に見えてくるようです。季語の「姫椿」も効いています。

冬帽をちょっと気取って友と会ふ

千草雨音

 最初「冬帽」でなくともと思いましたが、俳句では帽子そのものに加え、帽子はその持ち主の人生、生活を想起させますので、納得しました。

野良猫のぬっと顔だす冬日向

飯塚武岳

 日向ぼっこをしていると人恋しさで野良猫がぬっと現われることは誰でもが経験していますが、そんななんでもないことを上手に捉えいます。

小宴会味噌かおり立つ茹大根 

志摩光月

 茹大根に味噌を乗せた香りが漂ってきます。「小宴会」が効いています。  「大宴会」では味噌の香りが立ちません。些細な事が句になっています。

七五三ふくれつら子と笑む祖父母

千草雨音

七五三の視点がユーモラスに詠まれています


 第17回吟行句会  (日産スタジアム〜新横浜ラーメン博物館)(2014年11月)    参加者:13名
■ 作 品
 
   
どんぐりや揃い帽子の子等遊ぶ 千草雨音
←最高得点
麺つゆの油ぎらりと冬に入る 吉木つつじ 
風わたる丘に小さき冬桜 野路風露
ラーメン館昭和の歌に小春かな 東酔水
立冬や博物館に昭和あり

舞岡柏葉

綿入やラーメンすする影ひとつ

志摩光月

虫喰うて捨てておかれし木の実かな

夏陽きらら

ラーメンを見比べ迷う食の秋

飯塚武岳

晴れわたる桜紅葉に鯉集ふ大野たかし
干し物が窓辺に残る秋の暮

境木権太

冬ざれにオールゴール刻むスタジアム

森かつら

冬に立ちカーンとカフー夢のあと 柳風凡庸
凍てる夜や夜鳴きそばの音響き泣く 土屋百瀬

 第128 句会  (2014年11月)            参加者:12名
■ 作 品
 
   
輪のきしみ小江戸の街に秋祭 境木権太
←最高得点
虫食いの穴も見事な枯葉かな 川瀬峙埜 
父が子に伝ふる笛や豊の秋 吉木つつじ
苛立ちを持て余しをり秋潮 千草雨音
カメラより思いはみ出す秋景色

野路風露

雨上がり落ち葉染み付く朝の道

柳風凡庸

新蕎麦の飛んでくるなり椀の中

松本道宏

灯に映えてとろりたらりと初紅葉

たま四不像

枝先に百舌鳥高鳴きや青き空奥隅茅廣
庭先に老女の笑みと石蕗の花

志摩光月

アーケードにモカの香りや文化の日

舞岡柏葉

図書室に老若男女秋深し 飯塚武岳
   
   


■ 弘明寺抄(56)
平成26年11月7日
松本 道宏 
 

  十一月の名句は「霜柱俳句は切れ字ひびきけり 石田波郷」です。
  石田波郷は1913年(大正2年)3月18日正岡子規、高浜虚子を生んだ近代俳句発祥の地、愛媛県温泉郡垣生村(現松山市西垣生)に生まれました。
  本格的に俳句を始めたのは県立松山中学校(現松山東高校)4年の時で、同級生の中富正二(後の大友柳太朗)に勧められたことによります。
  俳号は「山眠」「二良」と名付け、中学5年の頃、同級生と「木耳(きくらげ)会」を起し、同村の村上霽月主宰の今出吟社に出入りし、俳句に励みました。       
  1930年、松山中学を卒業した波郷は自宅で農業をしながら近くに住む俳人、五十崎古郷の指導を受けました。波郷という俳号は古郷による命名です。古郷の勧めで秋桜子主催の「馬酔木」に投句、高屋窓秋らとともに流麗清新な叙情俳句の新風を開き秋桜子門の代表俳人となりました。1932年単身上京し「馬酔木」の事務を、後に編集を担当するようになりました。俳句以外の文芸の世界にも目を開き1934年4月明治大学に入学し、1935年第1句集「石田波郷句集」を刊行。1936年明治大学を中退し、久保田万太郎を慕って句作に専心。馬酔木新人会「馬」創刊に同人として加わり1937年「馬」「樹氷林」を合併し「鶴」を創刊し主宰となりました。1939年に「鶴の眼」を上梓しました。
  新興無季俳句運動の素材的・散文的傾向に同調せず、韻文精神に立脚した人間諷詠の道を辿り、中村草田男、加藤楸邨とともに人間探求派と呼ばれました。
  十一月の名句は 「海に出て木枯帰るところなし 山口誓子」
              「冬の日や臥して見あぐる琴の丈 野沢節子」
             「暗黒や関東平野に火事一つ 金子兜太」等です。

   

 
父が子に伝ふる笛や豊の秋

吉木つつじ

 芸の継承ほど難しいものはありません。豊年を祝う風習の一つとしての笛を父から子へ教えているのでしょうか。「豊の秋」が効いています。

どんぐりに目鼻を描きやじろべい

千草雨音

  どんぐりでやじろべいを作ったのでしょうか。ただそれだけですと淋し いので、どんぐりに目鼻を書き入れたというユーモアのある句です。

爺婆も晴れ着姿や七五三

野路風露

 孫の七五三を祝うために爺婆まで晴れ着姿となっている現代の風物詩が描かれています。

苛立ちを持て余しをり秋潮  

千草雨音

 人間苛立ちに苛まれるときがありますが、夏の賑わいの去った秋の潮に淋しさを感じ、苛立ちを持て余している心理的状態が表現されています。

アーケードにモカの香りや文化の日

舞岡柏葉

  皆さんご存知のように、昭和2年に明治天皇の威徳を偲ぶ祝日として明治節が制定され、昭和23年に文化の日が制定されましたが、アーケードにまでモカの香りが流れてモカの香りを楽しんでいる作者が描かれています。


 第127 句会  (2014年10月)            参加者:14名
■ 作 品
 
   
栗拾い先へ先へと目の走る 野路風露
←最高得点
皮を剥く音も初物青蜜柑  川瀬峙埜 
鵙日和小瓶のジャムを荷に足して 吉木つつじ
畏友病む色なき風に無事託す 舞岡柏葉
針穴に少しいびつなけふの月

夏陽きらら

城攻めの兵の血汐か曼珠沙華

境木権太

くつたくをさらりと流す秋の風

たま四不像

鶺鴒や銀の水面をすくい飛ぶ

福和来

大文字盃に汲みとる至福かな奥隅茅廣
遠回りして木犀の続く道

千草雨音

蕎麦の花下野の野はほの白し

浅木純生

異境界妖しく立てり曼珠沙華 飯塚武岳
釣瓶落しテールランプの列つづく 松本道宏
手を合わせ祈る足下曼珠沙華 柳風凡庸


■ 弘明寺抄(55)
平成26年10月7日
松本 道宏 
 

  十月の名句は 「曼珠沙華どれも腹出し秩父の子 金子兜太」です。
  金子兜太は1919年(大正8年)9月23日埼玉県比企郡小川町に元春・はるの長男として生まれました。当時外国にいた父親より「兜太」と命名されましたが、電報で連絡を受けた伯父が「藤太」と勘違いして出生届けを提出、後に戸籍を修正しています。そして2歳から4歳までは父の勤務地の上海で過ごしています。父は開業医で 「伊昔紅(いせきこう)」という俳号を持つ俳人でした。
  旧制熊谷中学、旧制水戸高学校文科乙類、東京帝国大学経済学部卒業。旧制高校在学中に全国学生俳誌「成層圏」に参加し、竹下しずの女、加藤楸邨、中村草田男の知遇を得ました。1941年「寒雷」に投句。1943年、大学を繰上げ卒業して日本銀行に入行、海軍経理学校の短期現役仕官として入校し、海軍主計中尉に任官しました。トラック島では200人の部下を率い、餓死者が相次ぐ中、奇跡的に2度命拾いをしました。1946年に最終復員船で帰国し、日本銀行に復職しましたが、在職中に労働組合の専従事務局長を務めた為、支店回りから「窓際族ではなく窓奥、一日2〜3回開けるだけの本店の金庫番」の仕事を定年まで勤めました。俳壇では「社会性のある俳句」を提唱。山本健吉と論争し、石田波郷、中村草田男と対立、松尾芭蕉でなく小林一茶を賞賛しています。1955年より日本ペンクラブ会員、1983年より現代俳句協会会長、1987年より朝日俳壇選者、2005年より日本芸術院会員、一ツ橋総合財団理事も務めています。
 十月の名句には 「あおあおと風船かずらともりけり 平井照敏」 
            「雁やのこりしものみな美しき 石田波郷」
            「秋の暮大魚の骨を海が引く 西東三鬼」
            「芋の露連山影を正しうす」 「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡子規」
                                                    等があります。

   

 
城攻めの塀の血潮か曼珠沙華

境木権太

 曼珠沙華の赤さが血の色という把握は常識的ですが、その血の色が城攻めのときに噴出した血とは素晴らしい把握です。

日蓮の衣かけたる松に露  

たま四不像

  日蓮は海が静まるようにと祈祷した時に掛けたという松、所謂 「袈裟掛けの松」 は現在はありませんが、故事にちなんだ句として頂きました。

針穴に少しいびつなけふの月  

夏陽きらら

 今年は生憎の無月でしたが、場所によっては雲間から満月が見えたそうです。針穴から今日の月を見た「少しいびつ」に臨場感があります。

何事を耳打ちするか秋の蚊よ

野路風露

 秋の蚊の羽音に悩まされることは屡あります。 蚊が何事かを耳打ちするかのように寄ってきた時の様子、「秋の蚊」の独特な声を詠んでいます。

お袋の丸き背中や秋刀魚焼く

境木権太

 秋刀魚を焼いている母親を詠まれていますが、「丸き背中」に母親の特徴がでており、哀れを誘う句です。


 第126回 句会  (2014年9月)
■ 作 品
 
   
手鏡に空のかけらや終戦日 吉木つつじ
←最高得点
納涼祭母は稲荷を三つ食べ 浅木純生 
逢ひたくて窓辺によれば盆の月 千草雨音
飛び込んで翡翠の色の波紋かな 境木権太
ほんのりと一隅照らす曼珠沙華

志摩光月

蜩や同窓会の返信す

野路風露

朝顔や深紫のブラックホール

飯塚武岳

プール券使わぬままに暦剥ぐ

長部新平

名なし虫生きよと放つ八月尽

村田一女

新築の壁がまぶしと蝉落つる

松本道宏

窓開けてきっぱりと知る今朝の秋

福和来

子供らと熱く語りし白鳥座 たま四不像
ポトス伸び葉先のしずく煌めきて 川瀬峙埜
遠花火遅れて音の届きけり 奥隅茅廣
ビーズ連ねミサンガを編む式部の実 舞岡柏葉
手をつなぐ母と幼子同浴衣 柳風凡庸


■ 弘明寺抄(54)
平成26年9月7日
松本 道宏 
 

 九月の名句は「糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな 正岡子規」です。
 正岡子規については皆さんよくご存知なので基本的なことのみ記します。1867年(慶応3年)10月14日伊予国温泉群藤原新町に生まれた子規は、1902年9月19日東京市下谷区上根岸にて満34歳の若さで亡くなりました。名は常規。幼名処之助(ところのすけ)、後に升(のぼる)と改めました。
 俳号の子規はホトトギスの異称で、結核を病み喀血した自分自身を、血を吐くまで鳴くと言われるホトトギスに例えたものであります。
 正岡子規は明治時代を代表する文学者の一人で、日本の近代文学に多大な影響を及ぼしました。死を迎えるまでの約7年間は結核を患っていました。最終学歴は帝国大学国文科中退です。秋山真之とは愛媛一中、共立学校で同級。夏目漱石・南方熊楠・山田美妙とは東大予備門で同窓です。
 1892年(明治25年)に新聞「日本」の記者となり、翌年から「獺祭書屋俳話」を連載、俳句の革新運動を開始しました。日清戦争が勃発した翌年の明治28年4月に近衛師団つきの従軍記者として遼東半島に渡ったものの、上陸した2日後に下関条約が調印されたため、同年5月、第2軍兵站部軍医部長の森林太郎(鴎外)等に挨拶し、帰途に付いた船の中で喀血して重態に陥り、神戸病院に入院し、7月須磨保養院で療養した後松山に帰郷しました。1897年(明治30年)に俳句雑誌『ホトトギス』を創刊し、俳句の世界に大きく貢献しました。
子規と野球、子規全集事件、短歌、などについては説明を略します。 
 九月の名句には 「鶏頭を三尺離れもの思ふ 細見綾子」
 「秋風や模様の違ふ皿二つ」 「をりとりてはらりとおもきすすきかな 飯田蛇笏」等があります。

 
退院の静かにつかふ秋扇

吉木つつじ

 退院の日に使う秋扇なのでもっと嬉しそうに使えばと思うのですが、ご本人は回りをはばかって静かに使っていたのでしょう。「静かにつかふ」が大変良いです。

納涼祭母は稲荷を三つ食べ 

浅木純生

  納涼祭の世話役をしている母であろうか。勇んで出て行く母が稲荷鮨を3個も食べていつたというユーモラスな句です。

手鏡に空のかけらや終戦日 

吉木つつじ

 何かの都合で使っていた手鏡に炎天の空の青さを捕らえたのでしょう。一瞬に写った空のかけらにあの終戦の日の空を見たのでした。

ほんのりと一隅照す曼珠沙華 

志摩光月

 庭の片隅に曼珠沙華が咲いていたのを発見した作者は「曼珠沙華が一隅を照らしている」と感じたのでしょう。「ほんのりと」に発見があります。

ビーズ連ねミサンガを編む式部の実 

舞岡柏葉

 ビーズを使ってミサンガを編むことと配合の紫式部の実とは何の関係もありませんが、この季語が実によくあっています。

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 第125回 句会  (2014年8月)
■ 作 品
 
   
泳ぎ子の光まとひて水を出づ 吉木つつじ
←最高得点
頭突き蹴り張り手げんこつ昼寝の子 松本道宏 
白桃の赤子の肌や匂い立つ 境木権太
青柿や古稀近づくもまだ青し 千草雨音
抜け出して羽伸びのびと油蝉

奥隅茅廣

焼き茄子のつゆだくだくと飯を食う

浅木純生

朝顔や咲いて萎んで無にかえり

飯塚武岳

ふるさとに「帰る」のメール大暑来ぬ

長部新平

桶に沿ひて下りうなぎのうの字かな

舞岡柏葉

朝響く歓声に知る夏休み

福和来

紫蘇繁る畑の先に母の影

志摩光月

ガブリでツーンこめかみ押さえるかき氷 柳風凡庸


■ 弘明寺抄(53)
平成26年8月7日
松本 道宏 
 

 八月の名句は「冷やされて牛の貫禄しづかなり 秋元不死男」です。
秋元不死男は神奈川県横浜市生。1929年横浜海上火災保険に入社してきて同僚の嶋田的浦と懇意になり、的浦の兄嶋田青峰の主宰する『土上』への投稿を促され、 それをきっかけに俳句の世界に入りました。その後、『土上』を代表する俳人に成長。1934年に新興俳句運動に加わり、1940年西東三鬼らと『天香』を創刊するも1941年治安維持法違反の嫌疑で検挙されて1943年2月に釈放されるまで獄中にありました。俳号の東京三は「京三東」(きょうさんとう)と読めます。1946年新俳句人連盟の創立に関わり幹事長に、1947年現代俳句協会創立会員(のち幹事長)、俳号を秋元不死男と改め、1948年山口誓子『天狼』創刊に参加。翌年天狼の東京句会を中心にして『氷海』を創刊。1961年現代俳句協会を脱退し俳人協会設立に参加、また1956年横浜俳話会を発足させました。1968年句集『万座』で第2回蛇笏賞を受賞。 オポチュニストと見る向きもありますが、晩年は飄逸な句風となり「鳥わたるこきこきこきと缶切れば」など有名な句が沢山あります。享年76歳。忌日は「甘露忌」と呼ばれています。 八月の名句は「朝顔の紺のかなたの月日かな 石田波郷」「乳母車夏の怒涛に横向きに 橋本多佳子」「炎天の遠き帆や我がこころの帆 山口誓子」「炎天より僧ひとり乗り岐阜羽島 森澄雄」等があります。

 
包丁を無骨にさばき沖膾 

吉木つつじ

 沖でとった魚を、そのまま釣船の上で料理して食べることを沖膾と言 いますが、「無骨にさばき」に釣愛好家の姿が見えます。

紫蘇繁る畑の先に母の影  

志摩光月

  紫蘇が大変繁っている畑の先に幻の母を見たのでしょうか。「母の影」 に作者の思いが感じられます。

白桃の赤子の肌や匂い立つ 

境木権太

 赤子の肌が白桃の肌に似ているという類句は沢山ありますが、「匂い立つ」に新鮮さがあります。

裸子はころころ笑ひ逃げ回る

千草雨音

 汗をかいたので肌着を変えるために裸にさせられた子供は、裸になったのが嬉しくて裸のまま逃げ回っています。裸子の生態が詠まれています。

海の日や波の調べは子守唄 

千草雨音

 海の日に特別な思いを持っている方の句でしょうか。波の調べが子守唄に感じた思いもさることながら 「海の日」の季語が大変良く効いています。



 第124回 句会  (2014年7月)
■ 作 品
 
   
朝顔の先陣競う蔓の先 飯塚武岳
←最高得点
あめんぼの遊びつくせし水一枚 吉木つつじ 
香焚けば煙とどめる梅雨湿り 福和来
てらてらと水面脈打つ薄暑かな 夏陽きらら
病む妻と十薬の花眺めおり

境木権太

引く波の後ろ向きなり薄暑光

松本道宏

おしめりや柿の花散る王禅寺

千草雨音

羽音聞き寝惚けて取り出す蚊取りかな

柳風凡庸

紫陽花や心変わりが色に出て

浅木純生

鮎を負う釣り師膝まで川の中

舞岡柏葉

山百合の白き姿や遠き君

野路風露

落下する滝に自然の節理かな 奥隅茅廣


■ 弘明寺抄(52)
平成26年7月7日
松本 道宏 
 

 七月の名句は「七月の青嶺まじかく溶鉱炉 山口誓子」です。
 誓子は京都市生れ。京都府立一中を経て第三高等学校へ進み「京大三高俳句会」へ入会。その時学友であった日野草城の誘いで「ホトトギス」へ投句し、1922年高浜虚子と出会い師事しました。同年東京帝大法学部に入学した誓子は「東大俳句会」に参加し、水原秋桜子に出会いました。やがて「ホトトギス」雑詠欄で注目を浴び始めた誓子は浅井波津女と結婚した翌年の1929年に「ホトトギス」の同人となり、その後、水原秋 桜子や高野素十、阿波野青畝と共に「四S」の一人として全盛期を築きました。1932年第一句集『凍港』を刊行。1935年『黄旗』を刊行して「ホトトギス」を離れ、『馬酔木』の同人に参加し秋桜子とともに新興俳句運動の中心的存在となりました。戦後は桑原武夫の「第二芸術論」に反発し、1948年西東三鬼らと共に『天狼』を創刊。廃れかかっていた伝統俳句の戦後勃興に寄与しました。1957年より朝日俳壇の選者を務め、1987年芸術院賞を受賞。1992年に文化功労賞を受けました。死後、誓子の遺産は神戸大学に寄贈され、誓子が住んでいた屋敷は阪神大震災で倒壊しましたが、屋敷は神戸大学文理農学部キャンパス内に再現されて山口誓子記念館として公開されています。晩年は自身の俳句は芭蕉を継承するものとして写生、取り合わせ、客観写生を説きました。本名山口新比古(ちかひこ)。1994年92歳で死去。
 七月の名句は 「七夕や宿命の文字隠れなし 石田波郷」「愛されずして沖遠く泳ぐなり 藤田湘子」 「塩田に百日筋目つけ通し 沢木欣一」等があります。

 
てらてらと水面脈打つ薄暑かな 

夏陽きらら

 薄暑が水面に脈打つとは素晴らしい感覚です。「てらてら」に脈打つ様が表現されています。

朝顔の先陣競う蔓の先  

飯塚武岳

 常識的な句ではありますが、「先陣を競う」に作者の鑑賞眼があります。

笹の葉に短冊飾る親子かな 

野路風露

七夕の行事が素直に詠まれています。「親子かな」が効いています。

紫陽花や心変わりが色に出て 

浅木純生

 紫陽花の七色の変化を恋人の心の移り変わりに掛けて詠まれている句です。中々面白い心の変化が詠まれています。

空蝉のささやき合へる夜の底 

吉木つつじ

空蝉がささやき合うことはありませんが、「ささやき合う」と感じ取った「夜の底」が効いています。



 第123回 句会  (2014年6月)
■ 作 品
 
   
カナヘビは筆箱の中九九を聞く 松本道宏
←最高得点
麦秋やローカル線の一人旅 千草雨音 
幼児の目泳がせる苺狩り 舞岡柏葉
もてなしの指美しき葛桜 浅木純生
無重力ゆらりふわりと蛍かな

奥隅茅廣

烏帽子岩卯波の中に浮き沈み

飯塚武岳

夕されば月になりたき水母かな

吉木つつじ

散り急ぐバラの花びら手に包む

境木権太

我が姿母の姿や半夏生

野路風露

葉柳や青々と揺れ人誘ふ

長部新平

道くねり青葉の闇がさわさわと

村田一女

色かさね若葉の輝き風を描く 東酔水


■ 弘明寺抄(51)
平成26年6月7日
松本 道宏 
 

 六月の名句は 「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの  池田澄子」 です。
 池田澄子は生活の周辺をややアイロニカルに眺めた口語的俳句を得意としています。神奈川県鎌倉市に生まれ、父の出征のため父の郷里である新潟県村上市に疎開、俳句を始めた時期は遅く、たまたま目にした阿部完市の俳句に驚いて興味を持ち1975年に堀井鶏主宰の「群島」に入会、1983年より三橋敏雄に師事し「檣の会」に入会、同年「未定」に参加。1995年「豈」に参加。2006年句集『たましいの話』で第7回宗左近俳句大賞を受賞。その他句集には『いつしか人に生まれて』『ゆく舟』『拝復』やエッセイ集『あさがや草紙』、評論集『休むに似たり』等があります。「青嵐神社があったので拝む」の句もあります。
 六月の名句は「六月を綺麗な風の吹くことよ 正岡子規」 「いきかはり死にかはりして打つ田かな」 「?瑰や今も沖には未来あり 中村草田男」 「分け入ってもわけ入っても青い山 種田山頭火」   「非常口に緑の男いつも逃げ 田川飛旅子」など沢山あります。

 
幼児の目を泳がせる苺狩り 

舞岡柏葉

 ビニールハウスの中で育てられた苺がなんと美味しいことか。苺狩りで大人さえも苺に目を奪われているのに幼児はなおさらです。
 「泳がせ」の表現が素晴らしく、決まっています。

我が姿母の姿や半夏生 

野路風露

  「自分の姿は母の姿に大変似ている」といふ格言みたいな言葉にぴったりな季語で意外と「半夏生」を配合として使用している句が多いです。
 季語「半夏生」の意味は歳時記を見て下さい。

烏帽子岩卯波の中に浮き沈み 

飯塚武岳

 卯波は走り梅雨のころ荒南風と呼ばれる風によって立つ風波のことですが、卯波だからこそ烏帽子岩の浮き沈みする変化が見られます。

亀の子の歩みをまねる園児かな

飯塚武岳

 人間にしろ動物にしろ赤ちゃんは可愛いものです。あの子亀の歩き方を見て園児が真似るというユーモラスな風景が詠まれています。

散り急ぐバラの花びら手に包む 

境木権太

 薔薇の花びらが散るときその花びらを手で包むようにして薔薇をたたえた句が詠まれています。


 第16回 吟行句会  2014年5月22日(木)                横浜港 大さん橋、象の鼻
■ 作 品
 
   
木もれ日は初夏の色夢の色 夏陽きらら
←最高得点
青空に汽笛の踊る聖五月 松本道宏 
百年の赤き倉庫や風薫る 野路風露
覇を競う横浜三塔雲の峰 境木権太
木の道の足裏にやさし五月晴れ

吉木つつじ

風薫る明治を偲ぶ象の鼻

飯塚武岳

夏の日やステンドグラスの蒸気船

大野たかし

翼立て鴎の乗りし春の波

土屋百瀬

風薫る大さん橋でコンサート

東酔水

留守宅の守宮を想う大さん橋

森かつら

 

 

                 

 


 第122回 句会  (2014年5月)
■ 作 品
 
   
反戦歌なきメーデーの肩車 舞岡柏葉
←最高得点
人見知り始まりし子や柿若葉 千草雨音 
大空の光となりて鶴帰る 吉木つつじ
葉に残る青春の味桜餅 境木権太
芝桜の一面の赤異空間

志摩光月

春風や近ごろ多き物忘れ

浅木純生

亀鳴くやSTAP細胞謎解けず

松本道宏

パンジーのはみ出す鉢に春の雨

川瀬峙埜

春スキー息止めて見る五竜岳

たま四不像

ランドセルかたこと鳴らす新入生

飯塚武岳

朝霧の木立透かして十二単

東酔水

  


■ 弘明寺抄(50)
平成26年5月7日
松本 道宏 
 

 五月の名句は「摩天楼より新緑がパセリほど  鷹羽狩行」です。
 俳句は高校生時代より始め1948年山口誓子の「天狼」に入会、俳号は本名高橋行男をもとに山口誓子が名づけたものです。1954年秋元不死男の「氷海」同人、1960年「天狼」の同人、1965年第一句集『誕生』で俳人協会賞、1974年句集『平遠』で芸術選奨新人賞受賞、1976年より毎日俳壇選者、1978年より俳誌「狩」を主宰。2002年「翼灯集」「十三星」で毎日芸術賞受賞。2008年「十五峰」で詩歌文学館賞受賞、飯田蛇笏賞受賞。現在俳人協会会長、日本文芸家協会理事。誓子の即物的な作風に独自の乾いた叙情性を加えて現代社会を描き続けています。昭和5年10月5日生。
 その他、五月の名句に「若狭には仏多くて蒸鰈 森澄雄」「初蝶や吾三十の袖袂 石田波郷」「葉桜の中の無数の空さわぐ 篠原梵」「祝辞には未来のことや植樹祭 田川飛旅子」「ぜんまいののの字ばかりの寂光土 川端茅舎」「花あれば西行の日とおもふべし 角川源義」など沢山あります。

 
ねむり草眠らせたまま立ち去りぬ

千草雨音

 路上に咲いていたねむり草の葉に触れてそのまま立ち去ったのでしょう。ねむり草はたちまち葉を閉じて垂れ下がったというなんでもない光景ですが、「眠らせたまま」に詩があります。三橋鷹女の句に「ねむり草眠らせてゐてやるせなし」があります。

グランドの埃踊らせ春疾風 

舞岡柏葉

 春になって疾風がグランドいつぱいに吹まくった時の状況が的確に詠まれています。「埃踊らせ」に臨場感があります。

人見知り始まりし子や柿若葉 

千草雨音

 赤ちゃんが誕生して4ケ月を過ぎますと人見知りが始まります。子供の生態が的確に詠まれています。季語の「柿若葉」がよく効いています。

反戦歌なきメーデーの肩車 

舞岡柏葉

 五月一日は労働者の団結のための祭典ですが、昔はメーデーというと反戦歌を歌って行進したものです。子供を肩車に乗せての行進は同じですが。沢山あるメーデーの句の中に「肩車してメーデーを子に贈る」があります。

芝桜の一面の赤異空間  

志摩光月

 芝桜の名所は全国に沢山あります。芝桜が一面に咲き誇る赤色は確かに異空間の感を深くしますし、芝桜を見た時の作者の驚きが詠まれています。


 第121回 句会  (2014年4月)
■ 作 品
 
   
蛇出でて舌するすると風さぐる 吉木つつじ
←最高得点
大股に歩く地球や青き踏む 松本道宏 
齢重ね四季の速さや初つばめ 舞岡柏葉
遠き日のフォークソングやミモザ咲く 野路風露
散りてなお淵を彩る桜かな

浅木純生

春雨や甲州街道朽ち仏

たま四不像

ネクタイの締め方習う新入生

長部新平

遠山に白き斑点山桜

境木権太

縄のれん連れ立ちて去る春の闇

奥隅茅廣

いかなご煮曲がる姿を箸に取り

川瀬峙埜

パン屑に雀が踊る春うらら

飯塚武岳

芽柳の揺れを目で追ふ赤子かな千草雨音
春の日が幽かに揺らぐ山の寺村田一女
日が暮れてひときは輝く花辛夷志摩光月


■ 弘明寺抄(49)
平成26年4月7日
松本 道宏 
 

 四月の名句は 「咲き満ちてこぼるる花もなかりけり 高浜虚子」 です。
 高浜虚子はご存知の通り旧松山藩士・池内政忠の五男として生まれ、九歳のときに祖母の実家高浜家を継ぎました。明治21年に伊予尋常中学(現在の愛媛県立松山東高校)に入学、一歳年上の河東碧梧桐と同級になり、碧梧桐を介して正岡子規に兄事し、明治24年に子規より虚子の号を授っています。虚子には俳誌「ホトトギス」に関する他に、数多くのエピソードがありますが紙面の関係で省略します。昭和29年文化勲章を受章。昭和34年85歳で永眠。墓は鎌倉の寿福寺に在ります。戒名は虚子庵高吟椿寿居士。生涯に2万句をこえる俳句を詠んでいて、有名な「白牡丹といふといへども紅ほのか」の句もあります。 
 
その他、四月の名句は   
       「空をゆく一とかたまりの花吹雪   高野素十」
       「ちるさくら海あをければ海へちる  高屋窓秋」
       「花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ   杉田久女」
       「遠足の列大丸の中とおる     田川飛旅子」
       「
鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし    三橋鷹女」
       「恋猫の恋する猫で押し通す     永田耕衣」   
など沢山あります。

 
点滴の支柱と歩く日永かな

吉木つつじ

 近年は点滴をしながら病院内を歩いている方をよく見かけますが、この中七の「支柱と歩く」に発見があります。しかも季語の「日永」に納得をしま した。俳句を詠む人でないと「日永」が詠めません。

パン屑に雀が踊る春うらら 

飯塚武岳

  パン屑に群がっている雀を踊っていると見たところに「春うらら」の感じが良く出ています。

紙風船頬ふくらませ吹く童 

千草雨音

 なんでもない句ですが、紙風船を膨らませている童の仕草が眼に見えるようです。色とりどりの紙を張り合わせた風船に息を吹き込んで膨らませる童の口元に焦点を絞り詠んでいます。

春光に乗りて郵便バイク来る 

吉木つつじ

 郵便配達のバイクが春光に乗って来るという春の明るい様子が詠まれています。あたたかく柔かい感じの春の景色が詠まれ良い知らせが届きそうです。

ネクタイの締め方習う新入生 

長部新平

 このようなことも俳句に詠まれますと新鮮に感じられるから不思議です。
 ネクタイの締め方を習うのは同じ新入生でも私立の高校生であって小学生ではないと思いましたが。

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 第120回 句会  (2014年3月)
■ 作 品
 
   
たこ焼きをくるりと返し寒明くる 吉木つつじ
←最高得点
湧水の砂揺るがせて風光る 千草雨音 
瀬戸の海小島膨らむ梅日和 境木権太
ゆれやまぬ天秤秤春苺 たま四不像
校庭に子等の歓声初燕

飯塚武岳

草萌える三角ベースの空地にも

松本道宏

幼児の一人二役節分会

舞岡柏葉

春泥や新調の靴跳び越える

野路風露

雪明りくれないいろの梅の道

東酔水

招かざる白き使者あり春遠し

奥隅茅廣

逝く友のこと伝え聞く春の雨

浅木純生

堅雪や石庭のごと姿見せ長部新平


■ 弘明寺抄(48)
平成26年3月7日
松本 道宏 
 

  三月の名句は 「いきいきと三月生まる雲の奥  飯田龍太」ですが、飯田龍太はすでに1月に取り上げましたので、ここでは一般に良く知られている「三月や甘納豆のうふふふふ  坪内捻典」の句を取り上げます。坪内捻典は十二ヶ月に亘って毎月甘納豆の句を作っていますし「たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ」という面白い句もあります。高校時代から作句をはじめ、正岡子規、夏目漱石の研究家として知られています。2001年に第7回中新田俳句大賞、スウェーデン賞、2010年に桑原武夫学芸賞を受賞しています。現代俳句の代表作家の一人で、現在仏教大学教授、京都教育大学名誉教授です。
  その他、三月の名句に
                「三月やモナリザを売る石畳  秋元不死男」
                「雉の目のかうかうとして売られけ  加藤楸邨」
                「落椿われならば急流へ落つ  鷹羽狩行」
                「ぜんまいののの字ばかりの寂光土  川端茅舎」
               「外にも出よ触るるばかりに春の月  中村汀女」
  など沢山あります。
                               

 
護摩の火の風に吹き散る厄落とし

吉木つつじ

  節分の夜、厄年の人が氏神にお参りすることを厄落としといいますが、焚いている護摩の火が風に吹かれて飛び散るさまは印象深いものがあります。もう厄が落ちたような気分になります。

湧水の砂揺るがせて風光る 

千草雨音

   例えば忍野八海などの湧水を見ていますと、富士の伏流水が砂を揺るがせて湧いている様子が見られます。風光る三月の躍動感が詠われています。

校庭に子等の歓声初燕

飯塚武岳

  初燕を見た生徒たちが歓声を上げている様子がよく分かります。非常に単純な句ですが同感するものがあります。

瀬戸の海小島膨らむ梅日和

境木権太

  瀬戸内海の小島が梅日和の日に膨らんで見えたという感覚は実に俳句的な把握で、素晴らしいものがあります。この感覚を育てていきたいと思います。

図書室のムンクの叫び春寒し

飯塚武岳

  静かな図書室に大声を出して叫んでいる子供を「ムンクの叫び」と詠んだのでしょうか。把握に意外性があります。

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 第119回 句会  (2014年2月)
■ 作 品
 
   
らふばいや折り目正しき母の客 吉木つつじ
←最高得点
あたたかき席をどうぞと猫の去る たま四不像 
風花や仏のみ手にそっと降り 飯塚武岳
初旅に富士の高さを祝いけり 境木権太
人波のまゆ玉揺らす浅草寺

舞岡柏葉

孫といふ熱き体や竜の玉

松本道宏

着ぶくれて幼子のよう母の笑み

長部新平

湯たんぽに眠りを誘うぬくみかな

奥隅茅廣

仕舞い風呂あかぎれの手を愛おしむ

千草雨音

切炭のじわじわ温し茶の湯かな

東酔水

湯豆腐の酔えば口つく故郷自慢

木村桃風

  


■ 弘明寺抄(47)
平成26年2月7日
松本 道宏 
 

 二月の名句は 「寒雷やびりりびりりと真夜の玻璃  加藤楸邨」 です。
 この句は1938年に作られた加藤楸邨の代表句です。描かれている景より作者と夜との関わりあいの感覚面が伝わって来ます。 暗い青春を送りつつあったひとりの俳人の孤寥の影の見える重たい句です。 句集 『寒雷』の悼尾を飾る一句で、「寒雷」は楸邨の造語ですが普遍化して遂に季語として定着しました。
 その他、二月の名句に
     「鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる 加藤楸邨」
     「いくたびも雪の深さを尋ねけり 正岡子規」
     「降る雪や明治は遠くなりにけり 中村草田男」
     「学問の寂しさに耐え炭を継ぐ 山口誓子」
     「冬蜂の死にどころなく歩きけり 村上鬼城」
     「天地の息合ひて激し雪降らす 野沢節子」
   など沢山あります。

               

 

天神の鈴なり絵馬の淑気かな

舞岡柏葉

  受験期に天神様にお願いしている合格祈願の絵馬があふれていたのでしょう。鈴なりの絵馬を見た作者は、そこに新年のめでたく荘厳な気が漂っていると感じたのでした。大変上手に詠まれています。

ぐいぐいと引く寒の紅初デート

たま四不像

   女の人は誰にでも経験のあることでしょうが、「ぐいぐいと引く」に初デートのときの気持ちの高揚が伝ってきます。また寒紅は口中の病に効能があるとも言われています。

ろふばいや折り目正しき母の客

吉木つつじ

  具体的には何も言っていませんが、お母さんの友達、即ち、昔の人の折り目正しい仕草、姿が詠まれています。
  配合の「蝋梅」が良く効いています。

初旅に富士の高さを祝いけり 

境木権太

  世界遺産に登録された富士山は何かに付け話題となっています。今年初めての旅に出たとき、富士山の美しさに接し、3,776メートルの富士山の高さを祝う気持ちになったのでしょう。「初旅」が良く効いています

冬晴や亀十匹の甲羅干

たま四不像

  天気の良い日に池の中の岩場で甲羅を干している亀を良く見かけます。
  日常なんでもない光景ですが、沢山の甲羅干をしている亀を「亀十匹」と詠んだところに納得しました。


 第118回 句会  (2014年1月)
■ 作 品
 
   
濁世刺す冬三日月の刃先かな 境木権太
←最高得点
乾鮭の空っぽの腹風孕む 舞岡柏葉
←最高得点
きかん気のままの寝顔やクリスマス 千草雨音
異次元の世界現る霜柱 野路風露
笹鳴きや障子にうつる水明かり

吉木つつじ

白銀の襞刻み込み富士孤高

奥隅茅廣

枯庭に極まれる色実千両

菊地智

冬銀河ぐらりと揺らぎ坂滑る

松本道宏

円窓に雪景おさめ手酌酒

飯塚武岳

冬薔薇とワイングラスで乾杯す

東酔水

毒のない噂話に福雑炊

浅木純生

早出して見るや輝く霜柱

川瀬峙埜

子等帰り妻と寛ぐお正月

志摩光月


■ 弘明寺抄(46)
平成26年1月7日
松本 道宏 
 

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。  
 今月から一年に亘って各月の名句を採り上げて簡単に解説します。
 1月の名句は 「一月の川一月の谷の中  飯田龍太」です。
 この句は1969年に作られた飯田龍太の代表句です。隠し絵のように国名(国の姿かたち)が読み込まれており対句になっています。龍太の句には心の優しさに裏打ちされた品格の高さがあります。ご存知のように龍太は飯田蛇笏の四男で兄たちが次々と亡くなり、1962年に父の蛇笏が死去。300年続く大庄屋の家督を、そして父の俳誌『雲母』も引継ぎました。郷里山梨では、やまなし文学賞や山梨県立文学館の創設、山梨日日新聞の文芸欄の選者なども務めました。『雲母』は1992年900号目で廃刊しました。龍太は2007年2月25日に肺炎のために死去。(享年86歳)この句は第六句集『山の木』に所収されています。  
 その他、一月の名句に「元旦や手を洗ひをる夕ごころ 芥川龍之介」「姫はじめ闇美しといひにけり 矢島渚男」「竹馬やいろはにほへとちりぢりに 久保田万太郎」「もののみな東に向きて大旦 鷹羽狩行」など沢山あります。

               

 

美しき電飾の中社会鍋

浅木純生

  電飾のきらびやかな街頭で鉄鍋を吊ってその中へ喜捨を呼びかけている風景が詠まれています。「社会鍋」はキリスト教救世軍等の歳末行事ですが、 美しき電飾の中の「社会鍋」に訴えるものがあります。

きかん気のままの寝顔やクリスマス

千草雨音

  楽しみにしていたクリスマスも夜更けてすでに子供たちは寝入ってしまい、その寝顔を見ている親御さんの感慨が詠まれています。「きかん気のままの寝顔」が良いです。

幼児のごっこ遊びや冬籠

千草雨音

 ごっこ遊びも冬は寒さを避けて屋外でなく屋内で行われることが多く、「冬籠」がよく効いています。

自爆テロニュースのつづく湯ざめかな 

吉木つつじ

 昨年末カブール・ナイジェリア・ロシアと自爆テロが続いて起きています。テレビのニュースを見ている作者の気持ちが「湯冷め」に出ています。

買出しの足をやすめて浜千鳥 

東酔水

 買出しで重たい荷物を持ち歩き、ふと浜千鳥を見て気を休めている作者が詠われています。浜千鳥は鳴き声が哀れとして冬の季語になっています。