2017年

2017年12月 第165回さわやかネット句会 作品 特選句短評  
2017年11月 第164回さわやかネット句会 作品 特選句短評  
2017年10月 第21回吟行句会 作品   
2017年10月 第163回さわやかネット句会 作品 特選句短評  
2017年9月 第162回さわやかネット句会 作品 特選句短評  
2017年8月 第161回さわやかネット句会 作品 特選句短評  
2017年7月 第160回さわやかネット句会 作品 特選句短評 句会管見(7)
2017年6月 第159回さわやかネット句会 作品 特選句短評 句会管見(6)
2017年5月 第20回吟行句会 作品   
2017年5月 第158回さわやかネット句会 作品 特選句短評 句会管見(5)
2017年4月 第157回さわやかネット句会 作品 特選句短評 句会管見(4)
2017年3月 第156回さわやかネット句会 作品 特選句短評 句会管見(3)
2017年2月 第155回さわやかネット句会 作品 特選句短評 句会管見(2)
2017年1月 第154回さわやかネット句会 作品 特選句短評 句会管見(1)

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第165回さわやかネット句会  (2017年12月)                  参加者:9名

 
 

■ 作 品

楽焼の鉢に風呂吹き鎮座せり       舞岡 柏葉    ← 最高得点
笑み零(こぼ)る遺影の母に小春かな  名瀬庵雲水
茶の花や古今の歌碑をたどる路     翁山 歩存
山茶花や苦言呈しつ目には笑み     千草 雨音
さまよひてマグリットの空冬暮れる     真野 愚雪
日向ぼこ庭の雀のかまびすし       志摩 光月
手に取りて捨てるに惜しき柿落ち葉    境木 権太
自慢げに薄く皮むき柿吊るす       小正 日向
宮参り境内飾る冬紅葉           飯塚 武岳

   

第165回インターネット句会特選句短評  
 

笑み零(こぼ)る遺影の母に小春かな(名瀬庵雲水) 
(境木権太)柔らかな小春日和が差し込む部屋で、微笑む母の遺影に手を合わせる作者の優しい気持ちが伝わってきます。

柿簾朱(あか)きまわしや鬼瓦(翁山歩存)
(千草雨音)どっしりとした鬼瓦の屋根の家の軒下いっぱいに干し柿が吊るされている景が目に浮かびます。鬼瓦とまわしに見立てた柿簾も取り合わせがユーモラスです。

茶の花や古今の歌碑をたどる路(翁山歩存)
(名瀬庵雲水)詩的であり、語句の並びが良いと思います。私としては、「 たどる路 」を 「 たどる道 」か 「 たどる旅 」にしたいと思います。

楽焼の鉢に風呂吹き鎮座せり(舞岡柏葉)
(飯塚武岳)自分で焼いた鉢であろうか?そこに風呂吹き大根がどっかと鎮座している。何か親しみとおかしみのある楽しい句である。
(翁山歩存)情景描写が上手く出来ていて、俳句の主体となるものがしっかりしていると思う。

懐手もつれの元をただすとや(名瀬庵雲水)                   
(真野愚雪)どこかつかみどころがないところにおかし味があります。「懐手」という季語にとぼけた温かさを感じますね。

手拍子を受ける熊手や酉の市(翁山歩存)
(小正日向)あちこちで手拍子が聞こえる、賑やかな酉の市での様子が目に浮かび、思わず笑顔になる句だと思いました。

少年の顔になる日や七五三(舞岡柏葉)
(志摩光月)五歳になったお孫さんのちょっと緊張して大人びた顔が浮かびます。

 

第164回さわやかネット句会  (2017年11月)                  参加者:16名

 
 

■ 作 品

角切や抵(あらが)ふ鹿の猛き貌(かほ)   舞岡柏葉   ← 最高得点
やや寒や今朝の仁王の怒り肩         境木権太
口を開け鳥たち誘うアケビかな        小正日向
台風禍泣いて笑って総選挙          飯塚武岳
秋服を程よく褒めて和睦かな         名瀬庵雲水
夕暮れに眼に沁む尾灯冬近し         川瀬峙埜
初時雨手術室ある日本丸           千草雨音
子らの声響きわたりし秋日和         石  敬
独り居の午後秋日和(あきびより)歌もなし  真野愚雪
鬼やんま阿吽の鼻にとまり降り        森かつら
吾亦紅霧のなかから話しかけ         野路風露
遥かまで野菊溢るる聖不動          ただの凡庸
地に落ちし蟷螂卵嚢蟻の群れ         翁山歩存



第164回インターネット句会特選句短評  
 

やや寒や今朝の仁王の怒り肩(境木権太)
(ただの凡庸)寒くなってきた。仁王様も肩をすくめている。怒り肩は上手な表現だと思う。

角切や抵(あがら)ふ鹿の猛き貌(かほ)(舞岡柏葉)
(千草天音)奈良春日大社の角切を詠まれた句であろう。抵ふ鹿の猛き貌が目に浮かびます。
(飯塚武岳)角を切らせまいと抗う鹿の必死な形相が目に浮かぶようです。        
(翁山歩存)一度、奈良の鹿狩りを見たことがありますが、雰囲気がよく 出ていると思いました。


秋時雨野仏の目に涙かな(境木権太)
(石  敬)先日の吟行会での景色を読まれたものと察します。あの日も朝から秋雨に濡れた子をやさしく抱く仏の像がありました。

木枯らしに慌てて探す毛糸帽 (川瀬峙埜) 
(小正日向)急に寒くなって慌てている様子が目に見えるようで、寒さが伝わってくる句だと思いました。

風の手を借りて盛んや夕蘆火(舞岡柏葉)
(名瀬庵雲水) 蘆の刈り取りが、夕方までかかってしまった。晩秋から初冬の蘆刈りは重労働。風の中、暖をとるための 「 蘆火 」を焚いて互いに労らっている様子が目に浮かびます。
(境木権太)琵琶湖畔の蘆焼きで消火。秋風に煽られて勢いよく燃え上がる様子を「風の手を借りて」と表現。また、季語の「蘆火」を御添えてもらいました。

台風禍泣いて笑って総選挙(飯塚武岳)
(森かつら)タイムリーな一句です。

腹見せてボートの昼寝冬隣 (舞岡柏葉)
(川瀬峙埜)シーズンを終えて片付けされて並んでいるボートが昼寝しているようだと表現された事が、のんびりした冬を前にしたわずかな秋日和にぴったりです。
 
初時雨手術室ある日本丸 (千草雨音)
(真野愚雪)忘れられた時間の中に眠る日本丸が、手術室という生なましいイメージに照らされて、現実の死生の姿を浮かび上がらせました。


第21回吟行句会  平成29年年10月20日(金)  10時〜16時
             場所 金沢文庫 称名寺  参加者:14名

 
 

■ 作 品

濡れそぼつ茅葺き屋根に冬近し 浅木純生   ← 最高得点
苔まとふ野仏の笑み野路の秋  舞岡柏葉   ← 最高得点
行く秋や浄土の池に鯉群れて   飯塚武岳
山の端に実時想う薄紅葉      ただの凡庸
石塔に苔むす歴史秋寒し     川瀬峙埜
荒夷秋草深く苔の墓         真野愚雪 
色つかぬ楓の故事や称名寺   千草雨音
鳥を追う猫の背中に秋の雨    大野たかし
秋寒や吾子を抱きて観音像    銀の道
初時雨唇赤き釈迦如来       境木権太
水鳥の揺らす黄葉阿字ヶ池    遊戯好楽
水面に映る丸橋秋高し       土屋百瀬
銀杏を踏みて向いし時実墓    石敬
静寂にはめ込まれたる秋の庭  たま四不像

 

第163回さわやかネット句会  (2017年10月)                  参加者:16名

 
 

■ 作 品

介護士の訪(おと)なう家や秋すだれ   舞岡柏葉    ← 最高得点
澄む秋や入江出島の旧き地図      名瀬庵雲水 
停車場に首長くして彼岸花         境木権太
つきぬけて青空に立つ曼殊沙華     ただの凡庸
無駄のない点前の作法吾亦紅      千草雨音
長き夜や異国の友へメール打つ     石 敬
通学路傘の連なり秋黴雨(あきついり) 翁山歩存
友見舞う紅き萩咲く登り坂          野路風露
秋の芽や淡き希望に託す夢        志摩光月
煙り無き缶詰開けて秋刀魚めし      川瀬峙埜
満月やあの日のことはご破算に     飯塚武岳
旧道は猪垣の中そっと歩く        小正日向
月明り旅を肴に酌みかわす        遊戯好楽
勿体なや秋天空に我ひとり        真野愚雪
突き抜けて唯我独尊曼殊沙華      たま四不像
早旦のゲートボールや彼岸花       森かつら


第163回インターネット句会特選句短評  
 

茜新夫婦(めおと)寿ぐ(ことほぐ)ホバリング(翁山歩存)
(ただの凡庸)青空の中、2匹の赤とんぼが中に浮いている。「新夫婦寿ぐ」」という表現が素晴らしい。

無駄のない手前の作法吾亦紅(千草雨音)
(境木権太)お点前の無駄のない所作と清楚な吾亦紅が活けられた茶室で、秋の静かな茶席の様子が良く分かります。

煙り無き缶詰開けて秋刀魚めし (川瀬峙埜)                               
(石 敬)男くささも感じさせる味わい深い句ですね。サンマを買って焼けばいいのでしょうが、これでよしと罐詰で飯を食う、寂しさや侘しさを突き抜けた枯れた趣を感じまた。

介護士のの訪(おと)なう家や秋すだれ(舞岡柏葉) 
(千草天音)景が目に浮かび、季語の「秋簾」が想像を引き出してくれるよい句だと思いました。 
(名瀬庵雲水) 夏の日差しを防いでいた簾も役目を終えた。いつまでも軒先にぶら下がっているのを見るのは佗しいものである。身体が不自由で取り外すことが出来ないのか、あるいはその意志さえないのか。見たままを素直に表現していると思います。
(翁山歩存)現在の歳になると身につまされる内容の句です。
(志摩光月)外から見える 家族の異変が淡々と表現されている様に感じました。

茸飯あっという間に腹の中  (野路風露)
(森かつら)良い句、あっという間に伝わりました。

長き夜や異国の友へメール打つ(石 敬)
(飯塚武岳)グローバル化で世界がますます狭くなってきています。現代の世相をよく現わしています。

澄む秋や入江出島の旧き絵図 (名瀬庵雲水)
(川瀬峙埜)先日の一泊研修で図書館を案内していただいた時 長崎の図絵を拝見いたしました。歴史の貴重な資料なのでしょう。「澄む秋や」の季語は、ぴったりですね。

稲屑火(いなしび)の煙は富士を目指しけり(舞岡柏葉)
(遊戯好楽)稲屑火とは初めての言葉だったので、ネットで検索したところ「脱穀など一連の田仕事後の藁屑を夕方にかけて燃やす火」とあり、子供のころの情景が思い浮かびました。私のイナカに富士山はありませんが、遠くの田んぼで燃やす「稲屑火」からたなびく煙をみていたような記憶があり懐かしく、選句しました。
 
停車場に首長くして彼岸花(境木権太)
(野路風露)停車場と彼岸花の取り合わせがとっても合っていると思います。誰を待っているんでしょうね。

月明かり瞑想露座の美大仏(千草雨音)
(真野愚雪)句の表わす情景はもちろんですが、十七文字の連なりの姿・形の美に惹かれました。


第162回さわやかネット句会  (2017年9月)                  参加者:15名

 
 

■ 作 品

走行(そうあん)の僧の真白きスニーカー 舞岡 柏葉   ← 最高得点

また祖父に尋ねたとあり花石榴       たま 四不像   ← 最高得点

境内に狸の親子盆の月          飯塚 武岳

無花果や妊る娘日々豊か         境木 権太

つゆ草や亡夫の歳を十も越え      千草 雨音

秋兆すキリスト像の白き肌        浅木 純生

金管が晩夏を揺らすジャズ一夜     名瀬庵 雲水

唐黍や剥きたる皮の山となり       川瀬 峙埜

霧走り馬に引かれし空車(むなぐるま)  森 かつら

芙蓉咲き母百歳を数えり         志摩 光月

誰ぞ知る木槿(むくげ)の秘めし片思い  真野 愚雪

甲子園声援消えし晩夏光         翁山 歩存

処暑過ぎて空では雲の入れかわり     小正 日向  

陽が落ちて草叢の庭虫時雨        遊戯 好楽

日盛りを子犬主と歩を合わせ       石  敬


第162回インターネット句会特選句短評  
   

境内に狸の親子盆の月 (飯塚武岳)
(千草雨音)月夜の境内に狸の親子を見つけたことを詠まれた句。なぜか狸の親子が腹鼓を打っている様子を想像し、微笑んでしまいました。
(川瀬峙埜)証城寺の狸囃子を思い出して思わずニヤリとなりました。作者の敬さんでしょうが、不穏な世の中に合ってユーモアには心が救われます。
(遊戯好楽)お寺の境内で(信楽焼のような)狸の親子が丸樹を見ている様子が思い浮かびあがり、可笑しくもほのぼのとしたものを感じました。また、盆の月は「盂蘭盆会の月」と「お盆(トレー)のような月」との両方をひっかけているようで面白いと思いました。

つゆ草や亡夫の歳を十も越え(千草天音)
(境木権太)雨に濡れて咲く青く可憐なつゆ草を眺めながら、夫が亡くなってからの10年を健気に生き抜いてきた作者の気持ちが良く伝わります。
(森かつら)いつこんな日が来るかと共感できる句。季語のつゆ草がよくあっている。

送行(そうあん)の僧の真白きスニーカー  (舞岡柏葉)                      
(石  敬) 今時のそのアンバランスなところが実にユーモラスで好感のもてる句ですね。先日、私も電車の中でそんなお坊さんを見かけました。
(真野愚雪) 自分の知らない少し厳かで少し爽やかな情景が目に浮かび楽しくなります。

篝火の雨降りしきる鵜の修羅場 (境木権太)
(翁山歩存) 雨中を鵜が争って魚を獲る様子がよく出ている。
(たま四不像)芭蕉の「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」 を思い出しました。芭蕉の句と相まって、場面が映像のように見えてきました。

無花果や妊る娘日々豊か(境木権太)
(飯塚武岳)生まれてくる孫を心待ちする様子と娘を労わるやさしい気持ちが伝わってきす。
(浅木純生)ふっくらした無花果の形とお嬢さんの大きくなってくるお腹、幸せな日々が感じられます。

海上に花火あがりて闇動く(たま四不像)
(小正日向) 花火が打ちあがるときの、音の凄さと夜空に輝く大輪の花を見ていると、本当に闇が動くような気がします。

また祖父に尋ねたきこと花石榴(たま四不像)
(名瀬庵雲水)御祖父様を亡くされておられるのか、ご存命でいらっしゃるのか分かりかねますが、会って尋ねたい ( 尋ねたかった ) という思いが良く出ていると思います。
(志摩光月)同様な体験があり共感しました。花石榴が鮮明でよいと思います。花言葉は「円熟した優雅さ」です。

 


第161回さわやかネット句会  (2017年8月)                  参加者:14名

 
 

■ 作 品

打ち水の押し流したる日のかけら   梵 天   ← 最高得点

書をおきてふと思い立ち胡瓜揉む    志摩光月
   
里山も包み込まれる蝉時雨       小正日向 
  
白焼きの鰻好みし父遠忌         千草雨音
  
伸ばす手にふわり蛍の命の灯      翁山歩存
   
風景のめぐるはやさや宵祭        夏陽きらら
 
雨上がり裳裾を濡らす貴船川床(ゆか) 境木権太
   
閑静の時掻き乱す蝉時雨         菊地 智

威嚇するゴジラのごとし雲の峰      飯塚武岳
  
梅雨明けや前髪揃え短めに        野路風露
  
幽谷の片鱗残す吊しのぶ         舞岡柏葉
 
風鈴の短冊ひらり古希の酔い      森かつら
   
青芒ちぎれば匂ふ刃先かな       ただの凡庸
  
空蝉の落ちて焦熱地獄かな       川瀬峙埜




第161回インターネット句会特選句短評  
   

雨上がり蝉初鳴きに頬ゆるむ 千草雨音
(ただの凡庸)この夏は蝉の鳴き声が聞こえてこないなあと気になっていたところにこの句、頬ゆるむに惹かれました。

.打水の押し流したる日のかけら  梵天
(千草雨音)打水をした時、誰もが目にする景を下五 「日のかけら」 と、とらえられた感性に脱帽です。
(飯塚武岳)打水で涼感の立ちのぼる景が浮かんできます。言葉に使い方が巧みで感心しました。
(森かつら)暑かった日の打水で流すのは、日のかけら いいですね。
(翁山歩存)夏の日の打水を“日のかけらを押し流す”という表現がおもしろい。 
(志摩光月) 路面に反射するジリジリするような強い日射しを打水で見えます。

白焼きの鰻好みし父遠忌  千草雨音
(夏陽きらら)私の父も鰻の白焼きが好物でした。夏は死者がことさら身近に感じられるように思います。作者が父君を偲ばれている様子に共感いたしました。「遠忌」という言葉がしみじみとして、景色を際立たせていると感じいりました。

オルガンの平たき音や合歓の花 梵天  
(境木権太)オルガン穏やかな音を「平たき音」と言って、合歓の花が風に揺れながら静かに咲いている情況を巧みに表現している。 

威嚇するゴジラのごとし雲の峰  飯塚武岳
(小正日向)吸い込まれるようなあ青空もくもくと立つ積乱雲が見えてくる、夏らしいくだと思いました。 

雨上がり裳裾を濡らす貴船川床 境木権太 
(菊地 智)京都の暑さにはぴったりの納涼風景きれいな句。

里山も包み込まれる蝉紫雨 小正日向
(野路風露)同じ体験をしたところです。 蝉時雨が里山を包みこんでいました。

 自己主張なき昼顔や凪の浜  舞岡柏葉 
(川瀬峙埜)昼顔は群がり浜辺など至る所に咲いている。「自己主張なき」と表現さたのは作者のどのような想いか?続く「凪の浜」の言葉に心が惑う 。



 

第160回さわやかネット句会  (2017年7月)                  参加者:15名

 o
 

■ 作 品

背筋のび男日傘の街歩き            志摩光月 ← 最高得点
夜店の灯とどかぬ闇のなまめける       梵天
小面(こおもて)の秘めたる憂ひ半夏生     舞岡柏葉
寝転んで父と語った夏座敷             境木権太
砲台跡忘るまじとて夏野錆ぶ         夏陽きらら
夕顔や稽古帰りの下駄の音          千草雨音
紫陽花や心変わりを告げられて        飯塚武岳
あかつきの物音ひとつ梅雨に入る       たま四不像
サクランボひとつ貰いて声弾む         川瀬峙埜
梅雨ぐもり友に老い見る同期会        翁山歩存
梅雨晴れににこっと笑ふ道祖神        ただの凡庸
サングラス他人となりて街歩き         石敬
アオサギも鮎を狙うか抜き足に         小正日向
老鶯やそは人住まぬ家の庭            菊地智
雨露を集めて子供水遊び             相模野之長山


第160回インターネット句会特選句短評  
   

寝転んで父と語った夏座敷    境木権太
石敬)座敷の畳に転がって、父の腕枕であれやこれやと問答をした、あの懐かしい子供時代を思い出させてくれました。今頃の畳の感触も思い出しますね。
 
砲台跡忘るまじとて夏野錆ぶ     夏陽きらら
ただの凡庸)この砲台跡はどこなのだろうか?頭の中に景色が浮かんでくる。
「夏草や兵どもが夢の跡」を感じさせる素晴らしい句

梅雨明けて沖縄にまた慰霊の日     千草雨音
舞岡柏葉)年々、高齢となってゆく思いで語る遺族のコメント に心が痛みます。

梅雨晴れににこっと笑ふ道祖      ただの凡庸神
志摩光月)心の中が暖かくなる様な気がします。梅雨晴れの日の光が優しくあたっていたのでしょ
う。

夜店の灯とどかぬ闇のなまめける     梵天
翁山歩存)発想がユニーク、なまめけるが色っぽくてよい。

あかつきの物音ひとつ梅雨に入る    たま四不像
夏陽きらら)静かな句だと思いました。降り出した雨の葉を打つ音がしただけで、また静けさが戻
ったけれど、雨の気配を感じている。夢うつつの明け方の様子を美しくとらえていらっしゃると感じ
入りました。

小面(こおもて)の秘めたる憂ひ半夏生    舞岡柏葉
千草雨音)能面は角度によって異なる表情が現れると聞いています。小面に憂いを観てとられた
時の感動が伝わってきます。半夏生との取り合わせも効いていますね。

サクランボひとつ貰いて声弾む    川瀬峙埜
小正日向)赤く熟れたサクランボを手にして話をしている状況が目に浮かびほっこりするいい句だと思いました。

紫陽花や心変わりを告げられて     飯塚武岳
境木権太)紫陽花が雨に濡れて、失った恋に心が湿る。恋人の心変わりを紫陽花の七変化と結びつけて見事です。
菊地智)梅雨は恵みの雨また憂鬱なもの、紫陽花の花言葉 移り気 乙女の愛 ・・・・・移ろう心の揺らぎですか?

残像のひらひら走る青蜥蜴      梵天
川瀬峙埜)蜥蜴の素早い動きを残像と表現された感覚に共感します。

 

■ 句会管見(7)

平成29年7月7日  
       梵天
 

文語文法の留意点
文語文法で最も間違いやすいケースは、動詞の終止形と連体形の混同です。
口語文法では動詞の終止形と連体形はどの活用パターンでもすべて同じですが、文語では
上二段活用、下二段活用、カ行、サ行、ナ行、ラ行変格活用で異なります。
例;終止形  聳ゆ   抜く   答ふ
連体形  聳ゆる  抜くる  答ふる など。
連体形にすべきところを終止形にして下の語と繋がらなくなり三段切れになるケースを良く見かけます。その都度、辞書で確認するなど十分なチェックが必要です。

 

背筋のび男日傘の街歩き      志摩光月
男日傘つまり男性用日傘がこのところ普及してきているようだ。紫外線の害が言われるようになり、男だからと言って我慢もしておられないということか。「背筋のび」がこの句を生き生きとさせている。題材も新しく良い句だと思う。

寝転んで父と語った夏座敷     境木権太
父は既に亡き人なのかもしれない。夏座敷に坐り父との出来事をしみじみ思い出す。夏はさまざまな思い出を偲ぶ季節とも言える。

梅雨ぐもり友に老い見る同期会   翁山歩存
同期会は一年に一度か数年に一度であろう。しばらくぶりに逢うとその人の変化が良く見える。「友に老い見る」は全くその通りである。

夕顔や稽古帰りの下駄の音     千草雨音
この稽古は踊など和風の習い事のように思われる。夕顔の咲く道を下駄の音を響かせて帰る。一時代前の懐かしい風景を思わせる。

サングラス他人となりて街歩き   石敬
サングラスをかけると他人から見るとさほどでもなくても、自分が別人になったような気がする。大げさに言えば、宇宙人にでもなったような気分と言えようか。「他人となりて」に納得できる。


第159回さわやかネット句会  (2017年6月)                        参加者:14名

 
 

■ 作 品

噴水のてつぺんにある無重力      梵天      ← 最高得点
若葉して牛の乳房も豊かなり      境木権太
風の香も流るる雲も聖五月        舞岡柏葉
重なりて夏空仰ぐ親子亀         飯塚武岳
墨流し模様震わすはたたがみ      千草雨音
ながながと狭き湯船に菖蒲かな     翁山歩存
甘酒や店先の子ら石けりし        森かつら
網戸ごしともにゆふげか家守殿     石敬
波音の途切れてしまふ薄暑かな     夏陽きらら
万緑や湖面にそびゆ赤鳥居       志摩光月
ラムネ玉ぽんととびだす浅き夢      たま四不像
薫る風草のさざなみ光る海        ただの凡庸
風を切り縦横無尽のつばくらめ      好楽
元気かと電話がうれし母の日よ      小正日向


第159回インターネット句会特選句短評  
   

甘酒や店先の子ら石けりし          森かつら                                
千草雨音)一昔前の景のようにも思えますが、甘酒の味や香りと共に、暑さに負けない子供の元気な姿が見えるようです。                      

噴水のてつぺんにある無重力     梵天                          
境木権太)下から吹き上げる水に押し上げられて、噴水のてっぺんの水はいつまでも留まっているように見えます。それを無重力と表現したのは新しい発見です。夏の公園に涼風を感じました。
                                     
舞岡柏葉)厳密にはどうなのかは知りませんが、そうかもしれないと納得しました。切り口が奇抜ですね。                                       
志摩光月)噴水を見て、宇宙で話題の無重力を着想したのは素晴らしいと思います。宇宙の飛行士の無重力体感訓練を落下するジェット機の中で実施するのをTVで見た事があります。噴水の水玉の中に思いを移し自由落下の無重力を感じたのでしょうか。着想が大きくて楽しいです

                                                                            
墨流し模様震わすはたたがみ     千草雨音                               
翁山歩存)雷の様子が上手く表現されている。                      
                 

若葉して牛の乳房も豊かなり       境木権太                               
夏陽きらら)緑には命の力があふれているように思います。そんな若葉のイメージと季語の持つ力が読み手に背景までいろいろなことを想像させる句だと思いました。
                                            
新緑を風吹き抜けし匂い立ち      石敬                          
小正日向)新緑の中を、サラサラと音を立てながら爽やかな匂いを届ける風が感じられる清々しい句だと思いました。                                            
                                            
連結の音走りたる梅雨の駅         梵天                          
ただの凡庸)しとしとと静かに降る梅雨の雰囲気が出ている。                               
                                            
ラムネ玉ぽんととびだす浅き夢    たま四不像                             

森かつら)音も動きも感じられ、楽しく愉快にさせてくれる句です。   
 

■ 句会管見(6)

平成29年6月7日  
       梵天
 

選句者の責任
長谷川櫂氏;選句はその句をいい句と認めることである。つまらない句を選句すると、そ
の作者がこんな句ではだめだと気づくのを妨げる。もしかすると、逆にこれでいいんだと
自信を持ってしまうかもしれない。つまり、道を誤らせる。 
作句力と選句力
作句力と選句力は並行して上達する。つまり、どちらか一方だけ優れているということは
ない。このことから、作句の上級者は良い句を選句する傾向があり、初心者は良い句を見
逃す傾向があるといえる。

若葉して牛の乳房も豊かなり       境木権太
初夏に新葉を拡げる若葉と乳牛の豊かな乳房には特に関連がある訳ではないが、どちらも
勢いがあり、初夏らしい季節を感じさせる。気持ちの良い句である。

風の香も流るる雲も聖五月        舞岡柏葉
五月はカソリックに於いて聖マリア祭などの祝祭がかさなるため、聖五月と言われ始めた
ようだ。やや洒落れた呼称で響きが良く五月のすがすがしい気候ともマッチするので詩歌
でよく使われる。掲句は内容は乏しいが聖五月の季語を上手く使った句と言える。

重なりて夏空仰ぐ親子亀         飯塚武岳
子亀を背に乗せた親亀が首を天に向けて甲羅干しをしている光景はよく見かける。日光浴
で殺菌などをする甲羅干しは亀にとっては生きていく上で大事なことのようである。夏が
来たなと思わせる光景でもある。

水玉の踊る童女の夏衣          舞岡柏葉
水玉の踊るという状況はいまひとつイメージを掴みにくいが、夏衣の童女の活発な動作を
表現したものとしては納得できる。童女の愛らしさと躍動感が伝わってくる。

子は目開け母即寝入る昼寝かな      千草雨音
赤子と一緒に昼寝をする母親。母親は横になるとすぐに寝入ってしまったが、傍の赤子は
ぱっちりと目を開けて自分の手を見詰めていたりする。逞しい母親とあどけない赤子の様
子が微笑ましい。


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 平成29年5月12日(金)


 第20回吟行会(子規庵&書道博物館)               参加者:12名
                                            
 
■ 作 品

くりぬきし子規の机に初夏の風

梵天

 ← 最高得点

若楓古典圧して不折の書

千草雨音

子規のごと立て膝つけば若葉風

飯塚武岳

今もなお旅する子規や夏きざす

たま四不像

風光る庭を見透す六尺間

土屋百瀬

糸瓜苗いくつも並び夏を待つ

川瀬峙埜

子規庵の日陰に香るカモミール

翁山歩存

庭にあり子規も眺めし白いばら

銀の道

万葉に返って一句初夏の風

野路風露

庭のすみ芍薬二、三咲いており

東酔水

子規庵の庭の草木が生い茂る

大野たかし

彼も見しかバラ咲き満たり子規庵に

石敬

 
 
   

第158回さわやかネット句会  (2017年5月)                        参加者:16名

 
 
■ 作 品

 

 

百人に百の晩節木の芽和

梵天

←最高得点

石楠花(しゃくなげ)の水影くずす池の鯉

たま四不像

鋭角の阿修羅の鼻梁春かすみ

舞岡柏葉

窓外に無音の世界花吹雪

奥隅茅廣

木に羽織る薄紫や山の藤

境木権太

花吹雪唇赤き巫女二人

千草雨音

居並びて天をめざすや葱坊主

翁山歩存

しまなみを走る海道風かおる

遊戯好楽

潮風の頬たたきゆき夏近し

飯塚武岳

後十年春のいぶきを楽しまん

志摩光月

レンゲさきみつばち騒ぐ田圃かな

小正日向

石段を踏むに忍びず花むしろ

石敬

皮を脱ぎ土の香ただよふ若い竹

ただの凡庸

城跡の濠を見しとも残り花

夏陽きらら

花辛夷枯野の森にかがやける

菊地智

春になり犯罪増えて巻き込まれ

相模野之長山

 

 

第158回インターネット句会特選句短評  
   
石楠花(しゃくなげ)の水影くずす池の鯉 たま四不像

ただの凡庸)静かで美しい情景が浮かんできます。

翁山歩存)情景がよく分かり、着眼点が面白いと思いました。。  
   
花吹雪唇赤き巫女二人 千草雨音
小正日向)花吹雪の向こうに、巫女姿の二人が幻想的に見える景色が浮かび、いい句だと思いました。  
   
斧知らぬ森百年の緑かな 奥隅茅廣

千草雨音)里山のやわらかい緑のグラデーションが目に優しく、心身を癒してくれます。景色を的確に詠まれ感じ入りました。

 
   
後十年春のいぶきを楽しまん 志摩光月
遊戯好楽)私は今期より全科生となり、10年間楽しんでいこうと思っていた(なので俳号を「遊戯三昧」からもらった)ので、この句に共感しました。
   
レンゲさきみつばち騒ぐ田圃かな 小正日向
奥隅茅廣)レンゲに集まる蜜蜂の飛び回るようすいいですね。  
   
鋭角の阿修羅の鼻梁春かすみ 舞岡柏葉

たま四不像)今回の自分的選句テーマは、作者ならではの個性あるピンポイントでの目の付けどころがありさらに表現が平凡でなく情景がみえてきた句、俳句らしい俳句と思われたものを選びました。なかでも「鋭角の阿修羅の鼻梁」にピンポイントで迫ったこの句は、読んでいて阿修羅に、ぐっとズームレンズで引き寄せられたようなすばらしさがあり、春かすみという季語も良いなあと思いました。きっと俳句に長けているかたが作られたのかなと。
菊地智)1300年の時を経たスーパ美佛阿修羅像の愁いを含んだ素晴らしい表情 戦火の時、平和の時、何を問いかけているのでしょう。

 
   
百人に百の晩節木の芽和 梵天

舞岡柏葉)来し方を引きずり残りの人生の生きざまは多様なのだという作者の懐の深い観察眼に敬服。
境木権太)身近な人や著名人の訃報に触れるたびに、人にはそれぞれの晩節があると納得する作者の思いが、木の芽和えのほろ苦さを通して良く伝わってくる。
夏陽きらら)木の芽和えの渋い色目に晩節が調和していると思いました。眼差しに強さと慈しみを感じます。

 
   
木に羽織る薄紫や山の藤 境木権太
石敬)靄のかかった山裾一面を、藤の花がまるで羽織るがごとく覆いつくしている景色が観てとれます。美しい句ですね。  
   
潮風の頬たたきゆき夏近し 飯塚武岳
志摩光月)海辺に立っていた時に潮の香を含む風が吹いて来た。もうじき夏だなと感じた。明快な句だと思います。「頬たたきゆき」が良いです。  
   
   

■ 句会管見(5)

平成29年5月7日  
       梵天
 

助詞の使い方「米洗ふ前に蛍が二つ三つ」
「米洗ふ前蛍が二つ三つ」格助詞「に」は一点を限定して示す。
 よって、蛍は飛んでおらず地面に落ちている。
「米洗ふ前蛍が二つ三つ」格助詞「へ」は目標、方向を示す。
 よって、他所から米洗う前へ向って蛍が飛んできている。
「米洗ふ前蛍が二つ三つ」格助詞「を」は、動作・作用の対象を示す。
 よって、蛍は米洗う前を飛びまわっている。

 

窓外に無音の世界花吹雪       奥隅茅廣
窓の外に桜の花びらが降りしきっている。窓に遮られて音は何も聞こえない。無音の花吹
雪はなにか異世界のように思われる。花吹雪の感じが良くでている。

朝焼けの瀬戸内の海波静か      遊戯好楽
夏の朝、朝焼けで空は赤く染まっている。海は波静かで動きがない。今日も暑い日になり
そうだ。暑さを予感させそうな景が上手く描かれている。

柿若葉乳の匂ひの赤子抱く      千草雨音
柿若葉は透き通るような美しさを見せ、他の若葉と比べても格別のみずみずしさがある。
正に、乳の匂いの赤子のような感じである。

葛切りや吉野の山を降りてより    境木権太
吉野山で桜を見た帰りであろうか。歴史のある吉野山と葛切りには親和性がある。穏やか
な表現も内容にマッチしている。

踏み石に腹温めて蜥蜴かな      奥隅茅廣
踏石にへばりついている蜥蜴の景。真夏であれば、踏石で腹を冷やしていると言いたくなる
かもしれない。まだ、気温もさほど高くない初夏の景である。


第157回さわやかネット句会  (2017年4月)                        参加者:14名

 
 
■ 作 品
   
庭すみに猫の足あとなごり雪 飯塚武岳
←最高得点
それぞれの不器用なりの初桜 夏陽きらら 
御仏のみな佳き容花の雨 梵天
学びあり食に遊びて桜散る(桃風さんを偲んで)

奥隅茅廣

椿落つ我が人生に悔ひなしと

千草雨音

朝寝して叱る人さえなかりけり

たま四不像

ランドセル夢いっぱいの玉手箱

野路風露

舞い落ちる桜一片酒旨し

佐々木登

友の死やなお鮮やかに落ち椿

境木権太

沈丁花風に抱かれ香の便り翁山歩存
山笑い峠を越えるちからわく 小正日向
空き家にも麗に咲くや小米花 菊地智
朝雨によれる一片(ひとひら) 桜かな 森かつら
春愁う喜寿の祝いが哀悼に ただの凡庸
   
   

 

第157回インターネット句会特選句短評  
   
それぞれの不器用なりの初桜 夏陽きらら

ただの凡庸)咲き始めでばらばらに咲いている桜を不器用なりの言葉にひかれました。

森かつら)新年度、それぞれの人生を初桜に例えているのか、いい句と思います。  
   
沈丁花風に抱かれ香の便り 翁山歩存
小正日向)風に乗って、ほのかに匂ってくる沈丁花の本当にいい香りがしてくるような気がします。   
   
御仏のみな佳き容花の雨 梵天

夏陽きらら)吉野山に桜を観に出かけたことがある。生憎の冷たい雨で花祭りも延期になった。 けれど、嫋々と降りしきる雨に物憂げな桜の様が忘れられない。仏さまは時に艶かしく映ることもあり、「花の雨」という季語に実感がわきました。

 
   
ランドセル夢いっぱいの玉手箱 野路風露
佐々木登)小学1年生になった喜びが、我々周りの人たちにも伝わってきます。春らしいいい句だと思いました。
   
菊根分けしている背中まるで父 小正日向
菊地智)親父の背中を見て育った自分が株分けしている姿、親にだぶらせて、仕草までそっくり、親子ですね!  
   
蜥蜴(とかげ)いで縄文遺跡かけのぼる たま四不像

野路風露)蜥蜴と縄文遺跡があっていていいと思います。

 
   
音信の途絶えし人やミモザ咲く 野路風露

境木権太)昔親しかった学友も音信が途絶えて久しい。 ミモザが咲いて出会いと別れの季節の春が巡ってきて、学生時代の懐かしい顔を思い出す。桜でもいいがミモザの方が若々しくて洒落ている。

 
   
庭すみに猫の足あとなごり雪 飯塚武岳
千草雨音)なごり雪に猫の足あとを見つけた時のほのぼのとした気持ちに共感を覚えます。  
   
舞い落ちる桜一片酒旨し 佐々木登
奥隅茅廣)静かな時を花見に過ごす至福の時ですね。  
   
学びあり食に遊びて桜散る(桃風さんを偲んで) 奥隅茅廣
翁山歩存)木村さんを偲ぶ句の中から選びました。  
   
椿落つ我が人生に悔ひなしと 千草雨音
たま四不像)今回は桃風さんを偲んだ句を選ばせていただきました。そこで選句が自分だけ6句になってしまったことお詫びいたします。 どの句にも作ったかたのお気持ちがあらわれ、どれかひとつに○をするのは難しいことでした。 そこでいつも桃風さんがおっしゃっられていた「我が人生に悔いなし」 、 いかにも桃風さんらしいお人柄が偲ばれます。34に○を付けさせていただきました。  
   

■ 句会管見(4)

平成29年4月7日  
       梵天
 

平凡な句(虚子俳句問答より)
読者;これはホトトギス落選句です。この句の欠点はどこにあるでしょう。
「亭涼し庭の大池見下ろされ」
虚子;(中略)庭の大池が見下ろされたというだけでは余りに平凡ではありませんか。平
凡な景色が悪いというのではありませんが、其処に一点或る物をつかまえる必要があり
す。この句はその或る物を逸しています。これだけでは、いくら平凡好きの私でも採る
ことが出来ません。

朝寝して叱る人さえなかりけり         たま四不像
独り暮らしの老人の生活を想像した。子供が独立して夫婦だけの暮しとなっていたが、不
幸にしてその連れ合いを亡くしてしまった。今は、朝寝をしても叱る人もいない。気楽と
いえば気楽だが、話し相手もいない寂しさが募る日々である。

赴任地の一人住まいや春浅し          境木権太
新社員か転勤か。新しい赴任地で家族とはなれて一人住まいになる。新しい生活に対する
前向きの気持ちもあるが、掲句は「春浅し」の季語によってわびしさが強調されている。

空き家にも麗に咲くや小米花          菊地智
小米花は雪柳のこと。小さな白い五弁花を小枝につけ、さながら雪が積もったように見え
る。空き家に花が咲くというパターンは俳句ではありふれているが、掲句では、小米花の
鮮やかな白が強いインパクトを与えている。

蜥蜴(とかげ)いで縄文遺跡かけのぼる     たま四不像
春になり、蜥蜴が穴から出て来る。何をするかと見ていると縄文遺跡を駆け上った。再現
された竪穴住居などであろうか。蜥蜴と遺跡の取り合わせが面白い。

友の死やなお鮮やかに落ち椿          境木権太
先日、句友である木村桃風さんが亡くなった。暖かい人柄で敬愛され、サークルの発展に
も余人をもって代えがたい活躍をされて皆に惜しまれながら亡くなった。落ちてなお鮮や
かに色を残す椿が桃風さんの姿をよく表している。


第156回さわやかネット句会  (2017年3月)                        参加者:17名

 
 
■ 作 品
   
春雷やぴくりと動く馬の耳 梵天
←最高得点
望郷の外人墓地や春一番 飯塚武岳 
春月をときをり揺らす湯音かな 夏陽きらら
童顔の組み木の雛の微香かな

千草雨音

沈丁花母よみがえる庭の隅

境木権太

梅咲いてほころぶ昼の幕の内

木村桃風

たくましき海女の足裏ひらひらり

舞岡柏葉

吹き荒れて髪の乱れや春一番

奥隅茅廣

話すことあるような母ぶり大根(だいこ)たま四不像
啓蟄や割れ目継ぎ目の群れ遊び 森かつら
流感や庭の小鳥の楽し気な 志摩光月
鉢物や窓辺に並び日脚伸ぶ 菊地智
野に出(い)でて笑顔の出会ひ蕗の薹 翁山歩存
朝の道木芽の太りを風つたへ ただの凡庸
雛飾りまだ見ぬ孫に思いはせ 小正日向
歳を取り春待ちどうしほとどぎす 相模野之長山
路地奥に太鼓響きて初午や 川瀬峙埜
   

 

第156回インターネット句会特選句短評  
   
満ち潮やどつと生まるる春の水 夏陽きらら
翁山歩存)潮が満ちてくる様子を"どっと生まるる"としている表現がいい。  
   
吹き荒れて髪の乱れや春一番 奥隅茅廣
小正日向)春一番の風の荒れ狂う様子がよく伝わります。 
   
春雷やぴくりと動く馬の耳 梵天

千草雨音)日常では、馬を見る機会に恵まれませんが、春雷の鳴り響く様と馬の耳の小さな動きとの対比が効いていて、一瞬の景をとらえたいい句だと思いました。
森かつら)
突然の雷に反応する馬の様子が伝わる良い句。
舞岡柏葉)馬は繊細な動物で警戒心が強く、耳は後ろ向きにもなります。馬の生態よく表現されていると思います。

   
沈丁花母よみがえる庭の隅 境木権太
木村桃風)今は亡き母の好んだ沈丁花、今年も香りを運んで母が偲ばれる。母を偲ぶ風情がよく伝わります。
たま四不像)今回の自分的選句基準は、まず目の付けどころが面白く、作句の言葉に作者の実感がこもっていると感じたものです。 母もの孫もの妻ものなどは、なかなか作るのが難しいとされていますが、香りで庭の隅に母がよみがえるとは、読んでの共感もあり、作者の実感もあり、句に情感もあり、わかりやすさもあり、何気ないさり気なさもあり、巧い!と思いました。
   
香を運ぶ塀はみ出して枝垂梅 境木権太
菊地智)枝の下がる樹木に 桜、桃、梅、柳等があります。何れも絵になります、ほのかな梅の香り、いいですね。
   
春月をときをり揺らす湯音かな 夏陽きらら

境木権太)露天風呂に入って湯に映る春の月を眺めているのでしょうか。ぼこぼこと時折湯が沸き上がり、月影を揺らす。ゆったりとした温泉の情景が目に浮かびます。
志摩光月)「湯音」が効いており、豊かな情景と暖かさを表していると思う。好きな句です。

   
望郷の外人墓地や春一番 飯塚武岳

夏陽きらら)港町ヨコハマの潮の香りも届くようなみずみずしい句だと思いました。異国の地に亡くなった方達の想いが春風にのって待っている人の許へ届くと良いのに・・・私の髪が風にみだれるような感覚を覚えました。

川瀬峙埜)つい身近な事ばかりに囚われてしまいがちですが春一番に吹かれて外人墓地を歩けば遠い時代と遠く離れた土地に思いが行きますね。
   
野火走る海鳥の声しはがれて 梵天
ただの凡庸)鳥は渡り鳥なのだろうか。冬の間に鳴き続けていた海鳥も、野火の季節になって声がかれてしまった。
   
梅咲いてほころぶ昼の幕の内 木村桃風
奥隅茅廣)満開の梅の下で花見の弁当を開く楽しみ目に浮かびますね。
   
   
   

■ 句会管見(3)

平成29年3月7日  
       梵天
 

高浜虚子の客観写生
「虚子は一貫して客観写生を主張した。それは、俳句という短い詩では、主観つまり、美 しい、楽しい、悲しいなどの心をそのまま述べると、その生な主観だけが読む人に伝わり、余韻が広がらない。心を季題に託して、具体的なもので表現する、つまり客観描写することが、心を表現するのに一番よいとしたのである。」(深見けん二氏)
虚子は次のようにも述べている。「私は、一般に俳句を学ぶ人をして、月並調に陥し、もしくは奇怪なる俳句を作らしめないために、其の人をして、俳句の道に入る順路を踏ましめんために、所謂、客観写生句を作れと唱道するのである。」

 

童顔の組み木の雛の微香かな        千草雨音
組木の雛人形は、子供たちが自分で飾り付けたり片付けたりができ、場所もとらないので年々人気が高まっているとのこと。木の香りがする素朴な人形の姿には味わいがある。座五の「微香かな」が決まっている句である。

さくらさくらかけくる君へそよぎ濃し    夏陽きらら
出だしの「さくら」のリフレインが上手く決まっていて、明るく弾むような句になっている。但し、座五の「そよぎ濃し」は表現が窮屈なので検討の要がある。

仕舞癖去年のままの雛をだす        菊地智
仕舞癖は誰にでもある。飾るために雛を箱から取り出しながら、ああ、これは自分が去年仕舞ったものだと気付く。仕舞い癖が一年の歳月をしみじみと思い起させる。

春月をときをり揺らす湯音かな       夏陽きらら
春の月が露天風呂に映っている。ときおり、湯音がして風呂の水が揺れ春月の影も揺れる。 あまり人のいない静かな露天風呂の情景が上手く描かれている。

鬼やらい子らの声せず静かなる       菊地智
近頃、子供がめっきり少なくなり、元気に福は内と叫んでいた声も聞かれなくなった。節分の夜も静かになったのである。現代の世相をさりげなく切り取っている句である。

 

                                                             以上

 



第155回さわやかネット句会  (2017年2月)                        参加者:15名

 
 
■ 作 品
   
湯たんぽや母は母なり老ひてなほ 千草雨音
←最高得点
乾鮭(からざけ)や虚ろなる眼と空(うろ)の腹 舞岡柏葉 
立ちのぼる土のにほひや霜柱 梵天
見届けし限界集落寒すみれ

たま四不像

寒の月鋭いひかり闇を射る

ただの凡庸

初空を切り裂き光る戦闘機

飯塚武岳

門松の数少なさや街静か

奥隅茅廣

梅一樹寒の尖りも芽吹きけり

翁山歩存

豆まきや国境に壁福は内志摩光月
綱受けて寡黙な力士初笑い 境木権太
冬木の芽命を包みまだ固し 菊地智
高齢を襲う冬の寒暖差 相模野之長山
寒風に訃報聞くなり茫々と 浅木純生
寒に堪え仰げば白き富士の峰 木村桃風
冬の山白と黒とのハーモニー 野路風露
   
   

 

第155回インターネット句会特選句短評  
   
寒の月鋭いひかり闇を射る ただの凡庸
木村桃風)寒空の月の光は一段と尖ります。身に染みて句意が伝わります。  
   
コンビニに流るる雅楽初茜 舞岡柏葉
境木権太)正月の朝茜空をちらりと見上げながら立ち寄ったコンビニ。そこには正月恒例の古典的な雅楽が流れている。現代日本の都会暮らしの情景が鮮やかに描写されている。  
   
門松の数少なさや街静か 奥隅茅廣

菊地智)実感です。輪飾りで代用する家が多いようです。節分の豆が道路に落ちてるのも極端に少なくなっています。
相模野之長山)時代を感じる俳句です。

   
湯たんぽや母は母なり老ひてなほ 千草雨音
たま四不像)1月の自分的選句基準は 「日常生活のなかでこういうことってあるあ
る」という共感がその句からこちらに通じてきたものを5句選びました。そのなかでもさらに「仰るとおり!」と思ったこれを特選にしました。「湯たんぽ」が「湯湯婆」だったらもっと面白いのに・・・ というのはお笑い
好きの勝手な思い、失礼いたしました。
舞岡柏葉) 元気でいてほしいと思っている母にふと老いを感じた作者の思いに想像が広がりました。
志摩光月)母が逝って8年になりますが、気丈な母を懐かしく思います。
浅木純生)懐かしい母の暖かさ、温もりということですね。
野路風露)親は子供がいくつになっても親なのですね。我が家の夫の母の姿がまさしくこれです。
 
   
初場所や寡黙の男眼に涙 ただの凡庸
奥隅茅廣)館内の歓声の中目頭をぬぐう1人の力士の姿が今でも眼に浮かびます。  
   
豆まきや国境に壁福は内 志摩光月

千草雨音)17文字に見事にトランプ大統領の大統領令の1つについてを詠まれた時事俳句。脱帽です。

   
唄ひつつ半鐘独楽は踊りをり 千草雨音
ただの凡庸)お正月を感じました。ブーンブーンうなる独楽を表現した'半鐘独楽'という言葉にひかれGoogleで検索しました。'半鐘独楽'という季語がありました。こんな季語を知っているだけで凄いと思いました。
   
乾鮭(からざけ)や虚ろなる眼と空(うろ)の腹 舞岡柏葉
翁山歩存)干乾し状態の鮭の姿がよくあらわれいる。  
   
   
   

■ 句会管見(2)

平成29年2月7日  
       梵天
 

正岡子規の俳句革新運動(近代俳句の出発)
子規は「俳句は文学の一部なり。文学は美術の一部なり。故に美の標準は文学の標準なり。文学の標準は俳句の標準なり。」と主張します。そして、発想や表現の類型化した旧派の俳句を月並調と呼び、卑俗陳腐なるものとして批判します。
更に、洋画の写生の手法を俳句に取り入れ、実際をありの儘に写した新しい姿の俳句を出現させ、類型化した月並調を打破することに成功しました。
写生の手法は、その後高浜虚子の客観写生に引き継がれて行きます。

 

乾(から)鮭(ざけ)や虚ろなる眼と空(うろ)の腹         舞岡柏葉
乾鮭は鮭を素干しにしたもの。食べる時には木槌で打って柔らかくし、火であぶったり煮たりする。虚ろな眼と空洞の腹が乾鮭の姿をよく表している。北国の厳しい冬を連想させる姿でもある。

綱受けて寡黙な力士初笑い      境木権太
大相撲で19年ぶりに日本出身横綱が誕生した。長年期待されながら今一歩でチャンスを逃していた力士の悲願達成である。寡黙で落ち着いた立ち居振舞いにも好感が持たれている。「綱受けて」が状況を過不足なく伝えており、「初笑い」が上手く決まっている。

コンビニに流るる雅楽初茜       舞岡柏葉
初茜は、初日の上る直前に空が茜色に染まることをいう。早朝の時間帯であるが、24時間営業のコンビニなればこその情景といえる。現代的なコンビニと雅楽の取り合わせも新鮮である。

初空を切り裂き光る戦闘機       飯塚武岳
初空は元旦の空。次第に明けゆく空に清新の気が満ちる。その初空に戦闘機が轟音を立てて飛来した。緊急発進をしたのかもしれない。目出度さを打ち破る非日常の戦闘機である。

薄氷や歪んだ空を映しゆき       飯塚武岳
前夜の寒さで薄い氷が張った。その薄氷に歪んだ空が映っている。机上では思いつかない着眼点のように思う。実景の強さである。但し、語尾の「ゆき」は解釈がしにくい。シンプルに「たる」などにした方がよい。

                                                             以上

 



第154回さわやかネット句会  (2017年1月)                        参加者:17名

 
 
■ 作 品
   
冬霧の重さを曳いて漁戻る 梵天
←最高得点
風呂吹きや女房の愚痴を箸で刺し 菊地智 
柊(ひいらぎ)の棘の鋭き今朝の冬 舞岡柏葉
すり抜けて振り向く猫も師走の目

木村桃風

こたつ猫おのれ貫き通しけり

たま四不像

煮こごりの箸に伝わる重さかな

翁山歩存

妻の編む地蔵の頭巾歳用意

境木権太

淡緑の香り広がる畳替え

ただの凡庸

雑煮餅幾つと母の声がする浅木純生
人並に猿瞑想の柚子湯かな 奥隅茅廣
友を待ちさざんかの花落つを見ゆ 志摩光月
拍子木が通りにひびく冬の暮 小正日向
あれやこれやり残しあり年の暮れ 野路風露
自分へのご褒美に買ふ冬薔薇 千草雨音
紅白におぼろ昆布の晦日蕎麦 川瀬峙埜
忘れようあの日のことは除夜の鐘 飯塚武岳
賀状書く新しき友嬉しけり 石敬

 

第154回インターネット句会特選句短評  
   
柊(ひいらぎ)の棘の鋭き今朝の冬 舞岡柏葉
志摩光月)冬の朝の尖った感じを、柊の棘でよく表していると感じました。  
   
淡緑の香り広がる畳替え ただの凡庸
奥隅茅廣)新しい畳表の色そして香りいいですね。しかしそれを知らぬものが多い世の中、変わりましたね。     
   
凜として魅惑の立居冬薔薇 翁山歩存
石敬)拙宅の庭でも、寒い冬にもかかわらずミニバラが元気に顔を出しています。バラの凛としてという表現が、気性の激しい、でも美しい女性の姿を思わせて、いい句ですね。
   
老二人言葉少なに冬構 境木権太
野路風露)言葉は少なくとも思いやりが伝わってきます。  
   
よく笑ふ座敷わらしと冬籠 梵天
たま四不像)今回は新しい年明けでもありますし「笑う門には福来る」で、「ユーモアや滑稽味のある句」と選句のテーマを決めました。「風呂吹きや女房の愚痴を箸で差し」と迷いましたが、こちらは明るい苦笑、選んだものは面白い微笑、「よく笑ふ」というところで思わず「よく笑って」しまったのでこれにしました。  
   
風呂吹きや女房の愚痴を箸で刺し 菊地智

境木権太)夫婦二人の夕ご飯。奥方の愚痴を聞く以外に話しは弾まず、風呂吹き大根を串で突き刺しながら聞き流す。老夫婦の夕餉の景が鮮やかです。

浅木純生)お内儀の愚痴を聞きながら、晩酌でしょうか。大根のよく煮えて柔らかいのに箸をつき立てて、ささやかな抵抗を試みたということでしょう。 ここで何か言おうものなら百倍になって帰ってきます。ここは忍のひと文字、さようでござるご同輩。

川瀬峙埜)柔らかく煮た大根であれば問題無し。夫婦間の感情の機微を句にするのは難しいですがこの句は嫌味も無く「くすっ」と詠めます。

 
   
こたつ猫おのれ貫き通しけり たま四不像
舞岡柏葉)飼い主に媚ない猫の情景がうまく表現されていると思います。  
   
友を待ちさざんかの花落つを見ゆ 志摩光月
木村桃風)この寒い日にどれだけ長い時間待っていたのか想像を逞しくさせます。  
   
冬霧の重さを曳いて漁戻る 梵天

ただの凡庸)冬の霧深い暗い海から、夕方港に戻ってきた漁船の光景が眼に浮かんでくる。

翁山歩存)冬の海の雰囲気が上手く表現されていると思う。

菊地智)モノトーンの世界。霧の中から帰ってくる船、大漁かな?

 
   
煮こごりの箸に伝わる重さかな 翁山歩存
千草雨音)煮こごりの美味しさと、持ち上げた時のプルプルとした持ち重みが実感される親しみのある好きな句です。  
   
妻の編む地蔵の頭巾歳用意 境木権太
小正日向)頭巾(たぶん赤色)を被られたお地蔵様の優しいお顔が目に浮かびほっこりしました。  
   

   

■ 句会管見(1)

平成29年1月7日  
       梵天
 

 皆様、明けましておめでとうございます。今月から、さわやかネット句会の句会管見をスタートさせます。宜しくご愛顧のほどお願いします。年の初めに当たって、先人の言葉を紹介しご挨拶とさせていただきます。
・ 俳句をものせんと思はば思ふままをものすべし。巧を求むる莫れ、拙を蔽ふ莫れ、他人に恥かしがる 莫れ。(正岡子規)
・ 俳句は選者の顔を浮かべてはならない。上手に作り高点を望んではならない。純粋にわが魂をゆさぶ る感動の一句を作りたい。(木田千女)

 

車椅子押して師走の美容院      菊地 智
車椅子に乗って師走の美容院に行くのは老母であろうか。たとえ、歩行が不自由でも、身だしなみを整えて正月を迎えようとする日本人の心がうかがわれる。師走の景であるが淑気を感ずる景でもある。

すり抜けて振り向く猫も師走の目   木村桃風
振り向く猫の目を見て師走の目だと思う。師走のあわただしさを思わせる目ということだろう。作者の忙しないと感ずる心が猫の目をそのように見せたのであろう。犬と猫の句は陳腐になるから作るなと言われるが、掲句は、そこを一つ抜け出しているように思う。

こたつ猫おのれ貫き通しけり     たま四不像
猫は寒がりで炬燵などにすぐ入り込む。「おのれ貫き通しけり」は一旦入り込むと梃子でも動かない猫の様子を見せてユーモラスである。

初春や柚子の香りの砂糖菓子     浅木純生
初春(しょしゅん)は春の初めのことだが、初春(はつはる)は正月のことである。正月に柚子の香りの菓子をいただく。ただそれだけの事であるが、柚子の爽やかな香りが初春の目出度さをいや増しているようである。

煮こごりの箸に伝わる重さかな    翁山歩存
煮凝りは魚の煮汁が冷えて固まったもの。または、煮魚の身をほぐして煮汁とともに固めたよせ物。これを箸でとった時に重さを感じたのである。こまやかな感覚である。
                                                            以上