2019年
2019年11月 第186回さわやかネット句会 作品 特選句短評
2019年10月 第185回さわやかネット句会 作品 特選句短評   
2019年9月 第184回さわやかネット句会 作品 特選句短評  
2019年8月 第183回さわやかネット句会 作品 特選句短評  
2019年7月 第182回さわやかネット句会 作品 特選句短評  
2019年6月 第181回さわやかネット句会 作品 特選句短評  
2019年5月 吟行句会(第108回あすなろ句会) 作品  
2019年4月 第180回さわやかネット句会 作品 特選句短評  
2019年3月 第179回さわやかネット句会 作品 特選句短評  
2019年2月 第178回さわやかネット句会 作品 特選句短評  
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第186回さわやかネット句会  (2019年12月)                  参加者:14名

 
 

■ 作 品

毛糸編むいつしかラジオ深夜便        千草 雨音    最高点句 

味噌汁の大根甘し今朝の福          真野 愚雪
母となる日近き人着ぶくれて          たま四不像
三浦海(み)の風を集めて干し大根(だいこ) 翁山 歩存
昂然と人を見てゐる枯野かな          名瀬庵雲水
パンを焼く香りを運ぶ隙間風          ただの凡庸
故郷を守る友あり冬木立            境木 権太
大ぶりの椀に主役の根深かな         舞岡 柏葉
木盆の米ぬか磨き冬の朝            森 かつら
祖父母づれ深々礼拝七五三          菊地  智
穴のぞくごと手鏡覗く冬椿            岡田 克子 
木枯しや妻と夕餉の穏やかさ         志摩 光月
深々(しんしん)に手もと転がす柚子湯割り  石   敬
日韓の深まる溝や狂ひ花            飯塚 武岳 

   

第186回インターネット句会特選句短評  
 

 岡田克子選

特選 母となる日の近き人着ぶくれて   たま四不像
    風邪を引かぬように、体を冷やさぬようにと重ね着をしている。出生率低下の昨今、妊婦さ    ん丈夫な赤ちゃんを生んで下さい。

祖父母づれ深々礼拝七五三     菊地 智
    子ども数の少ない昨今、家族全員で大事にかわいがる景が浮かびます。
    七五三の子が言われた通りに神妙に二拝二拍手一拝をしている。
 

故郷を守る友あり冬木立      境木権太
    うぶすなを離れずに、故郷のお祭り、郷土品などの伝統を守り続ける貴重な友。「冬木立」で    これから寒くなる故郷を思う作者。

年の瀬や君と酔いたるライブジャズ 志摩光月
    好きな人と好きなジャズを聴き、年の瀬の慌ただしさの中を過ごすこんな時間も…。

木枯しや妻と夕餉の穏やかさ    志摩光月
    外は冷たい北風が吹いているが、我家は妻の美味しい手料理で平穏無事である。仲睦まじ    いさまが伺われる。うらやましい。

    今月の一言
   一 必要な言葉か吟味する。極小な容量なので。
   二 ふさわしい季語を使う。
   三 重複をさける。似たような意味の言葉はさける。
   四 ドラマチックに切り取る。男性が女性の句。女性が男性の句を詠んでも差し支えありませ     ん。
   五 原因と理由を言わない。
   六 別に許容範囲はありません。
   七 因果関係を入れこまない

母となる日近き人着ぶくれて (たま四不像)                    
( ただの凡庸) お腹の大きいお母さんが、風邪を引かないよう厚着をしている様子が浮かんでくる。素晴らしい。

 味噌汁の大根甘し今朝の福 (真野愚雪)
(たま四不像)今回選句の5句は、作者が身近な暮らしの中で本当にそう思ったり体験したことを句にしたと思われる臨場感あるものを選ばせていただきました。とくにこの特選句は「今朝の福」という言葉に、身近なことにも幸せを感じることができる作者の良きお人柄が表れ、良い句だなあと思い選句させていただきました。
(翁山歩存)朝の何のことのない事柄を読み、"今朝の福"の表現が利いている。

手を広げ日陰者よと八つ手咲く(たま四不像)
(千草雨音)「八つ手は、個性的でデザイン性に優れた植物か!」と称賛しつつ眺めていましたが、句にすることができませんでした。この句のような捉え方もあり!と、妙に納得して選ばせていただきました。                               
(真野愚雪)「日陰者」とい喩えを用いて 八つ手の花を詠われているところに生き生きとしたユーモアを感じます。

昂然と人を見てゐる枯野かな (名瀬庵雲水)                              
(石  敬)黒と白だけで描かれた冬木立の風景画を思わせますね。漂う孤独感と、ちょっと不気味な感じもあって面白い句ですね。
                      
三浦海(み)の風を集めて干し大根(翁山歩存)
(飯塚武岳)三浦の海風に吹かれて揺れる干し大根が目に浮かびます。昔ながらの景が素直に表現されています。
(志摩光月)景色が浮かびます。田舎育ちなのでこの様な景色に心がが安らぎます。

 毛糸編むいつしかラジオ深夜便(千草雨音)
(菊地 智)懸命に何かをやってる時の時間の過ぎるのは早いものです気がつけばラジオ深夜便(23:00)の時間になっておりました。私も毎日聞きながら眠ります。
(森かつら) 時間の流れを上手くあらわした句。

イタリックのカード深紅の冬薔薇(舞岡柏葉)
(名瀬庵雲水)高が "  イタリック  " 文字のカードを俳句に取り込んだことに、" 凄さ " を感じます。  この凄さは、形容しがたいほどすばらしい、あるいは程度が並々ではない 、ということです。冬薔薇との対比がユニーク。

パンを焼く香りを運ぶ隙間風(ただの凡庸)
(境木権太)肌寒い部屋に隙間風がパンを焼く香りと温かさを運んでくれる。穏やかな冬の家庭の日常を感じました。

冬うらら天赦日(てんしゃび)に友入籍す(千草雨音)
(舞岡柏葉)寡聞にして、天赦日という言葉は知りませんでした。入籍とあるので女性?の友の結婚を祝う喜びを天赦日という言葉で間接的に表現したところがうまいと思いました。

 
 
 

第185回さわやかネット句会  (2019年10月)                  参加者:16名

 

■ 作 品

被災田に仁王立ちする案山子かな    飯塚 武岳 最高点句

方丈の机に墨と野菊の香         千草 雨音

柿紅葉飛鳥美人の頬染めて        境木 権太

雨止んで即位の儀式秋の虹        菊地 智

李方子の思ひを偲ぶ夜ぞ長き       翁山 歩存

菊の香や静かに暮るる四方の里      ただの凡庸

野分荒れ方向迷う風見鶏          小正 日向

明け方の夢は若き日冬の虫        志摩 光月

秋の虹も壽ぐ令和即位礼          舞岡 柏葉

方丈に五体投地の冷まじく         名瀬庵雲水

もみじひと葉迷い降りけりビルの路地   真野 愚雪

吾子しゃがみこの指とまれ赤とんぼ    遊戯 好楽
 
金物屋の下駄履住居夕紅葉        岡田 克子

来し方の木犀の香に呼ばれたり      森 かつら

方丈の庵の主や枯れ薄           野路 風露

 


第185回さわやか句会特選句短評  
 

                  岡田克子選

    特選  方丈に五体投地の冷まじく 名瀬庵雲水
 全体的に荘厳なドキュメンタリー映画を観ている様です。季語も効いていました。兼題が「方」でしたので他の「方丈」の句も多くあり良かったです。

         秋の虹も寿ぐ令和即位礼 舞岡柏葉
やはりこの句は無視できませんでした。平成から令和となり天皇陛下の即位の礼。虹が出て印象的でした。22番も同じ内容の句でした。

         台風禍もののかたちを流し去り ただの凡庸
 増水した川に家がのみ込まれていく景は言葉にならない、そして崖崩れで家が押しつぶされる、浸水家屋で冷蔵庫などが流されていく、恐ろしく感じました。被災された方々の一日も早い立ち直りを願います。

          明け方の夢は若き日冬の虫 志摩光月
 夢の中では若かったのに……現実は……。季語がいいです。

          青空に初雪の富士文句なし 小正日向
 富士山は日本一の山です。青い空と白い富士。下五で作者の満足感出ています

          今月の一言

 選句で採らない句として 辻桃子氏の見解

・一見上手そうに見えて、発想が月並み、陳腐な句は採らない
・人生の教訓めいた句や浪花節的な句、お涙頂戴的な句は採らない
・一見下手そうでも素朴な味のある句は採る
・発想は平凡でも、表現に飛躍のある句は採る
・季語の使い方が月並み、陳腐な句は採 らない。又新しい使い方に挑戦するのはよいが、納得させる 力がなければならない。
・すでに現代詩や歌謡曲などで使われている手垢のついた表現は採らない
 但し表現が陳腐でも作り手の溢れるような真情や激情が滲み出ている句は採る
・明らかに先行句があるものは採らない。結果として似てしまった場合でも、伝統や先人の業績に 対して は謙虚であるべきで、後から行く者が遠慮するのが、文芸の奥ゆかしさだ。
・品格の無い句や下世話な句は採らない。  
 

 

明け方の夢は若き日冬の虫 (志摩光月)
(たま四不像)今回は3句の投句も5句の選句も自分的テーマを俳諧味にしました。この句を選んだのは「冬の虫」という季語を持ってきたことに軽妙洒脱な俳諧味を感じたからです。

 被災田に仁王立ちする案山子かな (飯塚武岳)                    
(ただの凡庸)東日本大震災の高田の一本松を思い出しました。被災地の方は仁王立ちしている案山子を見て勇気が出たのでは。

(境木権太)台風被害に遭った人々を案山子が負けるなと仁王立ちして励ましてくれている。読み手の共感が感じられます。

トンネルの闇にぽたつと秋湿り(名瀬庵雲水)
(翁山歩存)雰囲気がよく出てて、映像も描写されている。秋湿りの季語が利いている。

李方子の思ひを偲ぶ夜ぞ長き(翁山歩存)                      
(千草雨音)日韓不和が報道される昨今、李方子に思いをいたされる俳句に想像を掻き立てられました。席題を李方子として使われたことにも!

(舞岡柏葉)時代のうねりの中で、宿命として日韓の架け橋となった李方子の生き方に大いに感銘を受けました。

方丈の机に墨と野菊の香(千草雨音)
(飯塚武岳)小部屋には机に置かれた墨と野菊の香りが満ちている。清廉な中に緊張感があり気持ちのよい句である。
(森かつら)  一丈四方の庵、野菊の香、いい句です。

多摩川に河童いるらし秋うらら(たま四不像)
(名瀬庵雲水)秋晴れに多摩川の土手を散歩している状況か ? 現在の多摩川の水質は如何なのか知らぬが、想像上の動物 「 河童 」 と、泳ぎ上手を例える「 河童 」 を連想させる一句。いつ頃まで泳げたのやら。

菊の香や静かに暮るる四方の里(ただの凡庸)
(志摩光月) 四方の里は障害者施設でしょうか。「静かに暮るる」に障害者施設と合わせて、暖かい平和を感じます
?
(小正日向)菊の花があちこちに咲いているような里の景色と静かに暮れる里の風景がぴったりとあうきれいな句だと思います。

方寸に秘めし想ひや秋気澄む(舞岡柏葉)      
(菊地 智)誰にも語る事はないでしょう、只秋の澄んだ空気の気配のみ。

野分荒れ方向迷う風見鶏 (小正日向)
(野路風露)今年の台風は風も凄かったですね。風見鶏も大変だったでしょうね。

雨止んで即位の儀式秋の虹(菊地 智)
(遊戯好楽)時の句を平易な言葉でうまく詠んでいると思いました。

遊郭の跡ねんごろに鶏頭咲く (たま四不像)
(真野愚雪)かつて遊郭でにぎわった、今はうつろな空間に静かに揺れている、鶏頭のどこか動物を思わせる生々しい赤い花。「ねんごろに」という言葉は何を表そうとするのか。

   

第184回さわやかネット句会  (2019年9月)                  参加者:15名

 

■ 作 品

甘露煮の妣(はは)から娘(こ)へと秋彼岸   飯塚 武岳 最高点句

からっぽの古墳につんと曼殊沙華        たま四不像 最高点句

甘柿の食べ時を知る鴉の眼          千草 雨音

秋彼岸少し甘めに餡を練る          小正 日向

秋茜すいと眼下に相模灘           真野 愚雪

暗闇に香りの誘い金木犀           翁山 歩存

美学とは人それぞれや新豆腐         岡田 克子

安房上総闇夜を残す秋嵐           菊地 智

糸満の自決之濠や甘蔗畑           名瀬庵雲水

辻ごとに甘栗売りや中華街          舞岡 柏葉

安達太良に智恵子の涙秋の雨         境木 権太

秋の野のいつまで「仮称」とんぼ池      森 かつら

子等招き少しの酒と菊膾           志摩 光月

唐黍の粒掻き食むはローカル線        石  敬

畔道の曼殊沙華燃ゆ空青し          遊戯 好楽

 


第184回さわやか句会特選句短評  

 


              岡田克子選

特選  烏瓜を三つ四つ五つ見つけたり  千草雨音
      赤色に熟れた烏瓜は目立ちます、一つ見つけるとあっちこっちと目に飛び込んできます。
甘露煮並ぶ秋の近江や道の駅  舞岡柏葉
      道の駅は至るところに有る、その土地の特産品を商っている。食べる物から着るものからとい     ろいろです。甘露煮の食欲そそる香りが漂っている。

秋彼岸少し甘めに餡を練る  小正日向
おはぎの餡を作っている。少し甘めが家族の好みと心得ています。
三世代の熱き応援運動会  千草雨音
子供を孫を曾孫をと応援に出掛ける。子供への愛情を感じます。
辻ごとに甘栗売りや中華街  舞岡柏葉
中華街の天津甘栗の出店は多く出ています。私もついつい買ってしまいます。
  

今月の一言
押 韻 法
例 分け入っても分け入っても青い山         種田山頭火
「分け入っても」「分け入っても」と押韻
例 裏を見せ表を見せて散る紅葉              良寛
「見せ」「見せ」と押韻
例 先散りし後追ひ散るや花筏             翁山歩存
「散り」「散る」と押韻
例 一人踏み二人目も踏む初氷            ただの凡庸
「踏み」「踏む」と押韻
頭 韻
例 街角の風と売るなり風車              三好達治
「風」を頭韻して、玩具の風車を売るを「風を売る」と表している。

 

名月や一茶の影追う善光寺(岡田克子)              
(たま四不像)いかにも格調ある俳句らしい俳句のようなところがあると思い選びました。

甘さなし月見団子に冷やし酒(菊地 智)
(小正日向)甘さなしと冷やし酒がぴったりとあって、雰囲気が伝わります。

腹わたが好きという母秋刀魚焼く(たま四不像)  
(千草雨音)七輪で秋刀魚を焼いている景が目に浮かび、秋刀魚を焼いて食べたくなりました。かぼすをギュッと搾りかけて!

甘柿の食べ時を知る鴉の眼(千草雨音)
(森かつら)うちにも眼が来ています。 秋のひとコマ、いい句です。

秋の空あつけらかんとありにけり(たま四不像) 
(石 敬)正にそのとおりですね。素直で飾り気のない水彩画のような言葉回しが、景色の表情をうまく描いてますね。
(志摩光月)「あっけらかん」は、般若心経の「空」にも通じるものです。作者は、抜けるように高い空に、正に「空」を無意識のうちに 感じ取ったように思います。

唐黍の粒掻き食むはローカル線(石  敬)     
(翁山歩存)ローカル線での旅の雰囲気と情景がよく感じられる。

 迷ってた誘いに返事菊日和(小正日向)            
(境木権太)余り気の進まない集まりに返事を躊躇することはたまにあります。それを出席に決めさせたのが、爽やかな菊日和だったというのは上手です。

甘露煮の妣 ( はは ) から娘 ( こ ) へと秋彼岸(飯塚武岳)
(名瀬庵雲水)味醂と砂糖を程よく調節する等、家伝の味付けは料理人ならいざ知らず、核家族化した昨今では難しいことでは ?  女性ならではの " 視点 " で詠んだ秀句。季語の 「 秋彼岸 」 との " 取り合わせ " が、効果的。                        
(菊地 智)手料理の味は確実に受け継がれて行きます。

 からっぽの古墳につんと曼殊沙華(たま四不像)
(飯塚武岳)主のわからぬ荒れ果てた古墳。曼殊沙華だけが存在を自己主張しているような。 時空を超えた悠久の世界を感じる。                          
(真野愚雪)千数百年前の時間の果ての古墳に「からっぽの」という言葉が付いて、古墳は今という時間によみがえります。その遥かな時間の流れの中に真っ赤な花のいのちが静かに揺れています。

美学とは人それぞれや新豆腐 (岡田克子)                     
(舞岡柏葉)人には秘めたる信念、生き様があり、それが個性。十人十色だからこそ人の世は面白いということでしょうか。

秋茜すいと眼下に相模灘(真野愚雪)
(遊戯好楽)少し高台から見た紺碧の相模湾と秋晴れの青空に赤トンボが飛ぶ姿が目に浮かび、秋らしい句だと思いました。

第183回さわやかネット句会  (2019年8月)                  参加者:15名

 
 

■ 作 品

鬼やんま只見の風の自由人       翁山 歩存  最高点句

のと鉄道海に落ち込む稲の波      境木 権太  最高点句

この指をすっとすり抜け赤とんぼ    野路 風露

秋口やコンセントあるカフェ の席    岡田 克子

蓑虫や前向け抱っこの若き父      千草 雨音

勇壮な不知火型や大相撲        舞岡 柏葉

遠ざかる後ろ姿や風の盆        真野 愚説

天の川岸の向こうは父母の国      飯塚 武岳

一人居の寂しさ知るや虫時雨      菊地  智

夜学子の知らで通れぬ「資本論」    名瀬庵雲水

藪蘭とハヤシライスの日比谷かな    森 かつら

早稲酒や安倍の政治を肴とし      志摩 光月

知る季語の多寡を思えば秋の風     遊戯 好楽

誘導で地域デビュ ーの秋祭り      小正 日向

 


 
第183回さわやか句会特選句短評  


岡田克子選

特選  天の川岸の向こうは父母の国  飯塚武岳
下五に惹かれました。「父母の国」と言い切ったのが良かった。  亡き両親はあそこにいると確信。
 
雲海やこの朝ありご来光   ただの凡庸
  富士山の御来光。日の出に間に合うように夜明け前から山頂を 目指して登る。炎のようにオレンジ色が登ってくると聞きました。さぞかし神々しいと想像できます。

知床の岬めぐりや涼新らた   舞岡柏葉
秋となり岬からオホーツク海の眺めは、涼しさを感じる。
「涼新た」に。「ら」は不要。

遠ざかる後姿や風の盆 真野愚雪
越中八尾おわら風の盆。男おどり女おどりの列が目の前を通り過ぎて行ってもなお目で追う、だんだんと三味の音も遠のいて行く。

曼珠沙華温故知新の寺巡り 翁山歩存
四文字熟語はいかがのものと思いましたが、兼題が「知」なのでうまく使ったと思いました。「寺巡り」が効いています。

 今月の一言

  どんな句がよくて、どんな句が悪いのかは一概に言い切ることは出来ません。

句を通じて表現しようとした意図が相手に伝わる事が大切です、伝わらなければ話になりません。
いい句はまずわかりやすい句であることが第一条件でしょう。読み手に作者の意図が無理なく伝わることが大切です。誰が読んでもちんぷんかんぷんで、何を言っているのかよくわからないという句では困ります。

◎どんな内容か、情景かすぐ浮んでくる
◎説明だけで終わってしまうのは禁物
いい句の例  いくたびも雪の深さを尋ねけり     正岡子規
体の自由のきかなくなった子規が家族に雪の積もりを聞く。情景がみえます。

俳句は自作し、人の作品を読むことで徐々に上達していくものです。

 

二人旅かなかな時雨山の宿(境木権太)
(ただの凡庸)長年連れ添った奥様と二人で山里の静かな温泉宿に秋を感じます。

鬼やんま只見の風の自由人(翁山歩存)
(境木権太)初秋の爽やかな風に乗って会津の只見ダムの上を飛びまわる鬼やんまを「自由人}と呼んだところに感心ししました。
(舞岡柏葉)初めて尾瀬の湿原を歩いた時、只見川を見ました。雄大な大自然の中では、トンボはまさしく自由人になっているのでしょう。作者の只見がどこなのかはわかりませんが・・・。
(真野愚雪) 子供の頃あんなに身近にいたのに すっかり忘れてしまっていた 鬼ヤンマ、奥深い只見の里の秋風に乗って、少し得意気にスイスイ飛び回っています。それをわたしは羨ましそうに眺めているのです。

夜学子の知らで通れぬ「資本論」(名瀬庵雲水) 
(菊池 智)経済学最大の古典と承知していますが、まだ読んだことがありません。

落蝉の手足を擦りて命乞ひ(飯塚武岳)
(翁山歩存)落蝉が足を擦るのはもう最期の状態。それを命乞いと表したところが面白い。今日は7日目、あと一日…言うところだろうか。

秋口やコンセントあるカフェの席(岡田克子)
(千草雨音)景が目に浮かびます。最近このようなカフェが多くなりました。

のと電鉄海に落ち込む稲の波 (境木権太)
(志摩光月) 輪島付近の静かな棚田の情景が浮かぶ。「海に落ち込む稲の波」の表現に斬新さを感じた。
(小正日向)列車と海、波打っている稲との景色がポスターを見ているようです。
(飯塚武岳) 海岸線をのどかに走るローカル線と棚田からこぼれるように実った稲穂の景が浮かんできます。上手に詠まれています。

人生は二者択一や月仰ぐ(岡田克子)
(野路風露)いくつ二者択一の結果を悔いた事があったか、これも人生なんですね。

この指をすっとすり抜け赤とんぼ(野路風露)
(名瀬庵雲水)中七の " すっと " と " すり抜け " で、韻を踏んでいてリズム感があると思います。随分と、" 人懐こい " 蜻蛉だなぁと感じました。
(森かつら)さりげない一瞬を上手く切りとったいい 句だと思いました。

  まだ宴ほんのり紅き酔芙蓉(野路風露)
(遊戯好楽)酔芙蓉の一日に色の変化する性質を宴に例えてうまく詠めていると感じた。

第182回さわやかネット句会  (2019年6月)                  参加者:17名

 
 

■ 作 品

艶消しの文箱の脇に文字摺草     千草 雨音← 最高点句

漬け置きの豆の膨らむ梅雨の夜    岡田 克子
梅雨寒やエリート家族の深き闇     境木 権太
ゐもり這ふ寺に掲示の「出世間」    名瀬庵雲水
記憶消えし母の笑顔や梅雨に入る   野路 風露
皆どこへ行ったんだろう夏の雲     真野 愚雪
七夕に託す願いに枝垂れて      川瀬 峙埜
風に揺れ風に紛れる初とんぼ     ただの凡庸
梅干を作り続けて命継ぐ        たま四不像
灯り消し二人ではしゃぐ庭花火    小正 日向
短夜や消灯早き入院棟         舞岡 柏葉
消印の五月一日令和くる        飯塚 武岳
短夜や旅出の朝の鳥の声       志摩 光月
頂きは青空に溶け夏の富士      翁山 歩存
雨音を消すや一瞬雷落ちる      菊地  智
燈明が消え賑わいし宵の宮      石   敬
消したきは過ぎしし日々や半夏生   森 かつら

 


 
第182回さわやか句会特選句短評  

岡田克子選

特選  
    白扇に水茎の跡印の赤(千草雨音)
 白地の扇に墨で俳句等が描いて有り、作者の落款が押されている。品のある作品です。

    つるりつーん辛子の味の心太(ただの凡庸)
 上五が効いています。辛子を入れ過ぎた心太。読み手の鼻もつーんとさせました。

    艶消しの文箱の脇に文字摺草(千草雨音)
 文箱は手紙、書類等を入れる細長い箱。艶消しの漆塗りなのでしょう。
季語の「ねじり花」を「文字摺草」としたのが憎いです。季語との取り合せのイメージ距離間が上手です。

    皆どこへ行ったんだろう夏の雲(真野愚雪)
形の変わる雲を見ていて懐かしい人の顔に見えてくる。長い人生の間に色々の人達と出会ってきたが、今は消息がわからない。
回想句と捉えました。

   梅干を作り続けて命継ぐ(たま四不像)
先祖代々からの秘伝の梅干し作り。親から子へ孫へと永遠に。

今月の一言

     旧かなの使い方
うずくまる   → うずまくべく
い       → ゐ                       
そうめん    → さうめん
眠る      → 眠むれる
想い出匂う   → 想い出匂ふ
語りつくす   → 語りつくせん
ため息ついてる → ため息ついてみむ
夏来たる    → 夏は来ぬ
加え      → 加へ
消え      → 消ゆ        

 


皆どこへ行ったんだろう夏の雲(真野愚雪) 
(たま四不像)今回の自分的選句テーマは遠い昔の子供のころの夏休み、カーンとした暑い夏、音が吸い込まれるような夏の記憶が蘇る5句を選句。なかでもこの句は想像を促す句であった。愛読した谷内こうたの「のらいぬ」という絵本を思い出した。

雨上がり蜘蛛の囲珠の滴満つ)(千草雨音)
(翁山歩存)蜘蛛の巣に雨滴がたまになっているのを詠んでいると思うが、上手いところに着眼したと感じた。

雨音を消すや一瞬雷落ちる(菊地 智)
(小正日向)一瞬という表現で、雷が落ちる時の稲光と音の凄さをすぐ近くに感じることができる句だと思いました。

艶消しの文箱の脇に文字摺草(千草雨音)
(名瀬庵雲水〉捩花の傍題としての文字摺草を初めて知りました。机の上に、文箱と花瓶に活けられた捩花がある状況か? " 脇に "  の、 " に " が気になります。 上五の言葉を変え、上五、中七の繋ぎは " の " にせず、中七と下五の繋ぎに " の " を使いたい。
(舞岡柏葉)けいがよくわかります。文箱、文字摺草の「文」の配置が美しい。
(ただの凡庸)落ち着きと静かさを感じる句。 大好きです。 このような句を作れるようになりたいです。
(川瀬峙埜)文字摺草とは奇妙な草ですね。調べるとよじれて花が咲いて行く面白い草です。 艶消しの文箱は、とてもストイックで理想の高さを感じます。脇に置かれたねじれて咲く 文字摺草 とは書いては消し、 書いては 消し出来上がった俳句を謙遜して象徴しているかのように感じます。
(野路風露)艶消しの文箱と文字摺草の取り合わせが素敵です。

記憶帰依し母の笑顔や梅雨に入る(野路風露)   
(菊池 智)連れ合いの記憶がどんどん薄れてゆく中、笑顔は忘れません。身につまされます。

梅雨寒やエリート家族の深き闇(境木権太)
(千草雨音)時事句。見事です。やり切れない思いが重なります                
(森かつら) エリート家族、5080、高齢ドライバー、今の日本の大問題が伝わる、いい句です。

短夜や消灯早き入院棟(舞岡柏葉)
(飯塚武岳)病棟の消灯は早い。まだ眠くも無いのに手持無沙汰になる。 退屈な時間をどう過ごすか・・・。

灯り消し二人ではしゃぐ庭花火(小正日向)
(石  敬)若いなぁ〜、いいですねぇ〜、新婚時代?、懐かしいですね、自分にもそんな時代があったことを思い出させてくれました。

頂きは青空に溶け夏の富士(翁山歩存)
(境木権太)夏富士の山頂の雪が溶け、青い地肌が見えてきて、青空 に溶け込みそうに見える。 「溶け」を上手く使った句です。

漬け置きの豆の膨らむ梅雨の夜(岡田克子)
(真野愚雪)重く湿った深い闇、その底で密やかに息づく不思議な生命の力・・・日常の時間の深層を流れる時間へと想いは導かれてゆきます。


第181回さわやかネット句会  (2019年5月)                  参加者:17名

 
 

■ 作 品

紅薔薇や小指の傷の脈の音         飯塚 武岳  最高点句

役者絵の首のディフォルメ梅雨兆す     舞岡 柏葉
傘ささぬ山手の異人走り梅雨         川瀬 峙埜
きらきらり江戸切子杯夏が来る        たま四不像
役終へし免許返納清和かな          翁山 歩存
子面の役になりきる夏袴            名瀬庵雲水
恨めしき役者の顔や夏芝居          境木 権太
区役所の地下に図書館夏浅し        岡田 克子
現役をふと懐かしむ更衣             ただの凡庸
葭簀より映りし光数えたり           石   敬
悪役の末路じたばた夏芝居          真野 愚雪
夏の蝶赤子の声す昼下がり          志摩 光月
「かんにんどすえ」と声かけられし夏の旅   千草 雨音
愛でる人無く鉢あふれアマリリス      菊地  智
切り抜きや今日も役立ち蕗を煮る      小正 日向
緑陰に翼震わせ白孔雀            野路 風露
独り身の揺らぐはこころ小判草        森 かつら


   

第181回さわやか句会特選句短評  

岡田克子選

特選  紅薔薇や小指の傷の脈の音 (飯塚武岳)
 読み手の小指もずきずきさせる。「脈の音」が妙でした。

     きらきらり江戸切子杯夏が来る(たま四不像)
 何のスポーツか忘れましたがテレビでチラッと見ました、江戸切子のトロフィーがとてもキレイで印象的でした。季語も効いています。

    現役をふと懐かしむ更衣(ただの凡庸)
 制服の有る職務についていたのでしょうか。一斉に夏服に着替えた昔を懐かしむと同時に仕事仲間の顔が浮かぶ。

    役者絵の首のデイフォルメ梅雨兆す(舞岡柏葉))
 そく、写楽の役者絵が浮びました。中七の措辞が良かった。

    切り抜きや今日も役立ち蕗を煮る(小正日向)
 新聞等の今日の料理の欄をいつか役立つのではと丹念に切り抜きする作者。 今日は蕗を買い求めさっそく切り抜きした「美味しく蕗を煮る」を参考に家族の美味しいねの言葉を聞きたくて蕗を煮る。

今月の一言

切字は定型を身につけるに欠かせない。 三大切字「や」「かな」「けり」

 石田波郷は「諸君は無理にでも、や、かな、けり、を使へ」と言っています。
但し、切字は一句に一つです。上五の「や」中七の「や」下五の「や」、だけでなく中七に置く場合もあります。芭蕉は「四十八字皆切字なり」と言っています。 
俳句は奥が深いんです。
例  遠足や教師の重き救具箱   境木権太
例  ままごとの店に並ぶや落ち椿   小正日向
例  春の雨仏具磨きて過しけり   志摩光月
例  露玉に潤む草木穀雨かな   翁山歩存
例  はるばると桜の山の出羽路かな   真野愚雪

 


区役所の地下に図書館夏浅し(岡田克子)                         
(たま四不像)今回はどれも「わかりやすさがある句」を選んだ。わかりやすさは「それがどうした」とか「説明的」になりがちだが、この句は「夏浅し」という季語で雰囲気と臨場感がでて、わかりやすい=常套句になるのを救っているように感じた。

夏衣主役を取りし衣文欠け(石 敬)
(ただの凡庸)薄着になり衣文掛けを使わなくなった。からの衣文掛けを主役に表現した面白い句だと思いました。

寅彦の生家のあとや夏来たる (たま四不像)
 (志摩光月) 漱石の明治時代を彷彿させると共に、我輩は猫であるを読んだ学生時代が 蘇って来ました。

役者絵の首のディフォルメ梅雨兆す(舞岡柏葉)
(名瀬庵雲水)凡そ俳句には馴染まないと思われる " ディフォルメ " と言う語を用いたのが、興味深い。パロディーの一種なのでしょうか ? 俳句的には " デフォルメ " で良いのかも知れません。

「ごめんね」と幼女は草を引ひており(名瀬庵雲水)
(千草雨音)優しさを絵に描いたような俳句に、優しい気持ちにさせられました。 

紅薔薇や小指の傷の脈の音(飯塚武岳)
(境木権太)美しい紅薔薇には思わず触ってみたくなるものです。チクリと痛みを感じて、小指に薔薇の紅のような真っ赤な血が僅かに滲んだのを見て、自分の脈の音を感じた細かな観察眼に感心
しました。
(野路風露)心臓の鼓動が聞こえて来るようです。薔薇と小指の組合せが良いですね。

役終へし免許返納清和かな(翁山歩存)
(飯塚武岳)高齢となり車の免許証を返納したのだろう。葛藤もあったと思うが気持ちもスッキリして爽やかになったという。他人事ではないので共感しました。

きらきらり江戸切子杯夏が来る(たま四不像)   
(石 敬)ガラスの音の響きも聞こえます。Ra、Riの音が次々重なり続くところが効いてますね。

諏訪の湖植田取り込み広がりぬ(境木権太) 
(翁山歩存)諏訪湖の周辺の田に苗が植えられ 、湖と一体になって広がりが感じられるところが良い。                                       
(真野愚雪)諏訪湖の風景は記憶の中に納まっていますが、植田がひとつになって広がる風景は見たことがありません。心が空と水に洗われるようなその風景の前に立ちたいと思いました。

母逝きて慈愛(いつく)し庭に雑草(くさ)茂る(ただの凡庸)
(菊池 智)雑草の生命力は想像以上にすごいものです。我が家の狭庭もまさにこの状態です。腰を上げるのが面倒?

額の花吾に謙虚を説きたまい (真野愚雪)
 (森かつら)謙虚ではない人、面白い句。

傘ささぬ山手の異人走り梅雨(川瀬峙埜)
(舞岡柏葉)イギリス人はステッキ代わりに傘を持ち歩きながら、多少の雨なら差さないないとか。横浜の山手ならさもありなんと思いました。視点がユニークで面白い。。

ライオンの尻だけ写る夏の旅 (岡田克子)

(川瀬峙埜)旅は出かける前はワクワクしますが帰って来ると思い出は期待していたほどでもありま
せんそんな状況をユーモラスに表現しています。

 
 

吟行句会(第108回あすなろ句会)              5月23日 野毛動物園 参加者10名


■ 作 品

若葉食む麒麟の首のぐいと伸び   飯塚武岳  最高点句

ねずみ抱く子等の笑顔や五月晴   小正日向
片目開けトラの寝顔や風薫る     野路風露
コンドルの岩の孤影や薄暑光     舞岡柏葉
フラミンゴの脚の細さや若葉風    真野愚説
コンドルの耳の穴見え夏の空     岡田克子
新緑を風と歩みし野毛の坂      石  敬
檻の前遠足の子の脚止る       翁山歩存
羽広げ孔雀が飛んで夏の空      大野たかし 
フラミンゴキリンと並ぶ白十字     志摩光月


 
 
 

第180回さわやかネット句会  (2019年4月)                  参加者:17名

 
 

■ 作 品

表具師の作業無駄なし柿若葉       千草雨音  最高点句
茶道具の自慢話や山笑う           飯塚武岳  最高点句

ままごとの店に並ぶや落ち椿        小正日向
夫の夜具直す余寒や朝まだき       真野愚雪
鼻欠けたビクターの犬木の芽雨      岡田克子
日は斜め一人静の白極む         菊地 智
春の雨仏具磨きて過ごしけり        志摩光月
包丁のどんと三浦の春大根(だいこ)   たま四不像
住処とて有りや無しやと百千鳥       名瀬庵雲水
家具の後白き畳に風入る          ただの凡庸
黒海苔の干したるかをり柴漁港       森 かつら
花は葉の京より集う仏らが          石  敬
絵の具箱揺らして登る桜山         川瀬峙埜 
藤房や日毎に垂れる長さかな       境木権太
絵の具混ぜたパステルカラー夏木立   舞岡柏葉
新隊員の初外出や街うらら         翁山歩存
牡牛座の貴方に贈る紅の薔薇       遊戯好楽

   

第180回インターネット句会特選句短評  

岡田克子選

特選  表具師の作業無駄なし柿若葉(千草雨音)
       軸物、屏風、ふすまなど仕上げる職人さん。本ふすまの張替を見た事がありました。手     際よく仕上げていきました。「作業無駄なし」の措辞が良かった。
     茶道具の自慢比べや山笑う(飯塚武岳)
       水さし、棗、茶碗、茶筅などを友人達としっかりと見定めている景。
     季語が効いています。
     春の雨仏具磨きて過しけり((志摩光月)
       外はやわらかい春の雨の降る日。仏壇のまえに座り、先ずは位牌からつぎにおりんを     磨いていく。心安らかなひねもす。
     草月の活ける驛舎や緑摘む(名瀬庵雲水)
       生け花の流派の草月流。活花の近くには色紙が掛けてあり俳句などが書いてある。こ     の「驛舎」で駅の佇まいが伺われて良かった。センスがいい。
     包丁のどんと三浦の春大根(たま四不像))
       「どんと」で大根の大きさが想像できる。活写がありました。
今月の一言
     一句一章は、一物仕立て
     何々の   季語・何が  どうした
     例 くるがねの  秋の風鈴   鳴りにけり    飯田蛇笏
     例  大輪の    椿の花に  小鳥くる     大野たかし   

     どうして  下五の説明   季語               
     例 をりをりて はらりとおもき  すすきかな   飯田蛇笏
     例 かすれ清し  万葉仮名の   春書展     千草雨音   

     どこで   どうして    どうした
     例 水面に   浮き上がらずに  水母浮く    茨木和生
     例 烏帽子岩を  飲み込む卯波  荒ぶるる    舞岡柏葉


(特選句短評)

ままごとの店に並ぶや落ち椿(小政日向)
(ただの凡庸)落ち椿を拾ってままごとをしている小さな女の子の姿が見えてくる。 

絵具箱ゆらして登る桜山(川瀬峙埜)                          
(たま四不像)この句を選んだのは非常にシンプルだったから。シンプルな句には「わかりやすい」という強みがある。この句からもそれを感じられた。単純とか簡単なだけでは幼稚となりがちだが、この句は桜の絵を描きたいワクワク感などシンプルな句の裏にさまざまな思いが見え、その状況も情景もこちらに伝わった。

日は斜め一人静の白極む(菊池 智)
(千草雨音)朝の陽射しでしょうか?わずかな光の中で一人静の小さな花の白が清らかに極まっている。息をのむような光景ですね!

包丁のどんと三浦の春大根(たま四不像)
(飯塚武岳)三浦大根を豪快に料理している様が気持ちよく表現されている。 

表具師の作業無駄なし柿若葉(千草雨音)                               
(舞岡柏葉)どの職種でも職人さんのメリハリのある仕事ぶりは思わず見とれてしまいますね。多分寡黙な職人さんの巧みな技だったのでしょう。

夫の夜具直す余寒や朝まだき(真野愚雪)
(名瀬庵雲水)余寒を感じながら夫の夜具を直す配慮、目に浮かびます。朝まだきは、例句として、幾つか有るようですが、上五、中七を受け下五としてぴったりの言葉選びだと思います。    
(菊地 智)細やかな愛情 風邪などひかないように見守っ 

花は葉の京より集う仏らが(石 敬)                           
(翁山歩存)京都東寺の仏像が東京で展示されていることを 詠んだものと思われる。意表を突いた発想がよい。

茶道具の自慢比べや山笑う(飯塚武岳)
(遊戯好楽)茶道具の自慢と季語の山笑うがうまくマッチしている。             
(川瀬峙埜)「 山笑う 」という季語に対して 自慢比べ を 対応させた事が 俳諧味あり

洋館を若返らせし蔦若葉(千草雨音)
(森かつら)若葉が若返らせた古い洋館洒落た一句                     
(境木権太)壁に纏った蔦の瑞々しい若葉が古い洋館を若返らせたと見る情景描写が巧み。

川の上風と戯る鯉の群れ(ただの凡庸)
(石 敬)景色が目に浮かびますね。光る川面の上に張られたいっぱいの鯉幟が風に吹かれ、まるで 泳いでいるような姿を、今日テレビで見たばかりです。

春の雨仏具磨きて過ごしけり(志摩光月)
(真野愚雪)平易な言葉の組み合わせでありながら、しっとりと充たされた日常の時間が よく表わされています。自分の生活には、もはや喪われてしまったこの句の世界に センチメンタルな郷愁を覚えます。

鼻欠けたビクターの犬木の芽雨 (岡田克子)
(志摩光月)田舎の古い大きな家、静けさ、物思いに耽る気品のある老齢の人。 情景豊かな句と思います。

黒海苔の干したるかおり柴漁港(森かつら)
(小正日向)潮風が感じられ景色を一緒に見てるようです。


 
 

第179回さわやかネット句会  (2019年3月)                  参加者:18名

 
 

■ 作 品

八百年(やほとせ)の時もたまゆら西行忌     真野 愚雪   最高点句
火葬場のまつすぐ上は木芽晴             たま四不像
春時雨走る背(そびら)に千の粒           翁山 歩存
秒針の動き緩やか日永かな                飯塚 武岳
遍路行く芝居の幟続く路                境木 権太
花冷えや時計の針の音響く              志摩 光月
八十路過ぎ蘖萌芽時を継ぐ              菊地  智
夜桜や十六両の窓灯                  森 かつら
はしゃぐ子の口に飛び込む散る桜          小正 日向
大山の稜線太し目借時                 舞岡 柏葉 
線香の煙眼で追ふ春彼岸              岡田 克子 
被災後に初めて産まる仔馬立つ          千草 雨音
身体折りくさみ続けて花見かな           川瀬 峙埜
冴え返る煌めく星の露天風呂            遊戯 好楽
うぐひすの谿より出でて法(のり)のこゑ      名瀬庵雲水
大道の火を吹く芸や桜舞う              野路 風露
夕闇に導きたりし花明かり              石   敬
大岡川肩にひとひら初桜               ただの凡庸

   

第179回インターネット句会特選句短評  
 

 岡田克子選

特選  夜桜や十六両の窓灯(森かつら)
       夜桜見物に。近景に桜そして遠景には丁度新幹線が走り去っていった。
     ライトアップされた桜の灯りと動く新幹線の窓の灯りが幻想的です。

     単調な講師の声や目借時(飯塚武岳)
      単調な声は子守唄となって、そうでなくとも春は眠気が襲ってきます。           
     兼題を上手に使っていました。

     時越えて都踊りはよーいやさ(千草雨音)
      舞子さんのういういしさと華やかさが浮びます。「時越えて」が効いています。「都をどり」
     に。

     遍路行く芝居の幟続く路(境木権太)
      四国の遍路道の中途に、四国こんぴら歌舞伎開催の幟が風にはためく中を横目に次の
     札所へ黙々と歩き続ける。

     蒲公英の数をかぞえて塾の道(たま四不像)
      子供の頃の追憶でしょうか。あまり見かけなくなった日本蒲公英、西洋蒲公英が多いです
     ね。たんぽぽの句と言ったら次の句が浮びます。

     たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ   坪内稔典
     

     今月の一言
     二句一章とは取り合せ仕立て

    季語・や  誰が・何が  どうした
例 蛍火や   少年の肌   湯の中に   飯田龍太
    季語・や  何がどこに  何がどうした
例 菜の花や  月は東に   日は西に    蕪村
    季語・や  下五の説明   名詞
例 行く春や  ほのぼののこる 浄土の図   水原秋櫻子


(特選句短評)

秒針の動き緩やか日永かな(飯塚武岳)          
(たま四不像)「時」とはもちろん物理的な時間もありますが、気分によっても年齢によっても行動によっても感じ方が変わります。その「秒針までが穏やかに過ぎる」ように感じたことを、「日永」という季語で表したのは素晴らしい気づきと思いました。

春時雨走る背 ( そびら ) に千の粒(翁山歩存)
(名瀬庵雲水)" 千の粒 " と詠んだのが効果的。粒として認識できるのであれば、雨は然程 ( さほど )でもないのか。" 千の粒 " で雨足の強い状況を詠むのであれば、春驟雨の方が合うか。

八百年(やほとせ)の時もたまゆら西行忌(真野愚雪)                   
(菊池 智)日本語は美しいですね!悠久の時の流れから見れば800年は暫時です。奇しくも忌日は3月21日東京で開花宣言が出た日です。                                  (翁山歩存)全体の詩の流れもよく、時の経つ速さがたまゆらでよく表れていると思う。          
(舞岡柏葉)現代でも愛されている西行の若。800年の時空もたまゆら(わずかな時間)ととらえている作者。そして我々の100年の生涯など・・・という感慨でしょうか。         
(飯塚武岳) 桜をこよなく愛した西行が没して八百年。過ぎてみれば一瞬。今年もまた桜の季節が廻ってきたが、世の無常、はかなさをうまく詠んでいる。
 
 蒲公英の数をかぞえて塾の道 (たま四不像)
(森かつら)子ども達が花を数える姿がうかびます。

華を競う花に早生(わせ)あり晩生(おくて)あり(翁山歩存)
(遊戯好楽)花見してた時 咲き誇っている花とまだ蕾のを見たときの情景を思い、
自分も歌いたかった状況を上手に詠んでいるいると思い戴きました。

里暮れてはくれん仄と灯りおり(真野愚雪)
(千草雨音)夕闇に咲くはくれんを、こんなに美しく表現されたことに感じ入っております。
「はくれん」と仮名を使われたのも、また心憎いです。

八十路過ぎ蘖萌芽時を継ぐ(菊池 智)
(ただの凡庸)庭木のひこばえを見て時代の流れを感じた。作者の気持ちが分かるような気がした。

風光るしだれ桜の枝の先(志摩光月)                            
(石  敬)きらきらときらめく川面につくかつかぬかと垂れそよぐ枝先に、 風が光ると表現するとは、秀逸な句ですね。

身体折りくさみ続けて花見かな(川瀬峙埜)
(小正日向)くしゃみをしている方の様子が見えるようです。

春時雨走る背(そびら)にの粒(翁山歩存)
(境木権太)変わりやすい春の天気。俄かに振り出した時雨に慌てて 雨宿りに走る人かそれとも犬か動物か。その背中は無数の雨粒に濡れている。「背」を「そびら」と読ませ、無数の雨粒を「千」と表現したことに感心しました。浮世絵の大橋の状況を髣髴とさせます。

花冷えや往時を偲ぶ能舞台(境木権太)
(野路風露) 花冷えと能舞台がとてもよくあうと思いました。

火葬場のまっすぐ上は木芽晴(たま四不像)
(真野愚雪)作者は 目の前に広がる普段の生活の風景をまっすぐ見つめます。そして、そこには日常の中にある生と死の姿がそのままあります。

(川瀬峙埜)悲しみを通り越して乾いた感じがします。きっと大往生なのでしょう。「死」という事実

が句の中では何かユーモラスにも感じます。火葬場の上は天国でしょうか?


   


 
 

第178回さわやかネット句会  (2019年2月)                  参加者:18名

 
 

■ 作 品

痛みとて生くる証や春疾風        名瀬庵雲水   最高点句 

芽柳の京の老舗の金平糖        千草雨音
菜の花や園児の帽子見えかくれ     志摩光月
仮設所の軒端華やぐ吊るし雛      境木権太
永平寺の僧の蹠(あしうら)春障子    岡田克子
笑み浮かべ古き雛や母の影       野路風露
ほくほくと土筆のならぶ畔の道      ただの凡庸
のどけきや妻の小言もよく響き      真野愚雪
ドイツミサ春の寒さをやさしくす      たま四不像
古書街や少し早目の春セーター     舞岡柏葉
蕗の薹天を窺い顔を出し         飯塚武岳
苺パフェ平らげ匙も舐める舌       川瀬峙埜
マスクしてマスクを避(よ)ける診療所  翁山歩存
片付けてまた出して着て春時雨     石  敬  
祖母尋ぬ杣家を囲む山笑ふ       遊戯好楽
宴会も平和のあかし花見かな      小正日向
あれこれと悩みは尽きぬ木の芽どき  森かつら
曇天に平野も雪の注意報        菊地 智

   

第178回インターネット句会特選句短評  
 

 岡田克子選

特選  横浜の海とショパンと春の雲(たま四不像)
     山下公園から穏やかな海を見るのが好きです。句全体に癒しを感じました。
    ショパンのワルツのせいでしょうか。季語がふんわりと幸せにしてくれました。

     平成の想ひ出乗せて春が行く(ただの凡庸)
     小渕さんが「平成であります」とついこの間に聞いて様に思います。
    アット言う間に平成も30年4か月で終わります。嬉しいことも悲しいこともありました。この句    の様に春風が平成の想い出を乗せていきます。
  これも別れの句。

     菜の花や園児の帽子見えかくれ(志摩光月)
     菜の花畑に遠足の景が浮びます。菜の花の丈と園児の背の丈が
    どっこいどっこいなんですね。 下五が良かった。

     空青き菜の花の海に飛び込む(野路風露)
     空は青いし菜の花畑は黄色一色できれいだし、おもわず海のようだ
    と飛び込んだ心象句。作品が青春しています。

     人波の川面に映る花見かな(志摩光月)
     内容は簡単ですが、大岡川沿いの花見時はまさしくこの様な感じです。  素直な句です。

    今月の一言
   助詞力をアップする 
 
   「で」=原因、結果となる、なるべく使わない方が良い。
   「は」=取り出したひとつのたとえ「空は茜色」とか。
   「を」=時間、空間を現わす。
   「に」=きづき、場所。
   「へ」=動きの方向、句に動きが出る。


(特選句短評)

苺パフェ平らげ匙を舐める舌(川瀬峙埜)
(千草雨音)とても美味しい苺パフェだったのでしょう!「匙を舐める舌」に子供の表情が目に浮かびます。

山吹や平成の日々しめにけり(志摩光月)
(ただの凡庸)山吹の花ことばを調べたところ「気品・崇高」でした。平成が終わることを上手に詠んだと築きました。

草餅のかわく仏間で眼鏡とる(岡田克子)
(たま四不像)毎日の繰り返しである生活を句にするのはなかなか難しい。その点、食べ物を季語にすると季節感が良く出る。この句はそういう意味でも面白いと感じた。「草餅のかわく」で季節感がでて、それが「仏間」という特別の場所、「眼鏡とる」で作者の登場により現実味が伝わる。「かわく草餅」に「仏間」そしてなぜか「眼鏡をとる」、この意外性の連続が余韻となり物語的想像が浮かぶ句であった。

蕗の薹天を窺い顔を出し(飯塚武岳)           
(翁山歩存)春が近づき蕗の薹が芽生える雰囲気をうまく表現していると思いました。 

のどけさや妻の小言もよく響き(真野愚雪)
(境木権太)いつもの妻の小言もうららかな春の陽気の中ではのどかに響きます。幸せな家庭の日常を巧みに詠んでいます。

ほくほくと土筆のならぶ畔の道(ただの凡庸)
(遊戯好楽)土筆の並ぶ様子を「ほくほくと」がなんとなく春の温かさを感じた。

痛みとて生くる証や春疾風 (名瀬庵雲水)

(森かつら)春疾風・・春先に吹く強い風の呼び名のひとつ・・勉強になりました。
痛みは暖かくなるにつれ和らぐと詠みました。

永平寺の僧の蹠(あしうら)春障子(岡田克子)
(菊池 智)只管打坐ひたすら座禅する僧静かな雰囲気の中障子を通し柔らかな春の訪れが描かれています。

笑み浮かべ古き雛や母の影(野路風露)
(舞岡柏葉)幼い日に両親が娘の幸多き人生を願い求めた雛のでしょう。小さかった頃気が付かなかった古き雛の笑みに母の面影を発見した喜びの情景が目に浮かびます

マスクしてマスクをを避(よ)ける診療所(翁山歩存)
(名瀬庵雲水)冬の季語ですが、滑稽さを感じます。自分も同じ事を無意識にしているかも。
 病院や医院でなく診療所にしたところは、語呂も良く、味わいのある句 になったと思います。

菜の花や園児の帽子見えかくれ(志摩光月)
(小正日向)園児たちのはしゃぐ声が聞こえてくる黄色く染まる菜の花畑が見えるようです。

仮設所の軒端華やぐ吊るし雛(境木権太)
(飯塚武岳)被災地の仮設所で暮らす人々にも春は巡ってきます。吊るし雛が厳しい生活を癒し希望をもたらしてくれます。生きることへの逞しさ明るさが感じられます。
(野路風露)吊るし雛が元気を与えてくれると良 いですね。

碓氷とけて相模の風土記かな(たま四不像)
(川瀬峙埜)古い昔の歴史の謎が少しずつ氷が解けていくように分かっていくのはなんだかワクワクして清々しい春を迎えたような気分ですね。 

空青き菜の花の海に飛び込む(野路風露) 
(石 敬)景色への感動、気持ちの躍動が伝わる生き生きしたテンポのいい句ですね。ドーンと飛び込みたくなる一面の黄色い花畑、先日皆で行った南房総の情景です。

若鮎や前行く子らの長き脚 (千草雨音)                
(志摩光月)季語の選択がよく、また 詠み手の心情を含め状況がよく見える秀句と思います。

 ドイツミサ春の寒さをやさしくす(たま四不像)
 
(真野愚雪) しらべて意味を知る前に、先ず「ドイツミサ」という異教的な憧れを掻き立てるようなことばに引き付けられます。それが 凛とした「春の寒さ」と共鳴し合って清しく響きす。個人的な嗜好では「やさしゅうす」とよみたいです。

 


   

 
 

第179回さわやかネット句会  (2019年3月)                  参加者:18名

 
 

■ 作 品

八百年(やほとせ)の時もたまゆら西行忌     真野 愚雪   最高点句
火葬場のまつすぐ上は木芽晴             たま四不像
春時雨走る背(そびら)に千の粒           翁山 歩存
秒針の動き緩やか日永かな                飯塚 武岳
遍路行く芝居の幟続く路                境木 権太
花冷えや時計の針の音響く              志摩 光月
八十路過ぎ蘖萌芽時を継ぐ              菊地  智
夜桜や十六両の窓灯                  森 かつら
はしゃぐ子の口に飛び込む散る桜          小正 日向
大山の稜線太し目借時                 舞岡 柏葉 
線香の煙眼で追ふ春彼岸              岡田 克子 
被災後に初めて産まる仔馬立つ          千草 雨音
身体折りくさみ続けて花見かな           川瀬 峙埜
冴え返る煌めく星の露天風呂            遊戯 好楽
うぐひすの谿より出でて法(のり)のこゑ      名瀬庵雲水
大道の火を吹く芸や桜舞う              野路 風露
夕闇に導きたりし花明かり              石   敬
大岡川肩にひとひら初桜               ただの凡庸

   


第179回さわやかネット句会  (2019年3月)                  参加者:18名

 
 

■ 作 品

八百年(やほとせ)の時もたまゆら西行忌     真野 愚雪   最高点句
火葬場のまつすぐ上は木芽晴             たま四不像
春時雨走る背(そびら)に千の粒           翁山 歩存
秒針の動き緩やか日永かな                飯塚 武岳
遍路行く芝居の幟続く路                境木 権太
花冷えや時計の針の音響く              志摩 光月
八十路過ぎ蘖萌芽時を継ぐ              菊地  智
夜桜や十六両の窓灯                  森 かつら
はしゃぐ子の口に飛び込む散る桜          小正 日向
大山の稜線太し目借時                 舞岡 柏葉 
線香の煙眼で追ふ春彼岸              岡田 克子 
被災後に初めて産まる仔馬立つ          千草 雨音
身体折りくさみ続けて花見かな           川瀬 峙埜
冴え返る煌めく星の露天風呂            遊戯 好楽
うぐひすの谿より出でて法(のり)のこゑ      名瀬庵雲水
大道の火を吹く芸や桜舞う              野路 風露
夕闇に導きたりし花明かり              石   敬
大岡川肩にひとひら初桜               ただの凡庸

   

第179回インターネット句会特選句短評  
 

 岡田克子選

特選  夜桜や十六両の窓灯(森かつら)
       夜桜見物に。近景に桜そして遠景には丁度新幹線が走り去っていった。
     ライトアップされた桜の灯りと動く新幹線の窓の灯りが幻想的です。

     単調な講師の声や目借時(飯塚武岳)
      単調な声は子守唄となって、そうでなくとも春は眠気が襲ってきます。           
     兼題を上手に使っていました。

     時越えて都踊りはよーいやさ(千草雨音)
      舞子さんのういういしさと華やかさが浮びます。「時越えて」が効いています。「都をどり」
     に。

     遍路行く芝居の幟続く路(境木権太)
      四国の遍路道の中途に、四国こんぴら歌舞伎開催の幟が風にはためく中を横目に次の
     札所へ黙々と歩き続ける。

     蒲公英の数をかぞえて塾の道(たま四不像)
      子供の頃の追憶でしょうか。あまり見かけなくなった日本蒲公英、西洋蒲公英が多いです
     ね。たんぽぽの句と言ったら次の句が浮びます。

     たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ   坪内稔典
     

     今月の一言
     二句一章とは取り合せ仕立て

    季語・や  誰が・何が  どうした
例 蛍火や   少年の肌   湯の中に   飯田龍太
    季語・や  何がどこに  何がどうした
例 菜の花や  月は東に   日は西に    蕪村
    季語・や  下五の説明   名詞
例 行く春や  ほのぼののこる 浄土の図   水原秋櫻子


秒針の動き緩やか日永かな(飯塚武岳)          
(たま四不像)「時」とはもちろん物理的な時間もありますが、気分によっても年齢によっても行動によっても感じ方が変わります。その「秒針までが穏やかに過ぎる」ように感じたことを、「日永」という季語で表したのは素晴らしい気づきと思いました。

春時雨走る背 ( そびら ) に千の粒(翁山歩存)
(名瀬庵雲水)" 千の粒 " と詠んだのが効果的。粒として認識できるのであれば、雨は然程 ( さほど )でもないのか。" 千の粒 " で雨足の強い状況を詠むのであれば、春驟雨の方が合うか。

八百年(やほとせ)の時もたまゆら西行忌(真野愚雪)                   
(菊池 智)日本語は美しいですね!悠久の時の流れから見れば800年は暫時です。奇しくも忌日は
3月21日東京で開花宣言が出た日です
(翁山歩存)全体の詩の流れもよく、時の経つ速さがたまゆらでよく表れていると思う。          
(舞岡柏葉)現代でも愛されている西行の若。800年の時空もたまゆら(わずかな時間)ととらえている作者。そして我々の100年の生涯など・・・という感慨でしょうか。         
(飯塚武岳) 桜をこよなく愛した西行が没して八百年。過ぎてみれば一瞬。今年もまた桜の季節が廻ってきたが、世の無常、はかなさをうまく詠んでいる。
 
 蒲公英の数をかぞえて塾の道 (たま四不像)
(森かつら)子ども達が花を数える姿がうかびます。

華を競う花に早生(わせ)あり晩生(おくて)あり(翁山歩存)
(遊戯好楽)花見してた時 咲き誇っている花とまだ蕾のを見たときの情景を思い、
自分も歌いたかった状況を上手に詠んでいるいると思い戴きました。

里暮れてはくれん仄と灯りおり(真野愚雪)
(千草雨音)夕闇に咲くはくれんを、こんなに美しく表現されたことに感じ入っております。
「はくれん」と仮名を使われたのも、また心憎いです。

八十路過ぎ蘖萌芽時を継ぐ(菊池 智)
(ただの凡庸)庭木のひこばえを見て時代の流れを感じた。作者の気持ちが分かるような気がした。

風光るしだれ桜の枝の先(志摩光月)                            
(石  敬)きらきらときらめく川面につくかつかぬかと垂れそよぐ枝先に、 風が光ると表現するとは、秀逸な句ですね。

身体折りくさみ続けて花見かな(川瀬峙埜)
(小正日向)くしゃみをしている方の様子が見えるようです。

春時雨走る背(そびら)にの粒(翁山歩存)
(境木権太)変わりやすい春の天気。俄かに振り出した時雨に慌てて 雨宿りに走る人かそれとも犬か動物か。その背中は無数の雨粒に濡れている。「背」を「そびら」と読ませ、無数の雨粒を「千」と表現したことに感心しました。浮世絵の大橋の状況を髣髴とさせます。

花冷えや往時を偲ぶ能舞台(境木権太)
(野路風露) 花冷えと能舞台がとてもよくあうと思いました。

火葬場のまっすぐ上は木芽晴(たま四不像)
(真野愚雪)作者は 目の前に広がる普段の生活の風景をまっすぐ見つめます。そして、そこには日常の中にある生と死の姿がそのままあります。

(川瀬峙埜)悲しみを通り越して乾いた感じがします。きっと大往生なのでしょう。「死」という事実

が句の中では何かユーモラスにも感じます。火葬場の上は天国でしょうか?


   


 
 

第178回さわやかネット句会  (2019年2月)                  参加者:18名

 
 

■ 作 品

痛みとて生くる証や春疾風        名瀬庵雲水   最高点句 

芽柳の京の老舗の金平糖        千草雨音
菜の花や園児の帽子見えかくれ     志摩光月
仮設所の軒端華やぐ吊るし雛      境木権太
永平寺の僧の蹠(あしうら)春障子    岡田克子
笑み浮かべ古き雛や母の影       野路風露
ほくほくと土筆のならぶ畔の道      ただの凡庸
のどけきや妻の小言もよく響き      真野愚雪
ドイツミサ春の寒さをやさしくす      たま四不像
古書街や少し早目の春セーター     舞岡柏葉
蕗の薹天を窺い顔を出し         飯塚武岳
苺パフェ平らげ匙も舐める舌       川瀬峙埜
マスクしてマスクを避(よ)ける診療所  翁山歩存
片付けてまた出して着て春時雨     石  敬  
祖母尋ぬ杣家を囲む山笑ふ       遊戯好楽
宴会も平和のあかし花見かな      小正日向
あれこれと悩みは尽きぬ木の芽どき  森かつら
曇天に平野も雪の注意報        菊地 智

   

第178回インターネット句会特選句短評  
 

 岡田克子選

特選  横浜の海とショパンと春の雲(たま四不像)
     山下公園から穏やかな海を見るのが好きです。句全体に癒しを感じました。
    ショパンのワルツのせいでしょうか。季語がふんわりと幸せにしてくれました。

     平成の想ひ出乗せて春が行く(ただの凡庸)
     小渕さんが「平成であります」とついこの間に聞いて様に思います。
    アット言う間に平成も30年4か月で終わります。嬉しいことも悲しいこともありました。この句    の様に春風が平成の想い出を乗せていきます。
  これも別れの句。

     菜の花や園児の帽子見えかくれ(志摩光月)
     菜の花畑に遠足の景が浮びます。菜の花の丈と園児の背の丈が
    どっこいどっこいなんですね。 下五が良かった。

     空青き菜の花の海に飛び込む(野路風露)
     空は青いし菜の花畑は黄色一色できれいだし、おもわず海のようだ
    と飛び込んだ心象句。作品が青春しています。

     人波の川面に映る花見かな(志摩光月)
     内容は簡単ですが、大岡川沿いの花見時はまさしくこの様な感じです。  素直な句です。

    今月の一言
   助詞力をアップする 
 
   「で」=原因、結果となる、なるべく使わない方が良い。
   「は」=取り出したひとつのたとえ「空は茜色」とか。
   「を」=時間、空間を現わす。
   「に」=きづき、場所。
   「へ」=動きの方向、句に動きが出る。


苺パフェ平らげ匙を舐める舌(川瀬峙埜)                       

(千草雨音)とても美味しい苺パフェだったのでしょう!「匙を舐める舌」に子供の表情が目に浮かびます。

山吹や平成の日々しめにけり(志摩光月)

(ただの凡庸)山吹の花ことばを調べたところ「気品・崇高」でした。平成が終わることを上手に詠んだと築きました。

草餅のかわく仏間で眼鏡とる(岡田克子)

(たま四不像)毎日の繰り返しである生活を句にするのはなかなか難しい。その点、食べ物を季語にすると季節感が良く出る。この句はそういう意味でも面白いと感じた。「草餅のかわく」で季節感がでて、それが「仏間」という特別の場所、「眼鏡とる」で作者の登場により現実味が伝わる。「かわく草餅」に「仏間」そしてなぜか「眼鏡をとる」、この意外性の連続が余韻となり物語的想像が浮かぶ句であった。

蕗の薹天を窺い顔を出し(飯塚武岳)           

(翁山歩存)春が近づき蕗の薹が芽生える雰囲気をうまく表現していると思いました。 

のどけさや妻の小言もよく響き(真野愚雪)

(境木権太)いつもの妻の小言もうららかな春の陽気の中ではのどかに響きます。幸せな家庭の日常を巧みに詠んでいます。

ほくほくと土筆のならぶ畔の道(ただの凡庸)

(遊戯好楽)土筆の並ぶ様子を「ほくほくと」がなんとなく春の温かさを感じた。

痛みとて生くる証や春疾風 (名瀬庵雲水)

(森かつら)春疾風・・春先に吹く強い風の呼び名のひとつ・・勉強になりました。
痛みは暖かくなるにつれ和らぐと詠みました。

永平寺の僧の蹠(あしうら)春障子(岡田克子)

(菊池 智)只管打坐ひたすら座禅する僧静かな雰囲気の中障子を通し柔らかな春の訪れが描かれています。

笑み浮かべ古き雛や母の影(野路風露)

(舞岡柏葉)幼い日に両親が娘の幸多き人生を願い求めた雛のでしょう。小さかった頃気が付かなかった古き雛の笑みに母の面影を発見した喜びの情景が目に浮かびます

マスクしてマスクをを避(よ)ける診療所(翁山歩存)      

(名瀬庵雲水)冬の季語ですが、滑稽さを感じます。自分も同じ事を無意識にしているかも。
 病院や医院でなく診療所にしたところは、語呂も良く、味わいのある句 になったと思います。

菜の花や園児の帽子見えかくれ(志摩光月)

(小正日向)園児たちのはしゃぐ声が聞こえてくる黄色く染まる菜の花畑が見えるようです。

仮設所の軒端華やぐ吊るし雛(境木権太)

(飯塚武岳)被災地の仮設所で暮らす人々にも春は巡ってきます。吊るし雛が厳しい生活を癒し希望をもたらしてくれます。生きることへの逞しさ明るさが感じられます。
(野路風露)吊るし雛が元気を与えてくれると良 いですね。

碓氷とけて相模の風土記かな(たま四不像)

(川瀬峙埜)古い昔の歴史の謎が少しずつ氷が解けていくように分かっていくのはなんだかワクワクして清々しい春を迎えたような気分ですね。 

空青き菜の花の海に飛び込む(野路風露) 

(石 敬)景色への感動、気持ちの躍動が伝わる生き生きしたテンポのいい句ですね。ドーンと飛び込みたくなる一面の黄色い花畑、先日皆で行った南房総の情景です。

若鮎や前行く子らの長き脚 (千草雨音)                

(志摩光月)季語の選択がよく、また 詠み手の心情を含め状況がよく見える秀句と思います。

 ドイツミサ春の寒さをやさしくす(たま四不像)

 (真野愚雪) しらべて意味を知る前に、先ず「ドイツミサ」という異教的な憧れを掻き立てるようなことばに引き付けられます。それが 凛とした「春の寒さ」と共鳴し合って清しく響きす。個人的な嗜好では「やさしゅうす」とよみたいです。